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かけ声

 荷役役場での仕事はきつい。仕事は朝早くから始まり、トラックの荷台から荷物を受け取ると、「よっこいしょ」「どっこいしょ」とかけ声をかけて運んでいく。端から見れば威勢のいいかけ声をあげる祭りみたいに楽しそうに思えるかもしれない。しかし実際にやってみるとこの仕事は本当にきつい。重たい荷物を運び続けていると、かけ声は「くそったれ!」とかわり、荷物を床に投げ捨て、置き場まで汚れた安全靴で床を滑らせていく。夕方になると「このダボが!」と作業場にわめき声が響き渡る。仕事が終わるころには身体中から悲鳴がなってしまう。
 俺はこの仕事を長く続けているが、楽な日が一日としてあった覚えはない。とにかく疲れる。家にまっすぐ帰る気力もなく、ほぼ毎日途中の居酒屋に寄り道したりした。暖簾をくぐり、空いているカウンターに座って夕食の瓶ビールと枝豆を注文した。店主の親父は黙ってコップと瓶ビール、そして枝豆を置いてくれる。店にはテレビが設置してあり、いつもお笑い番組を映している。名前も聞いたこともない芸人たちが出てきては観客席から笑いが聞こえてくる。俺は枝豆をポリポリと食べ、コップに注いだビールを飲んだ。枝豆を半分ほど食べたころにダチョウ倶楽部がでてきた。珍しいことだった。
 竜ちゃんと肥後にジモンの三人は往年のおでんネタやどうぞどうぞのネタを披露していった。見慣れたネタだったが、笑わせてくれる。流行の芸人のネタはさっぱり分からないが、ダチョウ倶楽部のネタは単純だがおもしろい。伝統芸能の域に達したネタ振りは俺のつぼを確実に突いてくる。笑うことで仕事の疲れを忘れさせる一風の清涼剤みたいだった。 次の日、朝礼でかけ声の禁止と今まで以上に丁寧に荷物を運ぶようにとのお達しがあった。一言で言えば品のない作業の禁止ということろだ。
 かけ声を出すなと言われても荷物を持ち上げるときは出てしまう。「よっこいしょ」や「どっこいしょ」が駄目ならと「ヤー!」と言ってみた。すると頭の中にダチョウ倶楽部の三人が現れた。指をピンと伸ばし、俺に向かって「ヤー!」と叫んでくる。しつこいくらいに。
 その構図が馬鹿馬鹿しくて俺は腹がねじれるほど笑った。目が潤み、荷物を落としそうになった。でも不思議と荷物は重くない。軽く感じた。
 俺がニヤニヤしながら作業していると、同僚が不思議がって理由を尋ねてきた。俺はそのわけを話した。同僚も笑い、そして真似をし始めた。
 作業中のかけ声は相変わらず禁止されていたが、「ヤー!」というかけ声が頻繁に響き渡るようになった。とくに注意されることはなかった。仕事の生産性が上がり、早めに帰ることもできた。総じて仕事のきつさも影を潜めていった。
 半年ほど「ヤー!」というかけ声を出し続けていたが、同僚がかけ声を変えようと言い出した。俺はその理由を尋ねた。彼は黙ってスマホの画面を見せてきた。そこにはつい先日亡くなった竜ちゃんの記事が載ってあった。「マジで?」
 同僚はただ肯くだけだった。それから様々なかけ声を試してみたが、長続きはしなかった。そのうち誰もかけ声をだそうとはしなくなった。荷駅場は重たい沈黙の幕で覆われることになった。以前よりも働きにくく、子泣きじじいでも背負っているみたいに身体が重くなった。
 仕事終わりにいつもの居酒屋に立ち寄った。いつものように瓶ビールと枝豆を夕食にした。テレビはいつもと同じくお笑い番組をやっている。聞き慣れない芸人たちの漫才やコントが繰り広げられ、観客席から若い女の笑い声が聞こえてくる。俺はポリポリと枝豆を食べてコップのビールを飲んだ。空になったコップにビールを注いでいると、ダチョウ倶楽部が出てきた。肥後とジモンだけの二人だけだ。彼らは二人だけで往年のネタを披露していた。 ダチョウ倶楽部のネタが終わり、俺はコップのビールを飲んだ。温かった。泡もなくなってキレもなくなっていた。

 

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