約束の未来~Re:set~⑥
第二章 間違い探しの日々①
「雨だ」
朝は降ってなかった雨に昇降口前で足止めを食らって、誰に話しかけるでもなく独り言ちたら。
「一緒に入ってく?」
庇の下で雨宿りをする私の横に、いつの間にか立っていた碧に拾われた。
「いらない」
碧に入れて貰うくらいなら濡れて帰った方がマシだと、雨の中飛び出そうとして強く腕を引き戻される。
「嘘だって、はい。オレ置き傘してたのに今日折り畳みも持ってきちゃったんだよね」
と鞄の中から出した碧の紺色の傘を私に手渡してくる。
「借りてもいい?」
勿論と笑う碧に並ばれて歩き出す。
少し前の自分ならば、傘を忘れることなどなかった。
忘れてた時点にすぐに、戻っていただろう。
「学校は慣れた? 紅」
「人を転校生みたいに言わないでよ、そっちこそ名演技よね。本当に中三みたい、ビックリする」
見る物聞くもの全部初見です、みたいな涼しい顔をする碧。
私はポ-カーフェイスを取り繕うのに、必死の日々。
「紅だって頑張ってるじゃん」
あ、これは絶対人をバカにしているような顔だ。
「じゃあ、ここで。傘後で返すね」
丁度よくスーパーの前に差し掛かり、ここでお別れできると碧に背を向ける。
「最近エライよね、おばさん喜んでたよ。紅が何でもやってくれて助かるって」
じゃあねと言ったのに何故か一緒にスーパーについてくる碧は、買い物カートを押す私の横に並んで歩き出す。
「ん? 今日シチューなの? 食べに行こうかな、母さんいないし」
「え?」
「ああ、ほら、入院してる、また」
ハハッと笑う碧に、何と言っていいかわからず目を反らした。
―――高一、秋、大雨の日。
碧が雨の中隠れるようにして、泣いていた、あの日。
碧もきっと覚えてるはず……。
「一人分くらい多く作ってもいいよ、ただし美味しくないから! 初めて作るから!!」
それでもいいならいいよ、と口を尖らした私に。
「期待しないで行く。てかさ多分箱に書いている手順通り作れば失敗しないと思うよ」
ケラケラ笑って、ありがとうって微笑む碧に、別にと首を横に振ったのは、あの日、何も言ってあげられなかった償いなのかもしれない。
二度目の中三生活は、中々にスリリングな出来事が起きてしまうのは、避けられないものなのか。
それもこれも、大体は碧のせいだけど。
本日は修学旅行の班決めの日。
一度目の中三の記憶を辿ると、孤高のミス完璧は、修学旅行でも足りない人数の班にとりあえず名前だけは入れてもらっていた、はずだった。
が、どうしたことだろう?
十年前に、『一ノ瀬さん、うちの班でもいい?』と誰にも誘われない私に同情して手を挙げてくれたはずの同じ女の子は、何故か私からプイッと目を反らす。
ああ、すっごい嫌われてるみたい。
原因はわかっている、アレのせいだろう。
つい二日前の放課後、帰り際のことだ。
◇◇◇
「一ノ瀬さんと蓮城くんってただの幼馴染じゃないの?」
放課後、呼び止められた私は、あの子にそう訊ねられた。
涙目で睨むような目つきからは敵対心しか感じられない。
どうやら最近登下校を一緒にし出した私たちに疑念を抱いたらしいのだ。
「幼馴染よ、それ以上でもそれ以下でもない、バカバカしい質問しないでくれる?」
ハァッと大きなため息をつき、その子を見下ろした私の態度が気に入らなかったのだろう。
「何なの? その言い方!! 一ノ瀬さんって鼻にかけすぎよ!! 勉強も出来て美人でオマケに蓮城くんまで!! ズルいよ、そんなの」
え? ズルイの意味がわからない。
ポカンと口を開けている私を睨み泣き出したあの子を取り囲む、その他大勢の女子たちは『一ノ瀬さん酷い』と口々に私に抗議した。
……、本当に意味がわからないんですけれど?
◇◇◇
それから、一度目の時以上のボッチ感にあふれる日々。
基本的にボッチだったし、慣れっこなので気にはしていない。
ただ、こういった私の『関係ありません』的な態度は余計にあの子たちを苛つかせていたよう。
後で理解したのは、あの子はずっと碧のことが好きだったらしいのだ。
聞こえてきた話によると、あの子は最近碧に少しずつ接近して仲良くなっていたみたいで。
そんな中、二学期になって私と碧の距離が近づいた(というように周囲は思っているようだ)。
あの二人は付き合っているのではないか?
