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まだ観ていない映画『オッペンハイマー』と核 (845文字)

 映画『オッペンハイマー』をまだ観ていませんが、数多くのYOUTUBE動画で解説しているので、既に観たような錯覚に陥ってしまっています。

 映画自体未観なので、内容について触れるわけには行きません。そこで、私のオッペンハイマー観を書いていきたいと思います。

 オッペンハイマーがマンハッタン計画を指揮していたからといって、私はオッペンハイマーを呪詛する気持ちはありません。オッペンハイマーがしなくても、誰かが核爆弾を製造したでしょう。
 オッペンハイマー(や他の物理学者ら)は、地球上で核分裂反応が起きたら、連鎖していき最終的には地球全体で核分裂反応が起こるのではないかという可能性を心配したそうです。現実には、核分裂反応は限定的な地域・空域にしか影響を与えませんでしたが、その被害は人類が経験したことがない規模と被害状況でした。これは、許しがたい残虐行為と言えます。
 しかし、放射線を別にすれば核爆弾の被害と、ナパーム弾の被害や気化爆弾の被害の悲惨さは、規模は違えど同種であるといえないことはありません。ただし、爆撃の後に残る被害は酷いもので、「いくらなんでもやり過ぎだ。」と思います。核爆弾の場合は、さらに放射線の被害が加わります。

 一般論ですが、核爆弾に否定的なアメリカ人は、オッペンハイマーに核爆弾の責任の多くを押し付けているように感じます。オッペンハイマーは、核爆弾開発の象徴的な存在ですが、故人を政治利用するような態度は感心しません。
 第二次世界大戦時に、軍事協力させられた天才は随分不幸な目に合っています。オッペンハイマーもそうですが、イギリスのアラン・チューリングもそうです。

 仮に戦争に利用されその後の人生は幸福ではなかった人がいたとしても、アメリカのトルーマン元大統領が日本に二発の核爆弾を投下し非戦闘員を大量に殺傷した戦争犯罪がゆるされるべきではありません。でも残念ながら、敗戦国が戦勝国を告発する国際システムは現在存在しません。

#オッペンハイマー #核爆弾 #トルーマン

 

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