見出し画像

ー30半ばの医者が考えるー「若いうちは死ぬほど働け」は真実か?

どうもJay(ジェイ)です。30半ばで心臓の専門医をしています。

noteを書き始めて、2週間ほどですが、Xで感想を書いてくださる方もいて本当に嬉しく思っています。

さて、GWですが、自宅で仕事です。最近は休みを調整できるようになったので、毎年GWから少しずらして休暇を取り、家族で旅行に行っています。

GWただただ仕事しててもな〜というのもあり、社会人としての歩みを振り返り、10年以上医者としてハードワークしてきた、現段階での命題に対する結論を出してみたいと思います。


++++++++++++++++++

キャパは広げられる時に広げておくべき

結論を言えば、20代〜30代前半にハードワークをして本当に良かったと思っている。

昔の自分に救われている、と言ってもいいレベルだ。

最近はXの医者アカウントでも「研修医はハイポ病院で」とか「ドロップアウトしてバイト医」など比較的早めに医業に見切りをつけて”楽に稼げる立ち回り”を進めるものが目立つ。

これはおそらくはマネタイズ目的で、本当にそう考えているわけではないと思うが、実際に影響を受けている学生や新社会人がいらっしゃればぜひ、リアルな生の意見を聞いてもられるとありがたい。

++++++++++++++++++

僕はブラックと言って良い労働環境で働いてきた。

朝から晩まで病院にいたし、技術を磨くために積極的に担当でない手術にも入ったり、海外で発表もしたし、論文も書いた。

全て「自主的に」と言いたいところではあるが、実際はかなりハイパーな病院でもあったため、上司から尻を叩かれてヒイヒイ言いながらこなしていた部分もある。

上からのプレッシャーもあれば下からの突き上げもあり、その環境にしっかりと飲み込まれ、自分を追い込めた。

特に研修医の2年間は休みが全く言っていいほどなかった。

研修医は寮に住み込み、24時間365日病院から電話があればすぐに駆けつけるというシステムであったため、そもそも盆正月含め病院から離れたことがほぼない。「時間外」という概念は存在しなかったため計算したこともないが残業時間は異次元であったと思う。

その後は心臓を専門にするため別の病院に移ったが、そこでも基本的は月から金まで大体6ー7時から終電時間くらいまで病院にいたと思う。土日もどちらかは当番で、夜の呼び出しも3日に1回程度はあった。残業は200時間程度であった。

正直、研修医の生活は論外として、世の中一般からすれば月の時間外が200時間を優に超え、かつ待機や呼び出しもある状況というのは過酷であると思う。

ただ僕には研修医の地獄から比べると「休みがある」だけで天国のように感じられた。

独身だったこともあるが、完全に仕事から解放される日が月に数日あるだけで「全然いけるわ。」という感覚だった。

その後もいくつか病院を経験したが、20代の研修医時代に比べればどこも大したことなかった。

よそのゆるい研修病院から上がってきた仲間ではドロップアウト(自主退職)していく者も多かった。

「夜遅いのが辛い」、「呼び出しが辛い」、「上司からのプレッシャーが辛い」など理由は様々であったと思う。

僕としては「この程度の負荷で??」という感じだったが、振り返ってみれば、研修医のハードさでかなりキャパが広がっていたんだろう。

結局この勢いのまま心臓の専門医の資格までとってしまったわけだが、現在は心臓関係の一般的な手技や対応は自立して一人でできるようになっている。

もちろん、医者というものはここから細分化され高みを目指す仕事であるため、極めようと思えば先は果てしないのだが、就職レベルで言えば引き抜きのオファーが絶えることはない。

30代でこの状態になれば、すでにある程度の力があるため仕事にも余裕ができ、家庭や子育てにもバランスよくエネルギーを割くことができる。

30代は仕事以外にもエネルギーを注ぐべきことがたくさんある。子育てはもちろん、住居を探したり、資産形成など仕事以外にもやらなくてはいけないことがたくさん出てくる。

そこに体力低下も重なり、必然的に仕事へ集中してコミットできる時間は削られてしまう。このライフステージで20代をサボって過ごしていた人が仕事のパフォーマンスを上げることは無理に決まっている。

新人であることの強さ

20代をハードワークすることのメリットは単にキャパシティを広げるだけはない。
20代には「失敗できる」特権がある。

働き始めは誰でも失敗ばかりだ。業務そのものはもちろん、そこから派生する社会人としてのスキル(資料作りや接待のマネジメントなど)も足りていないため失敗して怒られることが多い。

