オタクくん……そっちは違う穴にゃ

大学1年生の春、僕はサークルの新歓でその女と出会った。その女は変だった。黒い髪の頭頂部に猫耳が生えていた。自己紹介の挨拶で、語尾に「にゃ」がついていた。しっぽも生えていたし、たまに動くので作り物のようには見えなかった。
新歓に居合わせた誰もがその女に「君は人間なのか?」と聞きたかっただろう。しかし誰も聞かなかった。その女の首や太もも、手首といった肌の露出部にリストカットの後が大量にあったからだ。しかもリストカットの上には花文字のような刺青が施されており、その刺青の上からもさらにリストカットを重ねたようで、その皮膚の傷痕はさながら帰還兵のような生々しさだった。
だから、彼女に話しかけたのは僕だけだった。

◆◆◆◆
「じゃあ……挿れるね……」
それからなんやかんやあって、1年経っていた。彼女とは仲良くなった。彼女は1年生ではなかった。院生だった。先輩たちはそのことを知っていて話しかけなかったのかもしれない。なんやかんやあって、彼女の部屋に行った。夜になって、僕らはベッドの上で裸になっていた。僕は男子校出身で、Twitterからしか性に関する知識を得たことがない。コンドームの付け方は割ったエロ漫画の知識でつけたけど、その先はよく分かっていなかった。でも大丈夫だ。原始時代にTwitterはなかったが、子どもはたくさん生まれていたのだから。
「オタクくん……そっちは違う穴にゃ」
僕の行動は違ったらしい。正しい穴と違う穴があるのか、難しすぎる。とりあえず何かを言わないと。
「じゃあ……この甘い生地を焼いたものに餡子を挟んだものは」
「それは違うどら焼きにゃ。どら焼きはいま関係ないにゃ」
関係がなかった。どうしよう。僕は部屋に金の斧を見つけた。
「この、美しい装飾の金の斧は…」
「それは神さまの誘惑にゃ。正直者でないと罰が当たるにゃ。あたしのように」
スティール・ボール・ランでそんな話を読んだ。いけない、僕は原始人に負けつつある。もっとスケールの大きなことを言わないと。
「この、有り得ないスピードで回転している超巨大な構造物であり、内部に沢山の星々や有機生命体を抱えるものは……」
「それは銀河と言うんだにゃ。もうすぐ銀河全体で戦争が起こるにゃんね」
もう時期、アンチスパイラルと螺旋族の次の戦争が起こるんだった。そんな時代に僕らは大学生をしていて大丈夫なのだろうか?僕は未来のことを考えた。
「この、Twitterをめちゃくちゃにした男は……」
「それはイーロン・マスクにゃ。そいつはロケットを宇宙に飛ばしまくったり、脳にコンピュータを埋め込んだりしてる変な男にゃ」
違う違う。僕らは穴の話をしているんだった。宇宙には色んな穴がある。
「じゃあこの、底が見えない穴は……」
「それはブラックホールにゃ。入ると出てこれないにゃ。あたしのママのように」
ブラックホールに入ってはいけないらしい。新しい穴の話が増えた。
「じゃあこの光り輝く塊は……」
「そっちは黄金の森林にゃ。神話の時代に古代の神々が人間への贈り物として作ったにゃ」
これは小学生の歴史の授業でも習うことだ。原始よりも古い、旧神の時代には、人の子どもは黄金の神木から授かるものだった。
「ええと、あの星霜紫のタペストリーは」
「あれは100万年前の宇宙の観測データにゃ。それぞれの恒星や惑星はその特徴ごとに違う色で彩色されており、その色は2000万種類あるんだけど違いが分かるかにゃ?」
彼女の母親は宇宙交通事故でブラックホールに吸い込まれた。彼女は母親の情報をブラックホールから再構築する研究をするためにこの大学に来たらしい。ブラックホールには情報の消失問題がある。ブラックホールがホーキング放射で蒸発するなら、吸い込まれた情報は情報保存の法則に反してこの宇宙から消え去ってしまうのか?きっと彼女は違うと考えている。だからブラックホールのファイアウォールやリムナントから、母親の最後の生体情報を復元する研究のために大学に来たんだ。
「この粉の味の強さで勝負しているスナックは……」
「それは落とし物のハッピーターンにゃ」
「いま部屋の隅をゆっくりと走り抜けたのは」
「それはは鬱病のネズミにゃ」
クソッ!いつまで経っても何が正解か分からない。僕は原始人に負けていた。
そうだ。最終的に僕は悟った。正解なんてものはない。大事なのは、互いに向き合い、学び、成長することだ。彼女との夜は、僕にとってただの性的な体験以上のものだった。それは、異なる二つの世界が出会い、新しい理解を築く旅の始まりだった。
「僕らが入るべき穴は奥深く、深淵で、難しい。答えを探しにいこう。アマゾンの密林から外宇宙のガルガンティアまで」
「これは違うオチにゃ」

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