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167 障害のある子が産まれたら、という心配は無用

 我々は、宇宙の法則を自分の好き勝手に変えることはできません。

 私の人生はこうであるべきです、私に生まれてくる子供はこうであるべきです、障害のある子など産まれるはずがありません、などと考えているのは傲慢(ごうまん)すぎ、ということでしょう。

 そんなに傲慢に思うならば、「冬は寒いから春のようになってほしい。夏は暑すぎるから秋のようになってほしい」となぜ思わないのですか? しかし我々は、冬に文句を言うのではなく、冬に耐えられるように適応する。夏に文句を言うのではなく、夏に耐えられるように適応する。

 障害をもつ子が生まれたら、自分に、他人に、文句を言うのではなく、適応するのです。適応しようと決めてしまえば、自分には不可思議なほど能力が隠れていたことが発見できます。結果として「この子が私の子に生まれてくれてよかった」と必ず思うでしょう。

『一分で読むブッダの教え』第3章 人生の悩みは、仏教で解決する《子育てと親孝行》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【いまここに生きる智慧―シスターが長老に聞きたかったこと 鈴木秀子 氏との共著 (2007年) p125】

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