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174 子供に先立たれたら、一番の供養は善行

 初期仏教では、日本の仏教と違って、遺族が自分で立派な人間になって、しっかりと人々を助けて生きなければ供養にならないのです。

 ですから、子供に先立たれ、死んだその子をすごく心配に思うなら、人々を助けたり社会に貢献したりして善いことをして生きること。そうすればその衝動になったのは我が子の死ですから、子供の供養にもなるという考えです。

 一人ひとりが独立している生命ですから、子供は子供の業を持っているし、親は親の業を持っています。子供に長寿になる業がなかったり、親のほうに子に老後の面倒を見てもらって、この世を去る業がなかったら、子供に先に死なれるのです。

 納得したくない話かもしれませんが、それが仏教の業です。要するに、親しい人に死なれたところで、泣き崩れても意味がない、ということです。

 何ができるかというと、たくさん善行為をして、亡くなられた人に廻向(えこう)する。それで自分もたくさん善行為をするから、自分も幸福になる。悪業のせいで悲しむはめになったならば、善行為をしてしまえばよいということです。

『一分で読むブッダの教え』第3章 人生の悩みは、仏教で解決する《子育てと親孝行》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【いまここに生きる智慧―シスターが長老に聞きたかったこと 鈴木秀子 氏との共著 (2007年) p141】

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