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【私見】人間社会とはどのような法則で動いているのか?なぜ教養を学ぶ必要があるのか?

人間社会の物事は、仏教的に言えば全ては因果関係で成り立っており、その無数の因果関係に各個人が作用する(縁を結ぶ)ことで因果が確定し、その連なりで成立している。
人間は、この因果が確定する経験則を自分が認識できる範囲で学び、パターンとして自分の中に蓄積していく。
人間はその蓄積したパターンを、生きる上で遭遇するその時々に引っ張り出し、判断、行動する。
このパターンは、時代によって変化の大きさとスピードが異なる。パターンが大きく変化する時代には、何が正解のパターンが良くわからなくなる。
このため、教養、つまり過去の様々なパターンを学び、今に活かすことが重要になるのである。

教養とは何か?というと、自然科学の人間社会へのアナロジー。自然科学においては自然環境に対する観察に基づくロジックにより自然界の法則を見つけようとする訳だが、教養は人間社会で成り立つ法則、つまりパターンを学ぶもの。社会科学が代表だが、歴史、文学などパターンを学べるものは全て教材だろう。自分と全く異なる価値観や文化の人や地域と出会うことも教材。ゆえに、教養とは本を読み、異なる地域に旅をし人と出会う、この二つにつきるだろう。
普通に今を生きるだけでは学べないパターンをあえて教材を通して教養として学ぶことで、変化の大きな時代において、今の自分の生に最も役立つパターンを引き出すことができる。
逆にいうと、自分がそのような存在と認識したうえで、過去に学んでしまった役に立たないパターンを放棄する訓練が必要になる。

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