86 本当の自由とは?

 viriya 精進は、しっかり育てることができます。仏教では、この「精進を厳密に、確実に育てなければいけない」と言います。そうでないと、人間は自由にならないのです。目の奴隷、耳の奴隷、鼻の奴隷になってしまうのです。目から入るものを見る、耳から入るものを聞く、口から入るものを味わう、と、ただ引っかかるだけのものになってしまうのです。心は貪瞋痴のほうがやりやすいのです。怒ることはやりやすくて、怒らないことは難しいでしょう。欲張ることはやりやすいけど、欲張らないことは難しい。ですから貪瞋痴の反対の不貪瞋痴をやらせようと思ったら、これは大変です。魚に「歩け歩け」と言うほど大変なことなのです。しかし、心を育てるためには、精進しなければいけないのです。
 ですから、仏教ではこの心所〔精進〕を徹底的に育てるということは、もう、必然的なのです。育てれば育てるほど、我々は眼耳鼻舌身意の「『意』のまま」ではなくなるのです。そこに自由というものが生まれてきます。そこで初めて、見たいものを見る、聞きたいものを聞くということが生まれてくる。今はみなさん、「私は見たいものを見ている。聞きたいものを聞いている」と自分で思っているだけであって、それは勘違いです。我々は欲と怒りと無知の「『意』のまま」になっているのです。
『一瞬で心を磨くブッダの教え』第2章 仏教の教えを理解する《修行》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの実践心理学 第三巻 心所の分析 p72】

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