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政治・経済・社会

私が政治活動に興味を持ったのはFacebookを始めてからです。

それというのもFacebookの私のタイムラインに政治情報を

投稿する人があったからです。当時の政権は安倍政権でした。

私の知らない裏社会の情報を多数寄せてくれました。

だからといって鵜呑みにはできません。だから、確信が持てるように

私も多くの事を調べました。

そして、「無知」ほど恐ろしいものはないということに気付かされました。

そして、程無く「維新の会」という新党が「都構想』という全く新しい案件を持

って立ち上がりました。

日本は東京一極集中のスタイルでありますので、度々流通問題や経済問題が浮上

しておりました。なので自分の中でも社会の変化を色々感じていた折でした。

ですから非常に興味を抱きました。

しかしながら、その「都構想」の中身と私の考える「都構想」とは少し異なるも

のでした。が、橋下徹という人間像に興味を抱き、応援しました。

が、其の後自民党の菅元総理大臣が官房長官であった時代、現大阪市長松井一郎

氏と懇意な間柄と知り随分な落胆を感じました。

それからです。森友・加計学園問題が浮上してきたのは。

が、しかしながらその渦中にあった籠池泰典夫妻の罪状が暴露され、

森友学園問題をあやふやにしてしまいました。

その罪状は大阪市と大阪府からと教育援助資金をダブルで受け取っていたことで

す。これはどちらか一方からしか受け取ることができないという法律になってい

ましたから、詐欺横領です。マスコミもこれを大きく取り上げ、森友学園と安倍

総理夫妻の関連と森友学園土地問題が片隅に追いやられ、色々問題は浮上しまし

たが、官僚と閣僚との関わりなど黒い霧のまま消えていきました。

今も闇の中です。

私が自民党に怪訝を覚え始めたのは、父がある日、自民党批判を私に対してぶつ

けました。それというのも私が「自民党でも悪くないでしょ」を発言したから

です。烈火の如く怒りました。「何も知らんくせに口を挟むな!」でした。

そう1950年には私はまだ生まれていませんでした。父は私にこう言いました。

1950年大蔵大臣池田勇人氏が言った言葉です。

「貧乏人は麦を食え」「中小企業の一部倒産もやむを得ない」

父は中小どころか零細の個人営業ですから、怒りが憤懣したのでしょう。

政治家というより人間を重視したからだと思います。

政治家なら尚更発言してはならないことです。

この時私は「差別感」というものが社会には溢れていると直観しました。

以来、政治のことでは父に従うようになったのです。

そして今は山本太郎氏が面白いです。賛否両論はどこまでもついてきます。

が、この「インボイス制度」をどれだけの人が正しく理解しているでしょうか?

参考文献 : https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/zeimokubetsu/shohi/keigenzeiritsu/pdf/0022008-052.pdf

では、本日も素敵な一日をお過ごしください。
今日もよろしくお願い申し上げます。
ありがとうございます😃

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