派遣録73 闘病記②

 ここからは、しばらく俺の闘病の話を聞いてほしい。
 …地獄だった。
失望と怒り、喪失の日々が始まった💦

歪んだ世界

 脳腫瘍を医師から告げられ、勧められるままに詳細なMRI画像が撮影できるクリニックを紹介され、改めて頭の撮影をすると、俺の後頭部、大脳と小脳の間に大きな腫瘍があることが確定的になった。
その腫瘍が俺の小脳を下に押し、首の神経を刺激していた、それが去年から続く頭痛、首の痛みの原因だったのだ。

 さらに、俺が年金事務所で倒れた後、俺は目がおかしくなった。
 焦点が合わないのだ…。なんだ、これは?
倒れる前はこんな感じではなかったぞ?

見るもの全てが二重に見えだした。ぼやけている💦
(これも腫瘍の影響か?)と思ったが、この時は分からなかった。

 俺はすぐに浜松医大病院へ入院する事になった。

 さらに精密に頭の映像を撮影した。時間をかけて撮影した。

 俺の主治医の松山医師(仮名)が説明してくれた。

 俺の後頭部に出来た脳腫瘍はかなり大きく、長い部分で最大6センチあった。
 ステージ2、だった。
 それが小脳、首の神経だけでなく、眼球頭の内部から押しているらしかった。
目がぼやけて、焦点が合わないのはその為だった。

 松山医師は俺に輸血用の採血🩸を勧めた。
というのとも、俺の腫瘍は脳の血管に出来る少し珍しいタイプの腫瘍で、手術で取るしかないないのだが、大量の出血🩸が見込まれた。
 なので、事前に大量に自身の血液🩸を“取っておこう”ということになった。

 俺は浜松医大に通院する事にした。
法令上、一週間に採取できる血液量は定められているらしく、一週間に400cc、それを一ヶ月(4週)で1600cc,採血することになり、その間に、腫瘍除去手術に向けての検査“前手術”などをす計画を立てた。

 …と一気に書いたが、ここまで年金事務所で倒れてから一ヶ月。怒濤のように日々は流れた。
俺は自らの腫瘍の大きさに驚きつつ、まだピンと来ていなかった。
 このレントゲン写真に映る“白い影”が俺の頭の中のことだと思えなかった。
 どこか、別の人の話ではないか?
 そんな気さえしていた。

 だが、首は痛い。
 “あの日”(倒れた日)から首の痛みは定期的に襲ってきて、頭痛もした。
 何より、目がおかしくなった。
 見るもの全てが歪み、ぼやけていた。

 松山医師からは、鎮痛剤が処方され、それを服用したら痛みは止み、目の焦点も合うようになった。

 そして“切れる”とまた痛み出した。また二重にぼやけ出した。

 俺の“世界”は変わってしまった…。

大震災とサンドイッチマン

 2011,3,11。
 その日は採血の日で、医大の帰りに両親とファミレスで食事をしていた。
 にわかに店が揺れた。あの日、浜松でも揺れた。それは覚えている。
 スマホのニュースを見たら、東北がエラいことになっているという情報だけが記されていた。
 帰宅し、テレビを付けると、海岸線の潮位が上がり出し、津波が人々を襲い出していた。

 何千人が津波の犠牲になった「」。

 そして、福島第一原発の危機をニュースは盛んに流していた。屋根がぶっ飛んでいたのを覚えている。

 街が流され、住宅が壊され、人が死んでいった。

 それを“脳腫瘍”の俺が観ていた。
 人間の日々はあまりにも脆い。“自然の力”の前に簡単に壊される。
 俺の命もそうだ。
 当時、俺は34歳。
 ここまで大病をしたこともなく生きてきた。
 対して良いこともしてないが、悪いこともしていない。
 社会に出て、散々嫌な思いをした。貧乏だ。ブラック企業でボロボロにされ、日雇いでは人間以下の扱い、正社員になれたら、コキ使われ、年金事務所では差別された。
それでも働くの楽しかった。
貧しくても、働いていたら良かった。頭にくること(本田部長や志の輔のアホ、友村)は多いが、それでも働けたら良かった。

 それでも、人は死んでしまう。
 悲しいかな、死ぬのだ。
 営みも、お金も、人生も“終わる時”に終ってしまうのだ。

 ちなみに、地震があったからではないな、医大で輸血をしていた時、よくサンドイッチマンのライブDVDを借りて観ていた。
 何故か、これを今でもよく覚えている。特に“蕎麦屋出前”のネタ(のタイムアタック)😄

家族、恋人、仲間、“会社”


 俺が脳腫瘍になると、母親はパニックになった。
 そして、最初にMRIを受けたクリニックから、ケアの方が来て、俺ではなく母親を落ち着かせた。
 父親もかなりショックを受けていた…。

 友人にも知らせた。
 いろんな反応をした。
 別のブログにも書いたが、メールで何度もを「…俺に出来るのは、祈るだけだ」と連発してくる奴がいて、『俺に絡んでくるな…』と言われたみたいで、すごく頭に来た。
 さらに仕事の事で悩んでいた俺に「仕事、どうするの? 迷惑じゃなかったら教えて」と迷惑なメールを送ってくるバカもいた(笑)
 人間の“元値”が見えた。

 付き合っていたカノジョとは喧嘩したが、入院した俺を見舞ってくれた。

 そして、俺のいた年金事務所だが、俺から脳腫瘍になった事を報告してから、特に何の連絡もなかった。
 入院後に自宅に、何度か連絡があったらしいが、誰も俺を琴葉をかけてくれなかった。
 …それは別に構わない。
 怒りはなかった。
 俺は単なるアシスタント職員。いなくなってと構わないのだろう。そんな存在だ。

 そして、俺は順職員採用試験の合否が気になっていた。


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