スマホからSNSを消したら・・・?

松井です。

「スマホからFacebookのアプリを消しました」

というのも、時間配分を変えたかったからです。

ネット上でマッキンゼーの大前研一さんの言葉と流布されている以下の文言がそのとおりだと感じているからです。

以下、引用・・・

人間が変わる方法は三つしかない。一つは時間配分を変える、二番目は住む場所を変える、三番目は付き合う人を変える、この三つの方法でしか人間は変わらない。もっとも無意味なのは「決意を新たにする」ことだ。かつて決意して何か変わっただろうか。行動を変えない限り、決意だけでは何も変わらない。

大前研一『時間とムダの科学』

ということで、スマホのSNSに使う時間を減らそうと思いアプリを削除しました。

さて、この出来事は以下の自然法則を日常生活に応用しています。

1:千里の道も一歩から → 大きな事をやるには、眼の前の一歩を着実に進める

2:私達は触れるものに影響を受ける

どちらも当たり前のように聞こえる、この2つの法則を応用しました。

繰り返し言いますが、「自然の法則に従えば上手くいく」のです。

ですので、私が良いなと思っている人生に向けて、スマホのアプリを消してみました。


【千里の道も一歩から】

多くの人が上手くいかない大きな理由のひとつが、、、

「一気に物事を変えようとする(目標や願いがでかすぎる)」

ということです。

もし、先延ばしグセを辞めたいのなら、今この瞬間に先延ばしにしていたことを10秒だけやる。

このくらいの「小さな一歩」を「踏み続ける」ことが重要なのです。

大きな夢だったり、本当に根本的な解決ほど、実はやるべき眼の前の一歩は小さな物です。

その小さな小さな一歩を怠る人が、大きな事をできるはずがありません。

例えば、ビーチクリーンをしよう!と思ってもなかなかできないのなら「今日、家の前のゴミを一つ持ち帰って捨てる」とかね。

これ逆の現象でも然りでして、「今日はちょっといいかなぁ、、、、」という油断が。徐々に大きなことになります。

例えば、いつもはゴミを家に持ち帰って捨てていたのに「今日くらい良いかな・・・」と今持っているゴミをポイ捨てしたとする。

そうすると、不思議とだんだんとゴミを持っていることが煩わしくなったり、ポイ捨てが常習化して、最終的には不法投棄をしたりする。

他にも、このくらいの嘘なら良いよねと社交辞令を言ってみたり、適当な言葉を使うようになって結果暮らしが荒れていくということが起こります。

小さな選択は、小さな選択だけですみません。

進行しますし、その進行には複利の効果がかかるからです。

これが自然の法則です。

小さな種が、巨大な大樹になるのはこのような小さな選択が複利効果により、倍増させられるからです。

だからこそ、眼の前の小さな小さな選択が重要であり、それを積み上げていくことが重要なのです。

・・・

で、、、

面白いのがより本質的で巨大なビジョンほど、小さな一歩が目立たなくなります。

故に,周囲の人には理解されないw

大きなことを成し遂げる時は人に理解されないという法則もリンクしますね。(つまり人に理解されないことが実は正解ですw)

ほんでもう一つの法則が...

【私達をつくるもの(触れたものによってできる)】

さて、あなたはスマホのFacebookをどのくらい開きますか?

私は、隙間があればちょこっと見るを何度も、何度もしています。

複利効果は回数によって発動しますので、このちょこっとで目に入る「広告」や「自慢記事」の影響がどんどん巨大になります。

その結果、それら切り取られている嘘の記事と自分を比較してしまい、、、

「自分はダメなんじゃないか?」
「もっとやるべき事があるんじゃないか?」
「もっと稼がないと!もっと頑張らんと!」

と、言う影響を受けてしまいます。

「私たちの身体は食べたの物でできている」You are what you eat

と言いますよね。

食べ物というのは、分解されて腸に「触れる」ことで細胞が取り入れられ(それと同時に排出され)身体になります。

それと同じように「視覚」という器官に触れた、「情報」も取り入れられて(それと同時に排出され)考えかたを方向づけます。

だからこそ、他人の切り取られた自慢をちょこちょこと見ると、その影響を知らず知らずのうちにうけるってことですね。

食べ物に気を使う人は結構いますが、触れる情報に気を使う人はまだまだ少ないのかもしれません。

電車に乗っている時、ほとんどの人がスマホをいじっていることからもそれが伺いしれます。

スマホゲームがユーザーを中毒にさせるための仕組みや、そこで展開されている「争い」という世界観。そういう特に意識もしてない設定が知らず知らず「無意識」に影響を与えます。

