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ブラック校則…というより、校則がある意味は何か?

学校の先生をしている夫です。
最近は、ブラック校則をはじめ、従来の学校の「慣習」が見直されつつあります。

話題になった校則の実例(とそれに関する私なりのツッコミ)
〇東京都立高校のツーブロックの禁止・・・外見が原因で、事件や事故を防ぐ(東京都議会 教育長の答弁)
→髪型による事件や事故に遭ったケースはあるのだろうか?

〇ポニーテールの禁止・・・男子がうなじに興奮するから(鹿児島県のある中学校)
→そんなことあり得る?

〇下着の色の指定がされ、男性教員が確認する
→セクシャルハラスメントと声を上げる教師はいなかったのだろうか?

実例を聞く度に、このご時世、このような校則(?)がまかり通っていたことが不思議でなりません。

何のためにその校則はあるのか?と生徒に質問された教師は全て答えられるのでしょうか?
それが答えられないのであれば、必要のない校則ではないだろうか?

このニュースを見たとき、私が感じたことです。
この話を夫にしたとき、夫も同様に感じていたようです。

そもそも、校則・・・以前に、きまりはなぜあるのか?
「決められているものだから、守らなければならない」
このように考える教師は少なからずいらっしゃるかもしれません。
つまり、既にあるものだから、その流れに乗るべきだという考えなのでしょうね。

ただ、本来であれば、何等かの課題や問題が発生し、それを未然に防ぐためにきまり(校則)はあるものに他なりません。

それは、きまりが制定された要因を踏まえなければ、ある意味はないだろうと私は考えています。

校則でさえ、それが制定されたのが、私が子どもの頃、また、それ以前のものであれば、そのきまりが現代にも通用するものなのか、見直す必要があるものでしょう。
見直した際、それが現代の子どもたちの生活にそぐわないものであれば、積極的に改変、または、廃止するべきものです。

このような報道がされることを受けたのか、今年、いわゆる“ブラック校則”が問題となるなか、都立学校では校則の見直しが進められ、新年度から多くの学校で撤廃されることになったそうです。

この流れを作った事例は東京都内でもあったように思います。

例えば、
〇千代田区立麹町中学校 前校長 工藤勇一先生による校則・宿題・定期テストの廃止
※「学校の当たり前をやめた」(時事通信社  2018年)に関することは以前の記事に書いた通りです。

〇世田谷区立桜丘中学校 前校長西郷孝彦校長による校則の廃止

たまたま東京都内の公立中学校の話でしたが、私だけでなく、学校の先生をしている夫にとっても衝撃的なものでした。

〇岩手県大槌高校の校則検討委員会

「頭の良い(偏差値が高い)学校だから、校則を無くすことができるでしょ。」という声に真っ向から異議を挙げた大槌高校の生徒とのこと。

確かに、インターネットの情報によると、こちらの高校は偏差値が高いとは言い難いようです。
それでも、自分たちで考え、それを行動に移す、ということは素晴らしいものですし、何よりも、それが本来の学校の姿ではないでしょうか?

子どもだから「できない」と決めつけることこそ、子どもの成長を止めてしまうものではないのか?と常々考えています。
夫もその考えは同様でした。

自分たちの行動を促すためのきまりはあってもよいでしょうが、単に、子どもの行動を制限する、場合によっては過保護が過ぎて、生徒の行動を抑え込むものであれば、それは改善するときが早い方がよいでしょう。

いくら学習指導要領の改訂、ギガスクール構想といった学校のハード面の変化があったとしても、それを子どもとともに動かす教師が変わらなければその変化の効果は乏しいものになるでしょう。

夫のことばを借りれば、「学校は子どもが成長する場」です。その成長過程は子どもの行動はもとより、学校の先生方の力に大きく左右されます。

子どもたちの成長に寄与する「きまり・校則」が全国の学校にある、それが当たり前と言われる学校になってほしいと切に願います。

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