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「あっ、そっか。」という無意味な気づき (2650文字)

 以前、実に嫌な先輩が職場にいました。
 そいつは(男です。)、身長も体力もあり、馬力に物を言わせて仕事ができるので上司も指導を遠慮する存在なのですが、暴力的な言動で後輩を追い込むという、絵に描いたような「職場の異物」でした(以下その嫌な先輩のことを「異物」と言うことがあります。)。
 その異物の勢いがあった時代(全盛期)というのは、まだ事務機器は発展初期の段階で、現場では人手集約的な仕事のやり方中心でした。コピー機は青焼き機(ジアゾ式複写機)で白焼き機(現代の主流のコピー機)ではなく、電卓は機械式計算機(手回し式計算機)から電卓に移行しつつあったのですが、その電卓も交流電源使用でLSIを4個使用していて価格も高価でした。だから電卓が壊れたら(これが頻繁に壊れます。)買い替えでなく修理で対応していました(電卓戦争がはじまり、電卓の価格が下落したのはこのすぐ後です。)。そんなときですから、算盤で掛け算・割り算をやる人が多くいました。
 そんな職場環境でしたから、「口を動かさずに手を動かせ」などと言われ、業務の連絡や確認をするのも隠れてしなければならない有様でした。「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」というビジネスワードが言われはじめたのはかなり時代が下ってからです。ですから仕事が息詰まったら孤立無援になり、精神を病んでしまって離職していく職員が少なくありませんでした。今はメンタルヘルスケアを重視しますが、当時は精神を病んでいるという状態を正しく治療するという感覚がほとんどありませんでした。

 そんな業務環境ですから、現場の細かなことを断定し断行する職員は重宝がられ、前記の異物は重宝がられていました。
 当の「異物」もそういうことを自覚していて、主体的に多くの仕事量をこなしていたのですが、自分の指示ややり方について一切の疑問を許さず、言うことを聞かない部下や後輩は倉庫の隅に連れ出して有形力を行使していました(相撲でいう「かわいがり」です。)。
 その「異物」の口癖が「あっ、そっか。」で、辛辣な言動の後にそれを言うのが常でした。「あっ、そっか。」と言っても、自分が言いすぎたことに気づいたというのではなく、表面的にそう装っているだけだということを明示している嫌な態度です。例えていえば、酒に寄った上司が「・・・。あっ、酔っ払って本当のこと言っちゃった。」というようなもので、バカを絵に書いたようです。「驕る平家は久しからず。」と思わせますね。

 それでも世の中にはコバンザメみたいな人間が多いもので、この「あっ、そっか。」を慣用句のように使う職員も増えていき、「あっ、そっか。」一派ともいうべき勢力が拡大して行きました。ケンカが強い同級生に焼きそばパンを買ってこいと言われていそいそと買いに行くような感じです。

 私は職場が違ったので、直接そいつの被害に合ったことはないのですが、被害者の話しを聞く度に「そんなガキ大将みたいな奴が仕事の社会に存在しそれを許容しているとは、この職場は恐ろしく前近代的な組織だ。」と思っていました。私は理屈で納得しないとその先に進めないタイプだったので(今でもそうですが)、その異物と同じ職場になるとイジメられる一派になりそうでした。もしそうなったら、腕力では勝ち目がないので、私は窮地に陥っていたかもしれません。
 その時代はまだアニメ『巨人の星』や、女子バレーボール東洋の魔女の大松監督の「黙って俺について来い。」というのが主流の考えでした。
 同時代の日本の多くの人たちは、「昨日のように今日が来て、今日のように明日が来る。」と信じていたのだろうと思います。
 しかし、点接触型トランジスタの実用以来、エレクトロニクス技術は少しずつしかし確実に発展しつづけていました。
 日本語ワープロが導入されて、私の職場は大きく変わりはじめました。その頃には電卓戦争も終わりかけていて、多くの会社が電卓から手を引いたり倒産したりしていて、マスゴミは連日企業倒産数の増加を報道していて「電卓が日本企業を滅ぼす」というような論調で騒いでいました。そんな時代でした。
 結局、電卓戦争で残った企業はシャープとカシオの二社だったと記憶しています。二社残ってくれてよかったと思います。一社だけだったら、アメリカから独占禁止法の適用を受け、電卓のアメリカ輸出に大きな影響が出たかも知れません。

 そして、徐々に職場に能率機器が導入され、パソコンと複合機(コピー・ファックス・スキャナーなどが一台で行える装置)を使えないと仕事にならなくなりました。
 異物は、そのような時代の流れに付いていけず、だんだんと存在感が薄れ出しました。電子機器を使う際に英語が多用されたこともあったかも知れません。当時の人は、だいたい英語が苦手でした。
 とにかく「毎日汗を流すことが仕事だ。」という時代は終わり、エアコンのある快適な職場でPDFファイルを印刷した書類を見ながらキーボードを叩くという職場風景になりました。

 異物は、加齢のせいもあったと思いますが、酒を飲んでは泥酔することが多くなりました。
 それでも、定年までは勤め、ひっそりと退職して行きました。

 しかし、昔有形力を行使されたり、意味なく辛辣な言葉を投げ掛けられた者の恨みは消えません。
 今でも、異物への恨みを口に出す者が少なからずいます。
 「あつ、そっか」という口癖も、「時代について行けなかった男の残党」といイメージが付いてしまいました。

 そうそう、異物がまだ在職中のことですが、ワープロソフトの「ワード」で宛名書きする方法が分からないそうで、私に聞きにきたことがありました。
 私は異物とは対立する立場だったので、異物としてはかなり譲歩したつもりで来たのでしょう。
 私の職場では「一太郎」を使っていたので、「ワード」は自力で覚えました。
 異物は私とは別の業務をしていたのですが、そこでは「ワード」を使わなければならず、異物は何日か頑張ったようですが結局だめだったようです。
 差し込み印刷すればいいだけなので、それほど難しくない操作なのですが、わざと英語をまじえて操作を図に書き手渡しました。
 そのときの異物の寂しそうな横顔には、かつての勢いなど微塵もありませんでした。
 でも、かつては後輩や部下を倉庫の奥でかわいがった男です。
 まったく同情しませんでした。

 その後数年して、異物は退職してきました。
 今はどこでなにをやっているのかも知りません。

以上

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