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20231214 自分のための有給などない

朝起きたら首が痛い。経血もちょっと漏れていた。地味にかなしい。
家に今月末で賞味期限の切れる頂き物の羊羹があるのだが誰か食べに来てほしい(と思っていたが、後日確認したら1年後の年末だった。羊羹の日持ちレベル半端ない)。


なんだか今日はつかれた。
職場で幼児持ちの人たちと「(子どもの病気等のせいで)あと有給◯日しかないんだよね〜」と喋っていたのだが、(でも子どもに何かあった時に一応夫さんとかいるんだよね……うちはわたしが倒れたらもう終わりなんよ……)とよくわからん妬み僻みモードに一瞬入ってしまってとても良くなかった。どうしてそんなに精神が健やかじゃないんだよと自分でびっくりした。
なんというか、この感情って夫を失ったこともそうだけどパートナーという存在がいること自体に対するものなので、じゃあわたしもそういう人を新たに見つければいいじゃないという思考になるのだが、世の中のパートナーがいる人たちみんなどちらか一方は相手にパートナーになりたい旨を伝えているわけで(付き合おうとかそういうレベルのことから)そういうことが自分にできるイメージが全然わかなくて落ち込む。やったことないから当たり前なんだろうけど。

客観的なわたしの属性として、幼子がいる配偶者が死別した女(結婚はしたくない)がパートナー的な存在を見つけるの、相当難しそう。あと死別した人って死んだ相手のことを想って交際や結婚に慎み深い像を社会から求められてるイメージがあるけどどうなんだろうね。

自虐はしない。どんな自分のこともわたしだけは受け入れてあげたい。でも自分の精神の健やかじゃなさに落ち込みはする。


自分の出身校をディスる人と出会ったのだが、それって結局のところ自虐になっていて自分がつらくない?というか聞いているわたしがちょっとつらい、となった。学歴コンプレックスの人ってそんなもんなんだろうか……。
(後日談:改めてどうしてそんなに出身校を低く話すのかと聞いたら、割と納得できなくはない背景があったのでやはり人間に必要なのは対話……!となった。)


人は人のことをジャッジしすぎな気がするしそもそも人は人のことを罰せると思いこみすぎなのでは、と思った。


ありがとうございます。