月木人余論

長かった職業人生を、コロナの頃に卒業。親の介護が、昨日終わった。これまでの人生と職業経…

月木人余論

長かった職業人生を、コロナの頃に卒業。親の介護が、昨日終わった。これまでの人生と職業経験から学んだこと、考えたことを中心に、何か役に立つことがあれば幸いと、記事を書くことにしました。海外の元部下から贈られた達筆の書画「徳必有隣」(徳があれば必ず理解者が現れる)が信条です。

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バナナが背負う荷

バナナは、話題の多い果物だ。  エンジェルスの大谷選手が、試合の中盤に、ベンチで一本のバナナの皮を剥いて頬張る場面がしばしば放映される。4枚の皮を途中まで丁寧に剥いて3口くらいで食べ、決して皮を床には捨てない。キャンデーの包み紙や紙コップを平気で床に捨てる選手が多い(大谷選手が時々「掃除」している姿も映る)なか、正しい作法です。  「バナナの叩き売り」は、昭和の時代を生きた人の記憶に残っているだろう。 叩き売りの発祥地は北九州の門司港で、1906年、初めてバナナ(台湾産)

    • 大きなお金の使い方

       脆弱化するインフラ  年初に起きた能登半島地震では、今だに多くの被災者が避難所生活を強いられている。倒壊の危険がある自宅を離れられない被災者もいる。断水、停電、損壊した道路などの復旧は、まだまだ相当な時間がかかる見通しという。  有数の高齢化地帯で、更に、道路・鉄道や港湾などインフラがズタズタに破壊された能登半島の現状を報道で見るにつけ、被災者の長引く苦境に心が痛むと共に、日本のインフラの置かれた現状に憂いを抱いてしまう。  インフラ再生研究会が2019年11月に刊行

      • 【開業151年】 鉄道論議は尽くされたのか?

         義父は、国鉄の保線区員として長く働いた。大雨や台風の日には家に帰らず、路線の保安と復旧に当たった。冬は北海道の雪深い保線区の応援に出かけ、何日も帰らなかった。  戦争中、少年義勇兵として満州(現中国東北部)に渡り、戦後迷わず国鉄に入ったのは、南満州鉄道を力強く走る列車に、心を激しく動かされたからだそうだ。当時、近隣の貧しい農村の若者の多くが満州に渡ったと言う。義勇兵時代に落馬して片手の骨が捻れ、憧れた機関士にはなれなかった。言葉の極めて少ない義父だったが、晩年、生涯最初で

        • 「元派遣社員」という言い方が引っ掛かる

           NTT子会社から900万件の個人情報が漏洩した事件は、連日報道されている。どうも引っ掛かるのは、テレビでも新聞でも、「元派遣社員」が起こした事件と連呼されていることだ。NTTの発表文を見ると、「元派遣社員」がやったことと明記してあるので、報道記者もそれに従ったのだろう。  なんで「社員」ではいけないのか? 派遣というのは雇用形態を指す言葉で、わざわざ最初から雇用形態を持ち出して「派遣社員」と言うのには、理由があるように見えてしょうがない。  事件を起こした社員は、10数

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        バナナが背負う荷

          やっぱり、上高地は良いな

           目の前に広がる圧巻の穂高連峰。澄んだ流れの梓川。やはり、上高地は良い。  55年ぶりに、その上高地を訪ねた。妻は一度行きたいと言っていた。以前とは趣は違っているが、やはり一度は訪ねる価値のある場所だと思う。  紅葉1週間前で、まだ大混雑というほどではなかったが、十分混んでいた。登山客、観光客、外国人旅行者がそれぞれ3分の1づつと言った感じ。東京と新宿から上高地行き高速バスに乗ると、5時間ほどで上高地のバスターミナルに着く。早朝に着く夜行バスもある。スーツケースを引っ張る

          やっぱり、上高地は良いな

          想像する力

           「想像力が足りないな」と呟くことが多くなった。色々な報道を見たり聞いたり、あるいは何かを考えたりする時にそう感じる。  出発点として「定義」を調べてみる。「【想像】今現実に存在しないものを頭に思い描く意で、くだけた会話からから硬い文章まで幅広く使われる漢語。・・・→「空想」・「幻想」・「夢想」・「妄想」・「連想」」(中村明著「日本語語感の辞典」2010年岩波書店)が一番ピッタリする。 想像力にはいろいろな展開がある  想像力を、その「自由さ」に向かって引っ張って行く先

          よいクマ、わるいクマ

           子グマは愛らしく、子供にも大人にも人気がある。 ぬいぐるみでは定番の一つだし、テディ・ベアは(持ち主が)成長しても大切に持っている人も多い。動物園でも人気だ。NHKも大好きなようで、知床の大自然を特集した番組に、「野生のクマ」は欠かせない。特に親子連れは。   鮭を咥えた木彫のクマは、一昔前、北海道土産の定番だった。私の実家にも飾ってあった。「ここが俺達の山。登別といえばクマ牧場!愉快な仲間が待ってるぜ♪」で有名な牧場は1958年開業で、世界で初めて「多頭集団飼育」に成功

          よいクマ、わるいクマ

          「まずい」の基準

           グルメ番組が相変わらず多い。安上がりで作れるからだろう。人が美味しそうなものを食べているのを見ても、美味しくない。そして、多くが高い。安いのは、たいてい量で勝負という感じだ。  私はグルメではないが、「不味いもの」の基準がある。大塚のボンカレーと日清のカップヌードルだ。但し、カップヌードルは時々、無性に食べたくなるし、ギリギリ美味しいの部類に入るかも知れない。大塚のボンカレーは安いから、それぞれ取り柄もある。  ある日同僚と食堂に行って、あまりの不味さに、「どうしたらこ

