鈴木篠千

鈴木篠千

最近の記事

派遣録79 闘病期⑧ 入院中の思い出

少し話が戻り、術後に個室(ICU的なところ)にいた時の話。 思い出したので、書いておく。 ローラの“元値”この頃、テレビにローラが出ていた。 あのため口キャラの女性タレント。最近見ないけど、どうしたのだろう? 頭から管が伸びていて(脳髄液流し)、動けない俺は、テレビは付けていたが、画面が観れなかった。 なので、音声だけを聴いていた。 その中で、おかしな女の子がいた。 バラエティー番組で何かため口で話し、何故かその後に爆笑が聴こえた。 (…何故、この子が話した後、こんな

    • 派遣録78 闘病記⑦

       “汚い”話 若林(仮名、介護士)らとリハビリを続ける内に、俺の身体は次第に日常生活を取り戻せるようになってきた。  歩けるようになり、食事量も増えた。不明瞭だった言葉は多少会話が可能になった。  そして、一番嬉しかったのは、“排泄”である。  “汚い”話で恥ずかしいので書きたくないのだが、ここまで来たら、書いてしまおう。  個室にいる間(手術直後から2ヶ月弱)、俺は点滴で栄養を賄っていたのと、頭から管を出していた(脳髄液)ので、トイレにいかなかった。  なので、排泄が

      • 派遣録77 闘病記⑥ リハビリ

        一般病棟へ  手術後、両親は毎日来た。  有り難かったか、情けなくもあった。何故なら俺の様態はあまり回復しなかったからだ。    弟が来た。  両親は弟には俺の病気(脳腫瘍)を教えていなかったので非常に驚いていた。(弟は独り立ちしていた)  天井しか“見られない”俺は、人生に絶望しかけ、両親の事を弟に任そうとしだが、それでも“ここから”回復したくて、その事は言わなかった。  そして、年金事務所から所長と適用調査課の課長が来た…らしい。  俺は脳髄に炎症を起こして意識が朦朧と

        • 派遣録76 闘病記⑤ 幻覚と白い天井

           “変わった”世界  「すずきさーん…」  どこかで俺を呼ぶ声がした。  「すずきさーん」  …誰だ? まだ眠いなあ…。  「すずきさーん、手術、終わりましたよー」  …ん、手術?  「起きて下さいねー」    手術が終わり、俺は麻酔から目が覚めた。  (…生きていた…)  松山医師(仮名)から命の保証(“危なくなったら”手術は止めるよ…)と聞かされていたが、開頭手術なので、さすがに怖かった。  だが、俺は生きていた。良かった。  俺は目を開けて、起こしてくれた太った看護婦に

        派遣録79 闘病期⑧ 入院中の思い出

          派遣録75 闘病記④ 手術

          マイペース♪(サンセットスウィッシュ) 年金機構からの不合格通知に絶望した俺の心を癒されなかった。  当たり前だ。数日後に脳腫瘍の手術を受けるのだ。俺は未来に何を期待したら良いのか?  そんな時に、スマホのYouTubeで“マイペース”という歌を聴いた。  そびえ立った大きな壁に恐れることはない♪  答えのない人生に、迷うことなく、キープ マイ ペース♪  松山医師(仮名)は相変わらず明るく気さくで手術への怖さはなかった。  だが、嫌な考えは浮かんでしまう。  手術が成功

          派遣録75 闘病記④ 手術

          派遣録74 闘病記③ 年金機構への怒り

           松山医師(仮名)の言葉 2011年、3月後半、俺は脳腫瘍除去手術を受けるために浜松医大に入院した。  不思議と緊張は少なかった。  俺の主治医である医大の脳外科医、松山医師(仮名)は不思議な方で。手術の日程を決める時も、「いつやっちゃう?(笑)」とニヤニヤしながら言ったりする人だった。  これが俺には良かった。重たい気持ちにならなかったのが、凄く良かった。  この医師との面談で、俺は開頭手術への陰鬱な気持ちが楽になり、緊張や死への恐怖が起こらなかったのだ。  俺には、この

          派遣録74 闘病記③ 年金機構への怒り

          派遣録73 闘病記②

           ここからは、しばらく俺の闘病の話を聞いてほしい。  …地獄だった。 失望と怒り、喪失の日々が始まった💦 歪んだ世界 脳腫瘍を医師から告げられ、勧められるままに詳細なMRI画像が撮影できるクリニックを紹介され、改めて頭の撮影をすると、俺の後頭部、大脳と小脳の間に大きな腫瘍があることが確定的になった。 その腫瘍が俺の小脳を下に押し、首の神経を刺激していた、それが去年から続く頭痛、首の痛みの原因だったのだ。  さらに、俺が年金事務所で倒れた後、俺は目がおかしくなった。  焦点

          派遣録73 闘病記②

          派遣録72 闘病記①

          ここまで(2009~2011.2)、派遣というより、年金事務所での日々(アシスタント職員=非正規)を書いてきた。 日雇い派遣の話を書きたい。 俺はこの後、日雇いの“第4期”(大病後)に突入するのだが、その前に、“この話”は書いておかなければならない。 記憶の無い“あの日” “その日”の事は今でも覚えている。  …というか、記憶は曖昧だ。  その日、福原(仮名)の命で、事務所内用の『インフルエンザ予防』のポスターをパソコン(パワーポイント)で作成していた。  昼前に、首の

          派遣録72 闘病記①

          派遣録71 準職員採用試験(再)

