20231221 人が誰を好きになるかは自由

起きることはできたが、なにもかもどうでもいい気持ちが強い。とりあえず普通に仕事へ行く。自分が世界でいちばん不幸みたいな素振りをしてはいけない。
子どもも体調が悪くて不機嫌だし、わたしも疲れてイライラするし、昨日の夜から今朝にかけて家の中の空気が最悪だった。
なんか楽しいことないかな。つらい。虚無の顔で仕事してるけど帰りたい。旅に出たい。

空元気かもしれないけど元気になってきた。
昨晩から今朝にかけてずーんの極みだったが、仕事で動いているうちになんとなく大丈夫になってきた。

昨日は本当に世界の全てのことを嫌いになりそうだった。もっと人のことを好きでいたい。気持ちが冷めるとひどく冷たくなってしまうんだよな。


たまにわが家の3歳児に「ママきらい、パパがいい」と言われるのだが、まあ人が誰を好きになって誰を嫌いになるかは自由だもんなあ、とまず思う。普通にパパが恋しいだけかもしれないが。
人間すべてそうだが、子どもなんて何にも思い通りにならない。わたしは人が離れようとすると「ああそうですか」と黙って見送ってしまうのだが、自分の子どもにそれをやってはいけないことが難しい。
なんというか、こういうところでも、わたしはわたしを好きっぽい人を好きになるのだろうなあ、と思わされる。人ってそんなもんだろうか。

わたしは基本的に冗談が通じない人間なのもあって、3歳児に「ママきらい」と言われたら「ああきらいなんだ、そうか」と結構本気で思ってる。逆に「ママだいすき」と言われても「そうなんだ」とだけ思う。嬉しいとか悲しいとか正直あんまり思わない。子どもの本心なんて何もわからないし、その言葉を言いたいから言っているだけで全ての発言が刹那的なんだろうな、と思っている。

わたしは本気で自分の感情に基づくと子どもを抱きしめることがおそらくほぼできないし、夫にも「子どもを好きと言って抱きしめる回数を増やせればいいのに」と言われていたので(夫はそういうのがナチュラルにできるタイプ)、機械的でもいいからなるべく大好きと言ってハグをするようにしている。こういうことを感情に基づいて普通にできる親が羨ましい。


ありがとうございます。