だから、まあ、辞めたほうが言いと思ってアプリ消してみました。

PCでは見るんで、完全に絶ったわけではないですが、見る回数は圧倒的に減ったのでいい感じだと思います。

要するに、他人の自慢をちょこちょこと見ることで何も得られるものは皆無ってことですね。

「いや!SNSでも役に立つ情報はある!」

と、言いたくなるかもしれません。

そして役に立つ情報が無いわけではないでしょう。

しかし、それ(役に立つ情報)以上に、切り取られた自慢物語とフェイクニュースによる悪影響の方が強いと考えています。

ってか、ほとんど広告じゃん!有名人の名前を騙った広告がマジで多すぎじゃないですか?

・・・って話はそれていますので、元に戻していきましょう。

さて、他人の自慢話をちょこちょこ見る弊害は要するに・・・

【比較による悪影響】

です。

比較して「欲」を刺激することは、ある段階に至るまでは重要なことではあります。(意識レベル125(欲望)以下の場合は、刺激してエネルギーを高めることが大切)

しかし、現代社会で生きている私たちに取ってはほぼ必要がありません。

比較によって、私たちは不足感や切望(渇望)感を掻き立てられるからです。(また恥、罪悪感も刺激されます)

私たちは欲望がなければ絶望的な状況を打破する行動を起こすのは簡単ではありません。

しかし、欲や怒りという原動力を使って人生を変えるのは破壊的な人生の変えかたですよね。

ですので、何度も何度もその動機で人生を動かすのは、ま、、、いのちが弱くなります。

だからこそ、もっと違う動機で人生を動かす必要があります。

って、私が言いたいのは・・・

「比較はほとんどの人には役に立たない」(特に先進国にお住まいのかたにはw)

ということです。

不足感を生み出して、ドーパミンを刺激しますからね。

後、、、余談ですが恐怖を刺激するニュースも強烈な悪影響があると思ってます。

何の意味もない上に、人の尊厳を侵害するからです。

尊厳を侵害されると人は、確実にネガティブな行為を起こすので、ま、、、、控えめに言って無駄だと感じています。

面白おかしくニュースを見れるならばありですけどwww

ちなみに余談ついでにニュースは珍しいお話だからニュースになります。故に日常ではほとんどお目にかかれない現象です。

つまり統計的にほとんど起きない。

でも、ニュースになるとめちゃんこ遭遇するかのように勘違いします。

ホント無駄だし、勘違いを引き起こすし、なんの益もないですねwww

だからこそ、そこに対する小さな一歩としてスマホのアプリを消してみたって話なだけ。

【すでにある豊かさに気づく】

「比較を辞めれば既にある豊かさに気づけるのか?」

それ”だけ”で、そうなれるとは言い切れません。

しかし、比較を辞めることはそのための大きな前進であることは間違いないです。

だからこそ、余計なものには見ない、聞かない、触れない。

それが重要になってくると考えています。

他にもいろいろとやる必要はあります。

私たちは既に豊かな世界を生きていますが、いろいろと勘違いが多くそうは実感していません。

だからこそ、いろいろ悩むのです。

まっ、、どちらにしろできることは小さいです。

逆に言えば、小さい事をやり続ければ意外と大きな願いが叶ってしまうものです。

ぜひ、、、試してみてねww

松井万理

追伸:
インスタント的な物に触れれば触れるほど考え方もインスタントになります。

我慢ができず、すぐに答えが欲しいからこそ、極端な考えになります。

そうすることで自分自身にも極端な考えを適応するので、不安が大きくなったり、生きづらくなります。

なぜなら、自然界は極端じゃないからです。

※自分の考えと、実際が食い違えば食い違うほどに人生は簡単ではなくなる。

追伸2:
ついに、新しいシリーズが始まります。

新シリーズは、、、

「人生の地図」

です。

自然の法則に沿った、発達の流れ。

人生のテンプレートについて詳しく解説していきます。

こう言った「自然の法則」に沿った考えかたに触れていけば、段々と人生は楽に、簡単になっていきます。

繰り返し触れることが大切です。

だから、毎日出すようにしています。

※と、、、いいながら先週は出せなかったよww

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