あの子の気持ちをクラス全員公認して見守っていたというのに、後から出て来た『一ノ瀬さん酷い』となったらしい。
子供じみていて、とっても面倒臭い、けれど。
こんな問題にも向き合えってことなのかな?
私の名前がまだどこの班にもないことに先生も困っている。
でも口を挟めずにオロオロと見守っているだけだった。
「先生! 私、班には入らなくても良いでしょうか?」
担任の元に近寄り小声でそう伝えると、そんなわけには、と気弱そうに言葉を濁すばかり。
どうせ一度修学旅行には一度行っているし、今さら参加しなくても構わないのだけれど、一点だけ気に病んでる。
もし私が参加しなければ、必死に積み立てをしてくれていた母が悲しむかもしれない。
ああ、こんな時こそ、時間を戻せたならば……。
『幼馴染よ、それ以上でもそれ以下でもない、バカバカしい質問しないで』
あの時の私の台詞を、『ただの幼馴染だよ』ニコリに変えておきたいところだ。
チラリと問題の原因でもある碧を眺めたら、まるでバカにでもしているのか半笑いで私を見ている。
絶対に私には無理だと思ってるでしょう?
私みたいなプライド高めには絶対にやれるわけがない、と!!
そうだよ、やったことないよ、やったことないけれども。
やりたくもないけれども!!
グッと下唇を噛みしめてお腹に力を込めた。
拳を真っ白になるくらい握りしめてから全部の身体の力を深呼吸して抜いて。
先日泣き出した子の元にツカツカと歩いていく様が怖かったのか皆が見守っているような静まり返った教室の中で。
「あの……、この間はごめんなさい。言い方きつかったよね、私……。すみませんでした!!」
私はその子に向かって深々と頭を下げたのだ。
いつまで経っても静かな教室の中、そっと顔を上げると、驚いた顔で私を見上げていたその子は。
「一ノ瀬さん、班まだ決まってないんでしょ?」
顔はまだ怒っているようだけれど小さな声で呟く。
それに頷いたら。
「うちの班、人数少ないの。入る?」
少しだけエラそうだけれど、私が謝ったことに対しての、彼女なりの譲歩なんだろう。
「ありがとう」
彼女がほんのちょっと微笑んだ気がしたのを見て、私もホッとした瞬間、教室にざわめきが戻り始めた。
「じゃあ班行動決めようか、一ノ瀬さん何か提案ある?」
前はそういえば本当に名ばかりで、こんなことも聞かれることもなかったっけ、と。
皆と同様に椅子に座って班行動会議に参加しながら回想をした。
「一ノ瀬さんって、雰囲気変わったよね?」
修学旅行の後、時々そう言われるようになった。
自覚はある。
ズルイかもしれないけれど、言葉を選ぶようになったからだ。
以前は思ったことを全部口に出しちゃってたかもしれない。
けれどそれは時折だし、人と関わることもなかったので、皆気に留めるほどでもなかったのだろう。
もしくは私自身がよっぽどマズイと思った時には、特殊能力を使っていたからでもある。
「紅ちゃん、お願い! 宿題写させて下さいっ!!」
変わったと言われる所以は、この子たちのせいでもあるかもしれない。
『は? またなの?』は、NGだと思うので。
「知らないよ? 先生にバレても。次はやってきなよ?」
慎重に言葉を選びつつ柔らかなニュアンスで、机から出した数学のノートを手渡す。
「おおお、さっすが紅様~!! すみません、借りますっ!!」
三人は必死に私のノートを写し始める。
ミズキ、アヤ、チサト、修学旅行で一緒の班になった子たち。
ミズキは何と私とやり合ったあの子だ。
修学旅行の最中、一度経験したことのある私の案内はとってもスムーズだったと彼女たちは大喜びだった。
中身は大人でもあるものだから、神社仏閣などでの所作も完璧に教えて、観光ルートの見所なんかもまとめあげた。
面倒なレポートも先生受けする書き方はお手の物だしと作り上げると。
『ダメだ、嫉妬しかでないけれど、嫉妬とかのレベルじゃない。何て言うんだっけか? 羨望?』
そう笑ったこの三人との壁が低くなった気がした。
そこから何となく懐かれ始めて、今に至っている。
「やっぱ紅ちゃんのノート、わかりやすいよねえ」
「そりゃ、そうだよ、学年トップなんだし」
うっ、キラキラした純粋な憧れの目で私を見上げる三人。
プレッシャーが半端ない。
だってもうすぐ中間テストがあるんだもの。
自分だけの力で行う初めてのテストだ。
「中間テスト、来ないといいのに」
思わずつぶやいた私の言葉にミズキは特に目を丸くして。
「紅ちゃんでもそう思うんだ。何か人間っぽい」
「えっ?」
ミズキの呟きに皆が吹き出していて、私も何だかそれが面白くて微笑むと、遠くから感じる視線。
ふっと微笑んで目を反らした碧。
まるで『今のところ合格』とでも言うような顔で私を見ていた気がして、エラそうにと思ったけれど、それはそれでいいか。
「紅はどう? 今回も一位狙えそう?」
最近顔を合わす度、碧のプレッシャーにノイローゼになりそうだ。
シクシクと胃痛がする。
でもそんなもの碧の前でだけは、絶対におくびにも出さず、涼しげな顔をして質問返し。
「碧こそ、どうなの? 余裕なの?」
「まあね、わからないところは今回も特にないし」
わからないところは今回も特にないし!!
