早くやろうとしたら遅くなるの法則
松井です。
野良仕事をしていると早くやろうとしたら、逆に遅くなるってことが良くあります。
例えば、早く耕そうとして、トラクターを使うと結局微生物層が完全に破壊されてしまって、肥料が必要になる。
肥料が必要になるから、その分「お金」を稼がないといけない。
そのお金を稼ぐ時間を捻出するために、またお金が必要になる。
だから面積を広げないといけないけど、そうなると機械じゃないと間に合わない、、的なwww
トラクターを使わず、手作業で必要最低を耕していくのは遅いし、苦労はある。
でも、余計なところの土は無事だし、根こそぎ取りすぎないので、有機物が残ったりもする。
そうすると微生物さんの餌もあるので、肥料はいらなくなる。。。。的なwww
、、
最近講座をやってて、今回のがラストクラスだもんでちょっと張り切ってコンテンツの量を多くしちゃった。
私の中では、ちょっと失敗だったなって思っています。
なぜなら、学習の時には「水撒きの法則」ってのがね。。。
水撒きって一回目って、ほとんどの水が土の上を滑ってしまって浸透しないのよね。
だから何度も何度も繰り返し撒くことで、しっかりと浸透させないといけない。
1回目の水撒きでできた、土の中の脈に2回目に撒いたまずが入ってそこからまた少し穴が広がる。
3回目にはまたそれまでの水流でできた水の脈に、水が入っていって新しい穴を少しずつ広げてもっと奥に浸透していく。
そんな風に、何度も、何度も、小分けにして染み込ませていかないといけないのね。
これを早くやりたいからって1回目の水撒きからたくさん掛けてしまうと、水が表面を滑って行ってあまり浸透しなかったり、逆に水が大量に入りすぎて根腐れになったりする。
で、話はもとに戻るけど、今回の講座ではちょっと一気に詳しく詳細を説明しすぎたせいで、水が上手く入ってない。
講座受講生さんには、ぜひ繰り返し同じ音声を聞いてほしいな〜なんて、勝手に思ってはいますがww
本当は先生が側がそれをうまく調整しないといけない。
ま、、、そんなふうに早くやろうとすると、遅くなる。
手間を省こうとすると、一番手間がかかるようになる。
簡単に終わらせようとすると、どんどんややこしくなる。
逆なんだよね逆。
だから、、
丁寧にゆっくりやろうとする→結果的に、早く終る。
手間をかけようとする→結果的に、楽に終わる(かからなくなる)
苦労してあえて難しくてもやる→結果的に実力が身について、簡単になっていく
こう考えると、人間の考えることって多分「浅はか」なんだよね。
自然の叡智は本当に逆。
いろんな事が逆。
「全体(他人)を幸福にする→結果的に自分が幸福になる」
とかね。。。
でも、自分のことを優先するのさ。
だから、自分が一番面倒な事になる。
欲張りに両取りしようとしたら、どっちも手に入らないとかね。
でも、損切りをしてしっかりとひとつに集中すると、最初の選択肢にはないより豊かな
「全体」が手に入るとかね。
これらの「逆転」の根源は、、、
「分離した個人が存在する」
という勘違い。
全ては(まるで地球の細胞のように)つながっている。
カラダが60兆個の細胞でできているけど、ひとつの身体のように動くのと同じような感じ。
私たちは、ある意味地球という生命の細胞みたいなものなのかもしれない。
ビジネスとか経済とか、、、社会構造とか歴史も、ほーんと、、、全部が全部つながっている。
そりゃ世界はカオスやわ、ひとつの単純が物事が起こるのにも、その背景にはものすごい数の生命の活動が関係しているからね。
そりゃ、、、人間ごときの「浅はか」な考えが追いつくはずがないですわ。。。
って話が壮大に拡大しちゃってますが、、、
要するに、、、
「早く済ましたいなら、ゆっくりと丁寧に取り組む」
そうすると、意外と早くなりますよってこと。
【エネルギー保存の法則(質量保存の法則)】
自然農の考え方で、野良仕事をやっているとよく思う。
ひとつの事で効率化したと思ったら、結局他の工程でその効率化した部分をカバーする何かがある。
例えば、草をかる時にしっかりと宿根系の根を深い部分から切ると時間はかかるけど、その後、その草の復活確率は減るから後工程は楽になる。
先に苦労するか、後から苦労するか?
それは、作りたい量や時間とのさじ加減で調整をしていく。
農薬を入れて、草を省けば早く済むけど、そうすればそれ相応の微生物の死滅など環境への影響があるわけで、それを回復させるには、頑張っても数年単位がかかったりするwww
どっちが早いのか?遅いのか?
結局、いっしょなんだと思う。
恐らく、私たちの人生全体を見たら、作り出せる価値や生産性は同じ。
早くやったら早くやったで、休憩が必要になったり、ミスが増えたりする。
ゆっくり丁寧にやったらそもそも仕上がるのに時間がかかる。
結局、出来上がったものは同じくらいの価値で、同じくらいの時間がかかる。
全てはタイミングなのだと思います。
畑になぜ肥料が必要かと言うと、そこでできたものをそこに還元しないから。
その畑でできた野菜や麦、米の食べた残りを全部畑に戻せば、栄養はきちんと循環する。
ホント、エネルギーは保存される。
結局、どこにエネルギーを分配していくか?
外に使ってしまえば、外に流れだしていまう。
畑でできた人参を食べて、そこで得たカロリーを野良仕事に使うのか?
そこで得たカロリーをyoutubeを視聴する事に使うのか?
ホント、それだけ。
どこに、もらったエネルギーを使うのか?
エネルギー自体は、マジで全く同じ量しかない。
増えたり減ったりはしない(全体では完全に同じ量)
ただ、変化したり偏ったりが変わるだけ。
どこにどう滞在させ、どこからどう流してきて、どこにどう流していくのか?
すべては相互依存であり、つねにひとつでつながっている。
だからこそ、自分で好きなように配分すればいいですよ。
【どうせ手に入れられる結果が同じなら、どんな風にやってみたいのか?】
選択肢はいろいろとあるように見えるけど、結局総量で見れば一緒なら、
「どういうプロセスが好みか?」
という問題がのこるだけですわ。
どうせそこで得る苦労も、そこでえる楽も同じだったとしたら、それをやりたいか?
なーんにも人生が変わらない、もっと幸せにも、もっと手に入る物もない、だとすれば「それをしたい」と思えるか?
その行為は、自分が何者であると語っているのか?
ま、、、、その辺を「自由」に選ぶだけってなる。
最終的に、私たちの肉体は死にます。
次へと循環していく運命にあります。
どうせ死ぬのなら、、、、
つまり、結果は一緒なら。。。
どう生きたいですか?
それが、考えるべきことかなって思う。
そんじゃ!また!!
松井万理
追伸:
自然の法則って本当に厳密で厳格です。
本当にそのとおりになるんですよね。
そして、それは私たちの思惑の「逆」の場合が多い。
だから、基本的には「大衆の逆」を選ぶと上手くいく場合が多い。
例えば、成功を学ぶのではなく、失敗を学ぶとか。
より多くを得ようとするのではなく、より多くを捨てようとするとか。
楽を選ぶのでなく、あえて自ら主体的に苦労を選ぶとか(そうすると苦労は苦労でなくなるww)
ま、、、そういう感じ!試してみてね♡
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