ただ、この苦労を経験せずして30代になることはかなりまずい

のらりくらりと逃げ交わして歳を重ねることも可能だが、必ずどこかで化けの皮が剥がれてしまう。

例えば、医者であれば学会発表でそういった姿を目にすることがある。

40過ぎた医者が小学生みたいなスライドを引っ提げて発表に来たりする。そういう医者の発表は大体内容もレベルが低いのだが、

「この年まで誰からも指導されなかったんだろうか。。。」と悲しい気持ちになってしまう。

発表したところで、会場は白けた雰囲気満載で、当然オーディエンスからの質疑応答などは皆無。司会の議長が苦笑しながら気持ちばかりのお言葉を添えてプレゼンが終了する。

これが20代であれば「いやいやこのまま発表はちょっとまずいよ。」と必ず誰かが指導してくれるはずだ。

「最低限のお作法ができなければスタートラインにすら立てない」ということがよくわかっているからだ。

これを知らずに年だけ重ねてしまうと、先のような哀しきモンスターとなってしまうのだ。

そして何よりも切ないことは、当の本人がそれを自覚できないということだ。


若いうちの戦友は生涯の友人になる

そもそもそう言ったハードな環境に飛び込んでくる同期や仲間にはタフでガツガツしているなやつが多い。
そう言った同僚は大変刺激になるし、自分の力を必要以上に引き出せるようになる。

また、意外なことに個人的にはハードワークするやつの方が友人が多かったり、趣味がたくさんあったり、本をたくさん読んでたりすると思う。
そもそもの搭載されているエネルギー量が大きいのである。

そう言った仲間が揃った環境に身を置くと、仕事を頑張れることはもちろん、信じられない多忙な中でも意外と交友関係が広がったり、趣味の世界が広がったりする。
僕自身クソ忙しい生活の中、よくわからないフェスに行ったり、無名の噺家の寄席に行ったり、餃子を食べるためだけに日帰りで栃木まで行ったりした。

たまの休みには、一夏で燃え尽きる蝉の如く必死に全力で遊ぶため、漫然と過ごす休日がなく、思い出もできるというわけだ。

またハードな環境ではどうしても互いにメンタルが沈んでしまうタイミングがある。

僕も外科を回っている時は研修医時代でも最もキツイ時期だった。5時から仕事を始め6時から回診をして、カルテを書き8時から日付を超えるまで手術に入り、その後またカルテを書いて、午前2時過ぎに家に帰る。

仮眠程度の3時間の間にも緊急や急変で呼び出されることもしょっちゅうだった。

一人では心が折れていたと思う。

ただ、同じように外科をすでに回り終わった仲間から
「外科まじキツイよなーほんと死にそうだった。」とか「あと1ヶ月頑張れ。終わったら飲み行こう」などと励ましてもらい、なんとか死に物狂いで乗り切った。

研修医という組織の底辺で異常な負荷にさらされる日々は、仲間がいなければ心が折れていたと思う。

一方で、組織の底辺同士である若いうちの方が、自然に友情を深めやすい。

その後に、各々が、他の職場や業界に羽ばたいていったたあとも、こういう仲間とは繋がっていられる。

僕には10年近く経つ今でも連絡一つ入れればすぐに集まる仲間がいる。一度集まれば思い出話に尽きることはないし、タフなやつは他業界でも必ず頭角を示しているため、思いの外、仕事での繋がりも生まれたりする。

数年ぶりに同じ職場で再会したり、共にプロジェクトを行うことに際には、なんとも言えない嬉しさがある。

人生には”旬”がある

学生時代はお勉強だけでなく、青春を楽しんておくべきだと思うし、大学生では就活だけなく、怠惰なモラトリアムをしっかりと過ごしたら良い。

家庭をもって子供が産まれれば、思い切って育休をとって子育てをしながらを幸せを大変さと噛み締めるのも良い。

そして、若いうち、特に社会人になって数年は「死ぬほど働く」というのが一つの旬の形であると思う。

最近はパワハラだのライフワークバランスだの色々な言葉でこうした主張を聞く機会が減っていると感じる。

別に全員が無理に忙しく働く必要はないと思うが、もしハードワークしようと、というモチベーションがある人とはぜひやってみたらいいと思う。

その頑張りに必ず救われる日が必ず来るはず。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?