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ハートヤイ生活日記🇹🇭④

こんにちは、らっくすとーんです。
前回までのハートヤイ生活日記をご丁寧に3本とも読まれた方、こう思ってはいないでしょうか。
「こいつ、タイに遊びに行っただけなのでは?」

ご安心ください、しっかり医学部生としての勉強もしてますよ。
というわけで、今回は病院実習が始まり、実習中に色々と感じたことを文字に起こしていこうと思います
まだ①②③を読んでない人はぜひ読んでくださいね🫶

3日目~:病院実習

さて、ようやく学生の本分としての実習開始です。
わたしたちは最初の2週間は共通でER(救急外来)に配属となり、残りの2週間は各々別の診療科に配属となっています(わたしは内科のCritical Care Unitに行きます。俗に言うICUってやつですね。)
臨床実習という名目はあれど、フワフワ観光気分で来ていたわたしは初日からかなり苦い思いをすることになります。

顕現する「力の差」

実習全体の面倒を見てくれる先生に案内されて救急の医局に向かい、1日の日程や特別なイベントなどの説明をざっと受けた後に通されたERは、自大学の何倍も騒然としていました
日本では、救急科に送られる患者はその重症度に応じて対応する病院が搬送前に振り分けられます。いわゆる一次・二次・三次救急というやつです。
大学病院はその中でも重症度が最も高い三次救急を担うところがほとんだと思います。これはわたしの主観ですが、それゆえ大学病院の救急は、その他の二次救急に組み込まれる病院に比べて運ばれてくる患者はかなり激烈な症例が多い代わりに数は決して多くなく、一般に想像される救急というよりは第二のICUと言った方が感覚として近いと思います
ところがタイでは、対象地域のすべての患者さんが重症度問わず拠点の病院に送られて、病院でトリアージを行い、重症度ごとに振り分けて対応するシステムがとられています。北米型ERというやつです。
日本では災害医療でしか使われることのないトリアージの概念が平時から使われていることが最初のカルチャーショックでした。
というわけで、システム上、日本の大学病院よりも必然的に忙しいわけですが、それを勘案しても20床以上もある病床がほぼ満床なのは壮絶な光景でした。後で先生方に聞くと、この日の光景は彼らにとっても"disaster"だったそうです。
驚くべきことに、そんな外来の中で、わたしたちと同じ6年生、学生がまるで研修医のように患者に問診をとり、カルテを記載し、上級医の監視がなくても侵襲性を多少伴う行為をしていました。
わたしは基本的に海外出羽守ムーブをしている人たちが大嫌いなんです。どうせ日本のこともそんなによく知らないくせに薄っぺらい講釈垂れやがって…と心の中で思っています。
でも自分の目で見たものなら信頼できる。これは危機感を持たなきゃいけないと強く感じました。
もちろん大学や国が定めた医学部教育や臨床実習のあり方を医学生1人の力では変えられませんし、そのような制度はそもそも一瞬で変わるようなものではありません。
しかし、医師国家試験に合格し2年の初期研修を終えるまでにこのギャップを埋めるべく尽力する必要は大いにあると感じました。
臨床実習の中では能動的に動かなければ、担当患者に問診をすることも、中身のあるカルテを記載し臨床推論を立てることも、手技に手を出すことも、ましてや外来で疑問を持って指導医に接することもできない、ただのガリ勉ギークで終わってしまうわけで、自分はどちらかというと「そちら側」にいるのだと実感させられました。
今の自分に、彼らのように診療に携わるスタッフで入れる自信は毛頭ない。
(しかし、臨床実習を1年半経験して感じることですが、臨床の現場で良き医師として働く能力と医師国家試験で得点を伸ばす能力は本質的に異なるので、国試に向けた勉強と医師の卵としての鍛錬のバランスはとても難しいところではあると感じています)

さらにわたしは積極性では他の2人に劣ってることにも気づかされ、軽い気持ちでこの実習に臨んだ自分の浅はかさを深く後悔しました。
2人は「ここで何を見たいか」という目的意識をはっきり持っているが、自分にはそれがなく漫然とレールの上に乗っかっていただけで、それゆえに感受性もひどく鈍っているし、情報をキャッチしようとするアンテナもはれていないし、何より貪欲さに欠けているので不完全燃焼で釈然としない気持ちでいることに気づきました。
それに加えて、初日で場に慣れないがゆえの混乱もあり、初日で印象に残っているのはただ疲弊したということだけでした。
そもそも場慣れ、という言葉を使っているのがある意味言い訳なのですが。

