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世界の残酷さについて (一首評)


金子さん(以下敬称略)から「幸せな夢を見ていた」という素敵な第0歌集をいただいて、感想を送る約束だったがそれから何ヶ月も経ってしまい、締め切りや時間が守れない自分に嫌気がさしてきつつ、遅ればせながら筆をとっている。同歌集は26首を収めており、どれも素敵な歌ではあるのだが、ぜひ手に取って読んでほしいため、あれこれ紹介するのは避け、今回は一首評の形を採ることにした。

すき きらい すきって花を毟る ほら世界ってこんなにも残酷


/ 金子竣 「何度でも咲け」

金子竣  「幸せな夢を見ていた」

世界の残酷さについて

 歌集を読んでいくなかで、金子竣は物事の些細な美しさ、素敵さを浮き彫りにするように、世界を切り取るのがとても上手なかただと感じた。そうした短歌たちの中でこの歌は異彩を放っていて、この歌に関してはそれが全く反対に作用していると言ってもいいように思う。美しい花の存在に影を落とす、より強大な存在によって世界の残酷さを抉り出している。皮肉にもここでその言葉に力を与えているのは人間であり、我々も彼らのように、抗うことのできない力に侵され、残酷に死んでいくことがある。つまり、花占いは主体の言いたいこと(世界が残酷であること)の縮図である。スケールダウンだ。
 表現については、花占いについて「すき きらい すきって花を毟る」と最小の描写で、最大に表現していてうまい。また、ひらがなで書かれているのは、花占いに興じるにあたって妥当な精神年齢と照らし合わせてのことだろう。
 彼、あるいは彼女はほとんど享楽的に蹂躙する行為の残酷さに、それ故に気がつかない。「ほら」は聡すような言葉遣いである(ように読める)。聡される子の存在、聡す主体の存在、主体にそれを教えた者/事象の存在………世界の残酷さは一定で、揺るぐことがない。
 歌集の中で、金子竣は一貫して世界の素敵さを(あるいは切ない事柄を、素敵な主体の眼差しでみるままに)描写している。そこに世界の残酷さを端的に、鋭く描写する短歌が入り込むこの構造自体が、微笑ましい花占いに潜む世界の残酷さの縮図と同一であり、それを明らかにするような作者の視点を、読者にそのまま与えていると言ってもいい。世界は素敵で美しく、詩的であるが、それらすべてが残酷さを孕んで成り立っていることを我々は忘れてはならない。


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天罰として花はうまれて占いの灯りに影を落とすのだろう

/ 芒川良

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