見出し画像

(連載)第一話 鉄道開業150周年に思う

 2022年は、日本の鉄道が1872年(明治5年)10月、新橋・横浜間で開業してから150年周年に当たるそうである。そのほぼ半分を生きてきた私であるが、鉄道好きである。特に最近、地方の廃線が話題になる度に、思うところもある。

 鉄道には昔からファンが多く、今でも、乗り鉄や撮り鉄など、各地で見かける。鉄道の魅力は健在なのだ。しかし、廃線が進むちょっと前の時代を知る私からすると、鉄道の現状を見るにつけ、特に若いファンの皆さんには、気の毒な気持ちになる。ああそんなこともあったのかと、少しでも楽しく思ってもらえたら幸いと、「思い出」の一部を紹介する。

 さて、何から始めよう。鉄道好きについて何か語ろうとするときに、どうしても触れなければならない二人がいる。内田百閒(1889-1971)と宮脇俊三(1926-2003)だ。

 山好きには深田久弥の「日本百名山」があり、渓流釣り好きには山本素石の「山釣り放浪記」がある。自分の足で急峻な山や奥深い沢を登り、五感を総動員して、自然や動植物の姿を見事に描く。時に自分自身=人間を見つめ、「好き」を超える普遍的な価値ある作品にまで高めている。更に、世界には、アイザック・ウォルトンの「釣魚大全」があり、日本には開高健がいて、奥が深い。

 一方、鉄道好きの方は、かつて誰かが苦労して敷いた鉄路、ときに命を落としながら掘り、架けたトンネルや橋梁を、機関士や運転士が操縦する列車に、客として乗って揺られ、「紀行する」のだから、多くの場合、随分他力本願ではある。

 ただ、百閒と宮脇は、やや別格と思う。

 百閒は、初期の幻想的な短編小説や、さまざまな随筆を残しており、鉄道シリーズはその一部である。

(写真)阿房列車は、第一・第二・第三にまとめられた3部作として装いを新たにしている。時刻表2万キロも文庫化されているが、その他の著作の多くが手に入れにくくなっている。

 造り酒屋の一人息子に生まれて何不自由なく育ち、戦前、東京帝国大学を卒業後、陸軍士官学校で教鞭を取るなど、戦前戦中戦後を通じ、気ままに鉄道旅行をするには特権的な待遇が恵まれる階級に属したと言える。駅に着けば駅長が出迎え、宿では地元の名士と夕餉ゆうげを楽しみ、鉄道旅にはほとんど、「ヒマラヤ山系」の愛称で呼ぶ国鉄職員が世話係で付き添う「大名旅行」だ。そうでありながら、お金にはあまり縁がなかったようで、旅行に際しては、借りるのに屁理屈がつく、独特の「借金術」から費用を工面している。時にはいじらしい「節約」もする。

 百閒の紀行では、本人の性格が至る所に顔を出す。相当な偏屈であり、わがままで頑固、無愛想でもある。どうしても付き合わなければならない状況になったら、あるいはただ傍にいるだけでも、多分、ただの偏屈親父に思えても致し方ないだろう。なのに、何か憎めない、不思議なおかしさが漂う。世の中の動きに翻弄されず、黙して、しかし偏屈・我儘に我が道を歩む姿に、潔さのような憧れを抱いてしまう時がある愛読書だ。なお、註に、「電車の中などでは決して読まないように」とあり、「思わず吹き出して恥ずかしい思いをするから」とあるが、私も、何度か経験があり、人がいるところでは、決して読まないようにしてきた。

 「阿房列車」という鉄道紀行シリーズの最初を飾る「特別阿房列車」の冒頭で、百閒は「阿房と云うのは、人の思はくに調子を合はせてさう云ふだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考えてはゐない。用事がなければどこへも行ってはいけないと云ふ訳はない。何にも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思ふ。」(『阿房列車』、三笠書房、1952年6月)

 「用事がなければどこへも行ってはいけないという訳ではない」というところが大変気に入り、「用事」がないのにふらふら出かけたくなる時、自分に言い聞かせた。

 一方宮脇は、国鉄全線完乗を果たした記録「時刻表2万キロ」(河出書房新社1978年7月)の冒頭で、「鉄道の時刻表にも愛読者がいる。時刻表本来の用途からすれば、愛読の対象となるべき書物ではないが、とにかくいる。しかも、その数は少なくないという。私もそのひとりである。」と述べ、愛読者として何時間も時刻表を読み耽り、「そういうわけで、時々『時刻表に乗る』ための旅行に出かけていた。」とし、「児戯に類した乗車目的は、なるべく人に言わないで済ませたい。」と、一人黙々と金曜日の夜行列車で旅に出かける。

 宮脇は、中央公論編集長という仕事を抱えながら、他人に何と思われようがお構いなく、一人孤独にひたすら全線完乗を目指す。「純粋」な鉄道好きの、「かなり変わった」紀行文に終始している。なぜ変わっているかというと、その目的が明確で人を寄せ付けず、紀行文につきものの旅情を感じさせる記述が少ない(ほとんどない時もある)からかもしれない。ただ、鉄道好きは、行間にも「旅情」を読み取る。また、なぜか人を引き込む不思議な魅力を放ち、まるで孤高の「求道者」のような趣がある。

(写真)宮脇のシリーズでは、「台湾鉄路千公里」(1980年)が2番目に好きで、好きが高じて、2017年5月、花蓮から台北まで、汽車に乗り、駅弁を食べることになった。費用を抑えるために台湾一周格安バスツアーで行ったので、台北・高雄間新幹線や台東回りの列車には乗れなかった。

 鉄道史の中では、内田百閒は、戦前・戦中・戦後を通じた国鉄興隆・復興の「華の時代」、宮脇は、1987年4月の分割民営化と全国的な廃線を挟み、興隆から一気に衰退に差し掛かる「受難の時代」の記録と言える。廃線が続く今日からすると、哀愁が漂う。是非ご一読をお勧めする。

 鉄道ファンの歴史は長く、もはや「ファン」と言うのが失礼に思える、「その道」を極めたファンがたくさんいる。宮脇の著作にもその一部が紹介されているが、駅名の研究家や、列車運用研究家、駅弁研究家などなど多岐にわたる。最近は、「乗り鉄」と「撮り鉄」に大別されるようだが、時刻表ファン=「読む鉄」も健在のようだ。時刻表の中身をどんどん寂しくなってはいるが。

 私は、「乗り鉄」に近く、最近は「見る鉄」のことが多くなってきた。「撮り鉄」では、私の時代には、広田尚敬なおたか(1935〜)というすごい鉄道写真家がいて、また私は写真を撮るのが下手なので、写真の方は恐れ多くて近づけなかった。

(写真)途中の富良野駅で。C11率いる観光列車の編成風景と、ホームに集まるファン。- 2011年7月いずれも筆者撮影

 「乗る鉄」は、道中暇なので、いろいろなことに目が行く。切符には、「下車前途無効」という注意書きが印刷してある。簡潔明瞭だ。途中駅で降りたら、その時点で切符の残り部分は無効になるという意味だ。まるで人生みたいだ。一所懸命頑張ってきて、目的を達しないうちに道半ばで諦めたら、その先の人生は無い。う〜む、意味が深い。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第二話に続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?