しかし2日目、3日目ともなってくると場慣れも進み、初日ほどの喧騒にも直面しないことも増えたので、徐々に「タイの救急医療」への解像度が上がってきました。
3人で協力して、患者の治療にあたっている先生についてまわり、心電図やエコーをとっていればそこへ行って所見を3人でディスカッションして、分からないことがあれば先生に聞いたり自分たりで調べたりしてフィードバックを行う、という学習方法も確立していきました。
自分も徐々に患者にしっかりと直面し、疑問を持って理解を深める意識が芽生えてきたと思います。
そうしてわたしたち3人はあることに気づきました。

救急医療の「地域差」

救急外来に来る患者さんの病態に「感染症」が絡んでいるケースが日本に比べて非常に多いのです。
自大学病院と病院見学で遭遇した数ヶ所の救急外来しか根拠はありませんが、日本の救急外来は感染症というよりは、心血管・脳血管のトラブルや、アルコールが絡んだトラブル(外傷・肝硬変など)やあるいは高エネルギー外傷がメインという印象です。
確かにタイでも心筋梗塞の患者さんは運ばれてきますが、それの倍以上は感染症が関係する患者さんが多いと感じました。
急性胆嚢炎の症例や、野良猫に噛まれて狂犬病予防のために免疫グロブリンを注射しに来た症例、そしてそれよりも何らかの感染症が祟って敗血症を起こした患者さんが頻繁にレッドゾーンには運ばれてきます。
その感染症の多さゆえに、感染症に対する治療への造詣の深さは日本よりも大きいと感じさせられました。
薬の選び方をとっても、日本よりも迅速性が意識されており、その選択のためのプロトコルはシンプルかつ確実に効果のあるものが選ばれるようになっています。
また、感染症で一番恐れるべき敗血症の診断においても、日本で頻繁に用いられスコアリングシステムではなく、よりエビデンスのあるスコアリングを採用していました。
この実習を通して、単に数多くの症例を見れることに加えて、このような学びからも、感染症の治療に対する理解を深められそうです。

そして、このように「『井の中の蛙』状態から脱却し、世界を知って自分の非力さを省みる機会」「日本では積めない経験を蓄える機会」というのが海外で学ぶことの本質だと気づきました。
海外留学をした人や、幼少期から海外経験のある人の中には、たまに、その「海外での経験」を、自分のキャリアの中で燦然と輝く勲章のように、もっと汚い言葉で表現するならマウンティングの道具として振りかざす人がいます。
海外出羽守もある意味ではこういう思想から生まれるものだと思っています。
しかし、わたしはこの考え方は本質と全く逆だと考えます。
外の世界の「できる人たち」との差に打ちのめされ、そこから追いつくために何ができるか模索していくための経験が海外留学であり、そのために必要な材料、すなわち日本で得られない経験も海外留学で拾ってくるもんだと思います。
打ちのめされるところまではおそらく多くの人が経験しているのですが、そこで感じた虚しさ・やるせなさの矛先を、自分よりも立場の低い人間、あるいは国に向けた結果としての、留学マウントや海外出羽守だと思います。

「欧米以外」への低すぎる解像度

わたしたちは、医学部にいる中で、昭和の時代を生きた諸先生方から、ふわっと
「日本以外の国では欧米の医学書を翻訳する術がないので、日本・欧米以外の国の医学生は医学を英語で学んでいる」
と教えられてきました。

ところが現実は嘘八百でした。
確かにタイで医学書をひらけば、タイ語で補完できない語彙は英語で補われているので、時折タイ版ルー大柴みたいな文章に出くわすこともあります。
しかしそれは日本語でも同様なのです。医療の略語はもれなく欧州から来た言葉の流用なのですから。
医学書の中にはタイ語で記載されたものも存在します。日々の診療では、患者とのコミュニケーションだけでなく医療者同士の対話も9割以上はタイ語で成立しています。
英語に依存しきっているなんてことはなかったのです。

そして、そんな現実を無視して先のようなことを言って憚らない人たちの思想の根本には
「そんな医学という概念を自国語で学べる我々は素晴らしく、そして優秀である」
といううっすら欧米以外を見下している「自称先進国の驕り」を感じました。
もっとも見下すその目の解像度は非常に低く、もはや全盲も同然なのですが。

やっぱり最後に信じられるものは自分が見たものと感じたものなのです。


すっかり湿っぽく重たい文章ができあがってしまったので、最後は少し皆さんに笑っていただきたいので、即落ち3(4?)コマで締めくくりたいと思います

泣けるぜ

身体は真夏のタイにいても、魂はまだ雪原にいるみたいです。
ほなまた🇹🇭


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