碧の言葉が頭の中にリフレインする。
さすがですね、私今必死なのに!
めちゃくちゃ必死で思い出しながら勉強してるというのに!
その余裕ぶった、すました顔は、本当に腹が立つ。
「中学校の頃の勉強、よく覚えてるよね?」
「俺ね、一回覚えると忘れないタイプなの」
グサッ、その言葉が胸に突き刺さる。
私とはまるきり逆のタイプだ。
次を覚えるためには終わったことは忘れていくのが私だ。
忘れたくなかった、忘れなければ今もっと楽なのに。
「紅はもしかしてそういうの苦手?」
「……別に? 私も大体は覚えているんだよね、苦手じゃない」
碧相手に張り合ってしまうのは、今やあらゆる意味での公私において、私の最大の敵であるからだ。
「さすが、紅! やっと紅と本気で張り合えるの俺すっごい嬉しいや」
「それはどうも、光栄です」
私の言葉にブッと噴出した碧を睨むと。
「あのさ、紅。中三で光栄です、とか言う子いると思う?」
うっ、言われてみれば。
「最近紅がすっごく頑張ってるの知ってるよ、家でも学校でも。だけど日本語時々おかしいことになってるから気をつけなね?」
「碧だからでしょ、碧が相手だからつい」
「つい?」
「……、じゃあね!! また明日!」
家に着いた私は逃げるように自分家の鍵を開けて中に入る。
全部知っている碧の前でだけは『ありのままの自分』でいられている、なんて、絶対言いたくないもの。
「紅~、ちょっといい?」
お母さんがノック前に断りを入れてくるなんて珍しい。
「なに?」
手を止めてドアの方を振り向くと。
「お茶入れたんだけど休憩しない?」
ドアを少しだけ開けて、おいでおいで、と微笑んでいる。
ん~、まあいいか、ちょうどキリのいいところまで終わったところだし。
リビングに行くとテーブルには紅茶とケーキが二つずつ。
「何か高そうなやつ、いいの?」
そう言ってからハッとした。
ほんのちょっと前の自分には少し高めのケーキが普通の感覚だったのに、無意識のように経費を節約しようとしている自分に気付いた。
……、し、仕方ないわよね?
だって現状のうちの家計を嫌と言うほど理解しているんだもの。
「これね、園長先生からなの」
「え? 保育園の?」
「そ、ホラ最近、紅が夕飯作ってくれてるからお母さんもうちょっと残業できるようになったじゃない? 家のことは大丈夫? って聞かれてね。今、紅が夕飯作ってくれるようになって、って言ったら園長先生泣いちゃって」
「え、やだ、大袈裟な」
私はお母さんのいる保育園ではなくて近くの保育園に預けられてはいたけれど。
小さい頃、保育園が終わってからお母さんが迎えに来て。
その後更に今度はお母さんの働く保育園にて、お母さんが仕事を終わるまで待つという『保育園の梯子』をしていたのだ。
今考えるとある意味では保育園のプロだよね、私も。
だから母の働いている保育園の園長先生は、私のことをよく知ってくれている。
「園長先生が紅へご褒美なんですって。あ、私もご相伴にあずかっちゃうけれど」
さ、食べよ、食べよ、と嬉しそうに手を合わせる母に。
「……お礼、言っといて! 園長先生に、ありがとうございます、って」
「うん、言っとくよ! 園長先生ね、紅に会いたがってたよ? 今度顔見せにきて」
ふと思い出すのは園長先生の丸い顔。
お婆ちゃん先生だから、皺もいっぱいな、くしゃっとした優しい笑顔。
「今度、行くね」
ひと口頬張ると、モンブランの甘みが口いっぱいに広がる。
そういえば秋になると園長先生がオヤツに栗を剥いてくれたなぁ、なんて。
懐かしさと共に、あの頃の私の夢を思い出した。
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