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86歳、母の草取り。



私は朝型を習慣としていますので、起床は3時から4時の間に起きます。カフェオレと白湯を飲みながら製本、あるいはカリグラフィーの作品展の準備をするのが習慣です。



2個の台風の影響で私の住む新潟県も38度超え39度という日があります。パートの職場は冷房がなく、扇風機だけで作業をしているのですが、さすがに体に応えます・・・

お盆休み前の最終日、仕事終わりに実家に寄って86歳の母の様子を見に行きました。庭に草取りをした形跡があるので、おやっ!と思い家の奥から「疲れた、疲れた。」と口にしながら出てきた母に問うと、草取りをしたと言うのです。
夕方とはいえ、暑さはまだまだ厳しいです。こりゃ大変だわと思いました。



母は認知症が進み始め、私たち兄弟姉妹の心配の種です。
兄弟姉妹は姉、私、弟の三人です。
現在母は弟と実家で二人暮らしです。姉も私も頻繁に実家を訪れて母を見守ります。



出てきた母の姿を見て思いました。兼業農家の嫁として勤めに出ながら農業もする。畑、家の周りの草取りは習慣としてきたわけです。
「暑いから、無理に草取りはしなくていいよ。」と言うのですが、言葉の意味は理解できても体はルーティンとして草取りをする習慣は想像に難くありません。私もそれ以上は強く言いませんでした。
しかし、生命の危険にかかわるほどの暑さ、心配です。せめてすぐに体を冷やせるようにとの思いから冷蔵庫の中をチェックしたところ、麦茶は用意できていたものの、母の大好きなガリガリ君が一本もありません。

気になりつつも帰宅しましたが、予感のようなものがありましたので翌日の朝早くガリガリ君やらミルクバーやらを買い込んで実家に赴きました。
朝6時、実家につくと車庫のわきで、草を手で一心不乱にむしっている母を見た時、ああぁ、やっぱりな。と思いました。



「婆ちゃん、暑いからもう家に入ろうよ、アイス買ってきたよ。」

「おお、ありがとありがと、もう難儀で難儀で・・・」

涼しい内に、と思ったのでしょうか?そうであれば安心なのですが。


潜在意識の中にある習慣には、もの凄い力があるものなんですね。勝手に体が動いてしまって、タスクを完了してしまう。
私の夢が実現したことも、母のある意味命がけの草取りも習慣のなせる業です。

逆に言えば、習慣さえ身に着けてしまえば、何でも叶いそうな気がしてきます。

自己啓発本でも、成功のカギは習慣を味方につける事。と書いているものが多くあります。私のことも母のことも考えてみると本当にそう思います。

習慣という観点で人間観察をしますと、言葉のチョイスや行動のパターンでその人がどういった環境で育ったのか?周りからどのような言葉がけをされてきたのかが想像でき、不必要にその人を否定したり、争ったりすることが少なくなります。

私もシニア世代となった現在、習慣の背景を想像しながら人を見る習慣ができ、ストレスが軽減し、心穏やかな日々を過ごすようになりました。


母の口癖は、「オレももうすぐお迎えが来る、早くあの世に行きたい。」

認知症が進んで、暑いも苦しいも忘れて習慣で草取りをし、意識が無くなっても、それはそれで母としてはタスクを完了出来たわけだから、いいのかな?頑張ったね、って言ってやればいいか。と自分勝手な思いを抱いています。

随分残酷な息子だと思われるでしょうが、そのことで母を否定する言葉をかけないで済みます。人生の最終盤で否定されるよりは、褒めてもらう方がお互い心が穏やかでいられるのです。


暑い日中は避けて、涼しい時間で草取りをしてよ、婆ちゃん。




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