          怒りの果てに…。 友村のBBAに怒り💢、我慢し、決められた仕事をして、と忙しい中、俺には“ある感情”が芽生えて来た。    それは『このまま(アシスタント職員)で良いのか?』ということだ。  (…事務の女の子の仕事)などとどこか卑下していた(失礼💦)していた庶務業務もやり始めるとなかなか難しく簡単ではなかったが、所内の“関係性”が見えてきて、それなりに遣り甲斐があった。  また厚生年金の知識は少しだが増えていた。電話などの対応もできていた(と思う)。怒られるのにも慣れた(笑

          派遣録71 準職員採用試験(再)

          派遣録70 【思い出の仕事3】人の“元値”

          年金事務所への対応 友村(仮名)“BBA”🎃の言動に苛立ち💢、謎の首の痛みに苦しんでいた2010年の年末までの話を書いてきたが、ここで年金事務所で働いていて思い出に残っていることをまた書いておこう。  何度も書いているが、俺は厚生年金適用調査課にいて、庶務(係)をしていた。  あまり表に出ることはなかったが、たまに管轄内の法人(会社)に電話することがあった。  社会保険委員の連絡などや、届出の確認、算定作業など、時々あった。  この頃は、まだ病気(脳腫瘍)になる前で、俺の口

          派遣録70 【思い出の仕事3】人の“元値”

          派遣録69 友村“BBA”と新課長の話

          友村という“同僚BBA” 2010年秋頃、俺は“謎の頭痛、そして首の痛み”に悩まされていた。  その時の俺は、(年金の事務所仕事より疲れが出ているなかな?)と軽く考えていた。  …この甘さが、後々“エラい事”になるのだが。  そんな頃、俺の仕事に人員がまた変わった。 志の輔“クソ”課長(仮名)が去り、池田(仮名)が準職員になり、“ワタリ”山代(仮名)が受付に異動した。  なかなか来なかった適用課の課長に、同じ事務所内心の国民年金課の課長がスライドで厚生年金(適用調査)課に

          派遣録69 友村“BBA”と新課長の話

          派遣録68 プールと居酒屋と結婚しない馬鹿者

          プライベートの俺は…。この頃(2010年)、俺がハマっていた事が2つある。 一つはスポーツジムでのスイミング🏊‍♂️だ。 求人誌の会社にいた頃、お世話になっていた課長補佐の“鳥居”(仮名=トリさん)に誘われ、浜松に新たなに出来たスポーツジムに入会した。 世話になっているトリさんからの誘いを断れず、仕方なく入会したが、解雇後も退会せず、日雇いしながらも通っていた。 何故なら、ジム内のプールにどハマりしていたからだ。俺はここのプールでのスイミングにかなりハマっていた。 年金

          派遣録68 プールと居酒屋と結婚しない馬鹿者

          派遣録67 【思い出の仕事2】 パソコン作業

          俺の採用理由? 志の輔課長(のバカ)がいた頃、俺に言っていた事がある。  「お前はパソコンが出来るからなあ」  確かに俺はパソコンソフトの資格(MCAS、MOS)やwebクリエイター資格(初級)を保持していた。  前の仕事(求人誌編集)ではいつもパソコン画面とにらめっこして、校正作業をしていた。  だが、“得意”とまでは言えないし、俺くらいの技術なら、世の中に掃いて捨てるほどいただろう。福原辺りはわかっていたはずだ。  つまり、それほど民営化直後の年金機構は“デジタル化”に乏

          派遣録67 【思い出の仕事2】 パソコン作業

          派遣録66 【思い出の仕事1】倉庫内処分(旧社会保険庁)

          思い出の“倉庫内処分” 課長不在のまま、2ヶ月ほどが経った頃(と思う)の事。  さすがに上司不在状態はマズかったのか、国民年金課の課長が“スライド”して、俺達の適用調査課の課長になった。  この頃(2010年夏)、年金記録問題のクレームも収まり出し、少し落ち着いた感じがあった(と思う)。    具体的な期間は覚えてはいないが(…夏頃だった記憶がある)、ある日、福原から「倉庫にある“前”の残留物や備品を処分する」と言われた。  事務所の駐車場の奥に大きな倉庫があり、そこには社会

          派遣録66 【思い出の仕事1】倉庫内処分(旧社会保険庁)

          派遣録65 そして忙殺の季節へ

          さらば池田、さよなら志の輔 こうして池田(仮名)は準職員に上がり、他の事務所へ異動になった。  それを見送った後、俺の記憶は曖昧になる。  実はこの直後、俺も準職員の採用に応募し、書類を送った記憶がある。(手術の影響?)  で、あっさり“落とされた”  ま、俺としては(…池田が受かるなら、俺も?)と“記念受験”のような気持ちもあり、内心ではまだ年金の仕事に馴染んだ感覚がなかった。  それに、俺がこの“準職員採用試験”においてカチン💢とくるのは、まだ先(2度目)の事だ…。

          派遣録65 そして忙殺の季節へ

          派遣録64 エリート(福原)と“ワタリ”(山代)と準職員(池田)

          “福原”というエリート(意識?)  大嫌いな“志の輔”(仮名)という上司もいたが、俺が苦手なのはソイツだけではなく、職員で俺の“直”の上司であった“福原”(仮名)という男性職員もそうだった。  福原は旧社会保険庁からの職員だった。  これは志の輔にも言えるのだが、このじゃがいもから日本年金機構に民営化され、それに残った職員は皆、非常に優秀だった、と思う(いろんな意味で)  俺は人生の中でこの福原という男ほど、優秀な人間を知らない。大嫌いな志の輔(仮名)にも同じ事が言えたが、

          派遣録64 エリート(福原)と“ワタリ”(山代)と準職員(池田)