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塗料メーカーで働く 第三十七話 辞表

 4月26日午後9時頃に 帰宅し 玄関の戸を開けると そこに段ボール箱が届いていた。

 箱を部屋に運び 開けると 中には2冊の通信教育のテキストが入っていた。                       

 会社では 入社後一定期間勤めた技術職の従業員を対象に 通信教育の受講が推奨されていて 1ヶ月程前に 上司に勧められて通信教育の受講申請書を提出していた。

 届いた通信教育のテキストの一つは 「実力管理者基礎コース」 もう一つは 「英文テクニカルライティング」だった。

 いずれの通信教育も半年間コースで 毎月レポートを提出すると事務局での採点があり 合格点を取ると 修了書と受講料の半額が返ってくるものだった。

 川緑は 軽い気持ちで受講することにしたが 届いたテキストをぱらぱらとめくり 内容を確認すると急に力が抜ける感じがした。                

 それは これらの通信教育を受講して 果たして何か身に付くことがあるのだろうかという疑念に襲われたことと 受講に時間が取られることに強い抵抗を感じたからだった。

 川緑は 懸案の 「UV硬化型樹脂の硬化性の研究」を深めるためには 自分自身の学識が足りないと感じていた。

 川緑の考えるUV硬化型樹脂の硬化性の研究は UVカラーインクの硬化性を数値計算で求めるシステムを開発し そのシステムをインクの設計に用いることにより 他社に負けない商品を作ることを目的としていた。

 しかし 今の自分の能力ではそのシステム開発は難しいと考えた川緑は 将来 そのことができるように 自宅で物理と数学の本を読んでいた。 

 物理の本は リチャード・ファインマンの  「ファインマン物理学」 を 数学の本は C・R・ワイリーの 「工業数学」を読んでいた。                                    

 彼の学習方法は これらの本の全文をノートに書き写し 理解できたところは自分の言葉で注釈を入れ 理解できないところは その部分を後で調べられるようにコメントを書き込む作業だった。

 そのような作業は とても時間がかかるもので 川緑は 通信教育に時間を取られることが耐えられないことに感じた。

 4月27日(土)は 休日だったが 川緑は 一日中会社で仕事をしていた。

 今年 電線メーカー各社へ高速硬化タイプのUVカラーインクサンプルを提出して以来 川緑の仕事の量は急増していた。

 毎日 電線メーカー各社から新色のインクサンプルや色見本や技術資料の要求があり それらの要求に答えるために 毎週休日出勤して対応していた。

 休日に仕事をしながら 川緑は 菊川課長の 「月曜病」の話を思い出して 行き場のない気持ちになると ふと 辞表を書いておこうと思いついた。

 「長らくお世話になりました。このたび一身上の都合により東西ペイント(株)を辞職します。 平成3年  新規事業部 川緑 清」と A4紙にボールペンで書いた。

 川緑は 紙を折りたたんで封筒に入れ 表に 「辞表」と書くと 机の引き出しの奥にしまった。

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