          「まずい」の基準

          75年目のラブレター

           昭和20年8月6日、最初の原爆が広島に投下された日、父は呉の軍港にいた。出撃していれば、私は多分、この世に存在しなかったかもしれない。  父は18年前に亡くなったが、葬儀の時に初めて知った。2年前に、手付かずにしていた遺品整理をしていると、生涯の記録がいくつか出てきた。例えば; 佐世保鎮守府海軍志願兵徴募官の「甲種飛行兵に適する」証書 運輸通信省の「三級滑空士免状」 グライダーを前に飛行服姿で同期生と並んだ一枚の写真 高等工業専門学校の成績表と免状 進学するも海

          75年目のラブレター

          478人の重み

           ジャニーズ事務所が2度目の記者会見を開き、その報道が始まっている。   会見冒頭部分で、井ノ原快彦氏が、「被害者に対する誹謗中傷をやめてほしい」と訴えた。SNSや投稿サイトは、被害者に対する大量の誹謗中傷で溢れている。被害者にとっては「二次被害」で、性的加害事件で、被害を受けながら言い出せない社会環境を作っている。  この問題に触れるのは避けてきたが、私の関心は2点に絞られる。 ① 長期にわたる子どもへの性的虐待という、重大な人権侵害の犯罪を、日本社会はどのように受け

           家族の死 〜永遠の不在〜

           金曜の夜、母が94年6ヶ月の生涯を閉じた。  認知症が進み、すでに「緩慢な死」が進んでいたので、見送る側にも心の準備は出来ていた。安置所に向かう車を追走するうちに小雨が降り出した。テールランプを眺めていると、知らぬ間に、昔の記憶が断片的に蘇ってきた。目が少し曇った。 認知症で長く施設に入っていた父は、18年前に世を去っていた。  妻は、若い弟(22年前の9月)、その翌月10月に母、4年後の18年前に父を、相次いで喪くしていた。  肉親でも、兄弟姉妹、若い人の死は、衝撃

           家族の死 〜永遠の不在〜

          「仕事普段着」に見るお国柄

           アメリカの企業は、「オフサイト・ミーティング」が好きだ。会社以外の場所で開く会議で、研修を目的とすることが多い。国土が広く、参加者の出身地も様々だから、たまには本社以外の場所を選ぶという公平性か、気分を変えるとより良い考えが浮かぶという期待の表れか? 場所が風光明媚な観光地だったりすると、参加者の期待は膨らむが、建前上「遊び」ではない。  会議案内の隅に、たいてい「ドレス・コード」が書いてある。会議中何を着るかを指示する「服装規程」だが、「ビジネス・カジュアル」と言う指定

          「仕事普段着」に見るお国柄

          韓国文学放浪記

           コロナで引きこもり生活が続いた頃、韓国の本を立て続けに読んだ。  韓国は出張で何度も訪れたが、仕事なのでオフィス、ホテル、レストランくらいしか行かない。韓国語も教材は揃えたが、話せない。韓国の若いスタッフとは英語で話し、夜の席では梯子もして打ち解けたが、年の差のせいか、話題は当たり障りのないことばかり。何度も行ったのに、韓国を深く知らない。こうした思いが鬱積していたのが原因だろう。同じ頃見た映画「タクシー運転手」と「パラサイト」の影響もあったかもしれない。  最近は大き

          韓国文学放浪記

          子供と大人と学校と社会

           子供の社会で起きることは、たいてい大人の社会で起きていることを反映している。ずっとそう思っている。本気で。  子供は大人をよく見ている。子供社会のいじめは、大人社会のいじめを真似ているように思えてならない。特に「陰湿ないじめ」の手口の報道を目にすると、大人社会の反映、あるいは真似に見える。  子供には特有の残酷さがある。限度を知らず、いじめが被害者の子供を追い込み、死に至らしめることまでは思いが及ばない。反省の色が見えない(分からない)子供もいるようなのは、相当深刻だ。

          子供と大人と学校と社会

          旅先で本屋に立ち寄る 〜 花蓮へ

          ニューヨークで池波正太郎  海外旅行や出張先で、すきま時間を見つけて本屋に行くことがある。子供が小さかった頃は、絵本や珍しい文房具を見つけるのが楽しみで、お土産に買うこともあった。  ニューヨークのブレンターノという書店は老舗で、結構有名だ。先日見た映画「チャリング・クロス街18番地」で、ニューヨークに住む主人公の脚本家が、もう一人の主人公でロンドンの古書店主に宛てた手紙で、「(本を探して)ブレンターノにも行ったのよ」という短いセリフの音読が、1秒くらい字幕に出ていた。

          旅先で本屋に立ち寄る 〜 花蓮へ

          今日は「なにじん」で行こうか?

           先日テレビの報道番組で、ウクライナの前線を訪ねる部隊同行取材の様子が放映された。敵側から数キロしか離れていない陣地で戦闘に備える兵士に、前の職業を聞くと、「年金生活者」という短い答えが返ってきた。記者は兵士が若くないのを見て思わず聞いたのだろう、名前の後に「(50代)」という字幕が入っていた。  ウクライナ語で1秒もかからない言葉は、言外の意味を暗示していたと思う。年金生活者も動員されていると言う現実だ。戦争がなければ、孫に囲まれた平穏な生活ができていただろうに。ロシア軍

          今日は「なにじん」で行こうか?