言語の散歩 第四話 「そういえば、私は言葉に振り回されている」

 アンティーク調の洒落たカフェで、私はカシスオレンジを飲みながら、今までの自身の行動を振り返っていた。
 なんだか、地球に来てから厄介な思考回路が身に付いた気がしてならない。きっと星に帰ったら、皆から私が本物か疑われる自信しかない。
 はぁぁ、と深い深い溜め息をついた時だった。突然隣から悲鳴が上がった。
 何事かと視線を声がした方へ向ける。そこには、カフェの灯りやら窓から入り込む太陽光やら金色の飾りの光やらといった、ありとあらゆる光を反射させてキラキラ輝く男が立っていて、周りの客たちはそんな男に目をやって、ひどい興奮を示していた。
 そして、しばらくしてから、「変な客が実は平浜竜也だったらドッキリ!」と書かれた看板を持った人間たちがぞろぞろと姿を表した。
 そう言われてみれば、確かに一人だけ変な客がいた気もする。だが、それよりも私は「ドッキリ」という言葉の方が気になった。
 というのも先日、長崎出身の女が「昨日は肉をいっぱい食べすぎて、さすがにドッキリしたよ」と言っていたのである。意味合い的には、「ドッキリ」は「胸焼けした」に近い。案の定、連れの女が「どういうこと? 肉大食いドッキリてこと?」と不思議そうに返していた。
 そもそも、「ドッキリ」とは福岡県大牟田地方の方言であって、佐賀や長崎などでも普通に使われる表現らしい。だが、東京の感覚からしてみれば、ドッキリといったらドッキリ番組をイメージするもので、なかなか胸焼けするという意味には結びつかない。
 そこで、私はあることが気になったのだ。すなわち、方言「ドッキリ」の由来である。
 一つはメタファー説。いたずらされた時に感じる胸のドキドキとの類似点から、胸焼けした状態をドッキリと言うようになったのではないか、という説である。この場合、胸焼けのドッキリといたずらのドッキリは全く別物である。
 2つめはメトニミー説。
 おっと。メトニミーについては以下の私のメモを参照されたい。

【メトニミー: ある物事を指すために、それと近い物で表すこと。例は、「鍋が煮えている!」と言って、実際は鍋と近い関係にある鍋の中身の具材を指す。】

 すなわち、何かを食べてムカムカ(すなわち胸焼け)を感じた時、それに状態の近い別の心理状況で表すという説だ。この場合、ドッキリを受けた際の胸の動悸と胸焼けの際に感じる感情は全く別物ではなく、近いものとされる。
 さぁ、どっちが正しいのだろうか?
 おそらく、どっちの説も十分にあり得る。きっと、この星の言語学者を集めて議論したところで、決着は着かないのではないだろうか。
 だが、それすらも言語学者は楽しむであろう。生き生きと、それぞれの見解を数万文字のレポートにしたためるのだ。彼らはいつだって、解決しようのない問題に真剣に取り組んでいる。まるで、今の私の様にーー
「あの! お話いいですか?」
 突然、私に大きな声がかけられた。
 はっとして声の方を振り向く。
 巨大なカメラを担いだ人間と長いコードを引っ張っている人間と、それから先ほどのキラキラ男が私を見つめていた。
「お名前伺ってもいいですか? あ、てか、写していいですか?」
 キラキラ男がそう聞いてくる。
 それに私はゆっくりと首を横に降った。今、私の正体がばれたら困るからだ。
「顔がわからないようにするので! それでもだめですか?」
 私は首を横に降る。未知の星の未知の文明に対しては、用心してもしすぎることはあるまい。
 私の頑なな態度に諦めたのか、キラキラ男は今度は違うターゲットへと向かって、全く同じ質問を繰り返していた。男はあっさりと了承をもらって、「お姉さん、お名前は?」と口にした。
 名前ーー。
 私には必要なかった概念である。
 だが、この星にいる以上、先ほどのように名前を求められることもあるだろう。そういった時、私はなんと答えるべきか。
 ヒントを得るために、地球に来てから今までの私の行動を振り返ってみる。思えば、私は人間の会話を通して人間を観察してきた。人間の話す言語がいかに厄介かを何度も見てきたのだ。
 言語ーー。
 いっそ、私はこれから言語と名乗ろうか?
 そんなことを考えていた時だった。
 頭の中でビービーと音が鳴った。星からの連絡だ。
 私は躊躇わずそのメッセージを開いた。そして、唖然とした。 
 やばいーー

【緊急召喚 緊急召喚 捜査員はただちに星に帰省せよ】


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