私は、存在してもいいの?

松井です。

母親が愛情を上手く伝えられなかった残念な子育てで育った人は、、、

「私は、存在しても良いのか?」

と言う意味不明な疑問を抱きます。

そもそも良いも悪いもなく、(残念ながら、もしくは喜ばしいことに)存在しているのです。

しかし、母親から愛情を受け取れなかった人、もしくはその愛が信頼に足らなかった、もしくは愛されていると思うけど、信頼されているとは思えない人は、、

「私が、ここに居てもいいと思ってもらうために、何かをしないといけない」(愛は条件付きである)

という強烈な思い込みが存在します。

つまり、

「存在することに、許可や承認が必要だ!(愛されるには条件を満たさないと)」

という強い信念があります。

【存在したいという欲求は何よりも強力】

そして、この「存在したい」という欲求は何よりも強い欲求です。

理解されている感以上の根源的な欲求。

【参考:理解されている感→ヒトが求める強烈な感情】
→ (記事準備中)

要するに「死にたくない」という恐れの裏面でもあります。

それほど、強力な欲求ですので、何が何でもそれを満たしたい。

てか、本当は既に「存在」しているので、満たすも何も、、もはや満たされているのですが…

「私のような人間が、存在するには、許可や承認が必要」

と思い込んでいるためそれを求めます。

しかし、求めたところで手に入りません。

なぜなら、既に「存在」しているからです。

そして、誰に許可されたいか、誰からの承認が必要かということもなくただ闇雲に、

「こんな私が存在するには、許可や承認がなければ」

と、強迫観念的にそれを求め続けます。

故に、

「こんな私が、ここに居てもいいんですか?ダメですよね。やっぱりあんなことやこんなことができないと存在できませんよね?」

と、伺ってきます。

まともな人からすれば、こういう人は面倒くさいです。

故に、まともな人は離れていくことになります。

そういう人に喜んで近づく人は、その弱みにつけ込んで搾取する人か、同じように感じて自分が必要とされることに依存する人です。

ま、、、要するに共依存状態ですね。

そして、こういう思いに囚われている人は、他の人にも同じように「条件付きの愛」を強要します。

要するに、「私は、これしたんだから、あなたはこれしなさいよ!」という暗黙の取引を、期待と強迫観念を込めて無言でアピールしてきます。

そして、それがなされなければ、怒りか自己憐憫で、どこかを責めます。(自分か、他人か、環境か、その時の気分か、、)

いやーー、こうやって文章にしてみると面倒くさい人ですね。

私も、そのような側面が無いとは言えません。

だからこそ、この状態を脱するために、私は「母親」と向き合っています。

【母親問題→母親の在りかた=自分の在りかた】

基本的に、こういった存在価値への確信は、子どもの頃には誰でもあります。

しかし、10代、20代の様々な出来事で、徐々にそれを忘れ去っていきます。

そして、親に支えられることでで10代、20代のクライシスを乗り越え「能力と関係なく人は存在して良いのだ」という存在価値(尊厳→自尊心+自己受容感)を獲得していきます。

これを母親の「在りかた」から教わるのですが、母親が未熟であった場合は、この存在価値への確信を忘れたままになってしまい様々な問題を発生させるのです。

※これは言葉ではありません。母親が日頃から世界をどう捉えているか?母親が自分自身をどうとらえているかが、勝手に無意識にコピーされます。

【母親を理解して、その呪縛を解放する】

この無意識にコピーされている母親の在りかたの呪縛を卒業するには、母親を赦す必要があります。

許すではなく、赦すです。

赦すというのは、悪いことはしたけれど目を瞑ってあげるという姿勢。

赦すというのは、そもそも悪いことをしていない(罪は存在しない)」という姿勢。

赦すためには、許すことが大事なので、まずはそんな不合理で、ややこしい「在りかた」をインストールさせた母親をバッチリ憎んでください。

そこに対して、起こる自分を許可してください。

ここで、同情などは必要ありません。

許すためには、「悪」を認める必要があります。

悪を認めて、まずはそれが許せないことを許可することで、初めて目をつむることができます。

そして、目をつむるだけでは、不十分です。

その「悪」の背景を、理解することで、それが「悪」ではない、「仕方がない」という事実を認めて引き受けること→これが「赦す」です。

その出来事によって発生した「損」を認めて、それは取り返しがつかないことを認めて諦めて、仕方ないと理解して納得して、母親を赦す。

どちらにしろ「そうであるものはそう」なのですから。

あなたは完全に100%存在してもいいです。

存在しているのですから。

あなたが神に愛されている一番の証明は、あなたがここにいることです。

存在は既に許可されているのです。

許可されているのに、許可を求めても手に入りません。

既に空気を吸っているのに、「空気がない!」と騒ぎ立てられても困るのと同じです。

愛されるにはこうでなければというジャッジは全部ウソです。

あなたは存在しているだけで愛されているのです。

ま、、、そうは思えないでしょう。

なぜなら、私たちの最初の人間関係は、母親であり、最初の人間関係は、初めての自我だからです。

つまり、母親が100%愛されていると思えなければ、自分が100%愛されているとは思えないのです。

だからこそ、自分を信頼できないし、人生を信頼できない。

それは単に無知だから、理解が不足しているからそう思うだけ。

単なる「勘違い」なんです。

その勘違いを深く理解して、「自分は存在しても良い!既に神に愛されている!」と納得すると人生は驚くほど楽に優しくなります。

松井万理

追伸:
勘違いを紐解いて修正していけば、結局私たちは自然物なので、勝手に自然の法則と調和した行動や生活を送り始めます。

もし、生活に調和がないのなら、勘違いがまだあるだけです。

どんな勘違いかは分かりませんが、その勘違いがなくなれば自然の法則により忠実になれます。

そして自然の法則に忠実になればなるほど、人生は上手くいきます。

「自然の法則に従えば、上手くいく」

です。

ほんじゃ!また!!

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