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COBOL(コボル)の頃

 コンピュータのプログラミング言語にCOBOL(COmmon Business Oriented Language コボル 事務用共通言語)というのがあります。
 かなり以前、コンピュータを扱う部署に異動になったとき、「少しでもコンピュータに近づきたい。」と思い、自分でこの本を買って勉強しました。私の仕事は、コンピュータから出力される「リスト」と呼ばれる帳票をチェックして異常があれば指摘するということでした。実際のコンピュータ操作は、外注されていて外注先の企業のSE(システムエンジニア)が行っていました。
 当時は、パソコンブームの頃で、書店にはMS-DOSやマッキントッシュの本が山積されていて、しかもかなり売れているようでした。パソコンはブームでしたが、実際に仕事で使われているのは大型コンピュータだったので、そこで使われているプログラミング言語を学ぶのが最も適切だと思ったのです。
 当時、外注先のSEの他に孫請け企業から若者が2名出向という形で来ていました。彼らは、コンピュータの専門学校を出ており、いろいろ教えてもらいました。
 でも、彼らには彼らの仕事があるので、教えてもらえるのは時間的に限られました。

 結局ほとんど独学でプログラミング言語を学ばなければなりませんでした。さてどうしようかと思ったのですが、ぱっと見、私にはプログラミング言語を勉強することと外国語を勉強することには類似性があるように思われました。そこで、ノートの左のページにプログラムコード(外国語の場合なら原文)を書き、左のページにそのコードの意味(外国語の場合なら訳)や文法を書いて勉強しました。これは、ひたすらテキストを写経するという根気のいる作業で、学生時代に英語やドイツ語の勉強をやっていなかったらバカらしくてこういう勉強方法なんかとらなかったでしょう。

 かなり努力したせいか時間をかければプログラムの内容の理解はできるようになり、また自分でも簡単なものならプログラムコードを書けるようになりました。しかし、なにしろ大型コンピュータ用のプログラミング言語ですから、自分で書いたプログラミングコードが思ったとおりに動くものかどうか気軽にテストすることができません。「なんとか英作文をしてみたけど、誰も見てくれないから正解なのか間違いなのか分からない。」という状態です。

 そのうち、世間ではC言語というパソコンで使えるプログラミング言語が流行してきて、私もC言語を覚えることにしました。COBOLをやり続けることに限界を感じていたのです。

 COBOLに取り組んだ期間は10箇月くらいでしたが、この間にコンピュータ技術や文化を勉強したように思います。その中には「配列」(はいれつ)など今はあまり使わないことも勉強しました。配列は、一次元配列は長屋、二次元配列はアパート、三次元配列は団地、と建物の形式に例えて理解しましたが、四次元以上の配列は何に例えて理解すればいいのか未だに分かりません。(私の理解では、「配列」はデータの格納方法の一種で、大量にあるデータを呼び出したり、加工して再格納するための方法です。長屋、アパート、団地は、各々「部屋番号」、「階数・部屋番号」、「棟番号・階数・部屋番号」で住人を特定できますが、それをコンピュータに応用したものと思います。)

 かつて、コンピュータは、政府機関や大企業それに軍という風にユーザが限定されていて、コンピュータの恩恵を受けるのも彼らだけでした。
 そこにパソコン(初期のころはマイコンと呼ばれていました。)が登場し、個々人がコンピュータを持ち、その恩恵を受けることができる時代が到来しましたが、その状態はブームにはなりましたが本気でパソコンに取り組んだ人の数はそれほど多くはなかったように思います。

 COBOLの本を見る度、「あの頃は、コンピュータを理解しようと燃えていたなぁ。」と懐かしく思います。

以上

#COBOL #コボル #プログラミング言語 #配列

 

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