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世界激走 オーストラリア回帰編 5(エアーズロックの神様に感謝)

昨日跳ね返された僕だったが、この日は、恐怖心に打ち勝ち、35年ぶりに、愛を叫んだ頂上に立つことが出来た。

ここが頂上だが、ノートは、もう無かった。


頂上のプレート。


上から見るとエアーズロックもわりと高い。

僕の人生を変えてくれた、エアーズロックの神様をもう一度感じたい、感謝したいが、この旅の僕のテーマだ。
それが、エアーズロックに登れませんでしたじゃ、話にならない。
改めて、この場所に立って、360度、周りをぐるっと見まわしてみると、学校で、地理の勉強をしていなければ、ここが世界の中心だと言われれば、素直にそうなんだと思っちゃうと思う。
そう、思わせる場所だ、僕の中でも、まぎれもなく、世界の中心だ。
この日は、マウントオルガを散策した後、ちょっと遅めで、人が少なくなったころを見計らい、一人で再挑戦した。

風の谷マウントオルガで、力をもらった。


たぶん、マウントオルガに行ったことが、僕に力をくれたような気がする。
前に、エアーズロックの頂上から叫んだのは、マウントオルガの方向に向かってだ。
僕は、その当時から、その方向に何か、神秘的なものを感じていたので、その方向に向け叫んだ。

ここに向かって35年前、叫び、今回は、静かにお礼をいった。

今では、エアーズロックも、マウントオルガも、名称が変わってしまったが、僕の中では、あの頃のままだ。
あの時に叫んだこと、あの時目に焼き付いた、マウントオルガの雄姿は、何が変わっても、変わらない、忘れない、心から消えない。
午後を過ぎた時間に登り始めたのはなるべく、人が少ない時間を狙い一気に登ろうという考えだったが、登る人は確かに少ないが、降りてくる人は、少なくならない。
でも、少しでも登りやすい時間帯をと、とにかく必死だった。
本当は僕は、けっこうな高所恐怖症だ、一度でも怖いと思うと足が竦む、途中からは、体力的なものより、恐怖との戦いだった。
とくに、鎖は一本なので、上から降りてくる人と交錯するためどうしても、脇によけたりする、スチエーションが出てくるが、その時が、怖い、鎖から手を放して、横にしゃがんで待つとき、ホントに怖かった。
そして、皆、鎖を握って登るので、前に人がいると、その人を追い越すためには、鎖から手を放し追い越すしかないのだが、それは無理だ、なので自分のペースで、登れないので、よけい恐怖感が増す。
前は、時間帯によっては、ほとんど登っている人がいなかったので、恐怖を感じる前に、自分のペースで一気に昇り切ってしまったんだと思う。
だから、怖かったという記憶は、一切なかったので、Cはともかく、僕は、簡単に登れるつもりでいたので、なんか大変なことになってしまった感があった。
それでも、今回は、どうしても、また、頂上まで行きたかった。というより、行く必要がある、行かなければならない。と決意していただけになおさらだ。
あの時、叫んでお願いしたことを実現してくれた、アボリジニの神にお礼を言わなくてはいけない、どうしても。
鎖のゾーンが終わって、エアーズロックの上部の部分に到達したとき、心底ホッとした。
ここから、頂上のモニュメントがあるとこまでは、まだ少しあるが、鎖のゾーンの時には、全く余裕が無かったが、ここから、そこまでは、滑落の危険は無いので、ゆっくり、景色を味わって歩いた。
時間が遅かったこともあって、人もそんなに多くなくエアーズロックを独り占めまではいかないものの、けっこうな独占状態だった。
本当は、二人で来たかったが、お願いしたのは、僕なので、僕だけでも、どうしても登り切らなければという気持ちが強かった。
そして、登り始めから一時間ぐらいはかかって、頂上の石碑に到達した。
石碑のプレート自体は、以前と同じだと思うが、もう、そこには、ノートは無かった。
でもいい、僕は、静かに、マウントオルガの方に向かい、声に出すわけでもなく、心の中でお礼を言った。
あれから、35年の月日が経っている。
長い旅だった。
あのときは、その先にどんなことが待ち受けているか分からなかったが、今こうしてやっと振り返ることが出来る。
こんなことを考えていると、広い大海原を優雅に泳いでいるように見えるマウントオルガの姿が、なんか、僕に語りかけているように感じる。
"頑張ったじゃないか。"
それが聞こえたような気がして、僕は、エアーズロックの頂上から離れた。
降り道も鎖のゾーンは、けっこう怖かったが、そんなことより、達成感の方が強く、ホッとした気持ちで降りてきた。
けこう、下の方まで下りてくると、Cが、車から降りて、手を振っているのが見えた。
良かった、無事戻ってこれて。
この後、二人で、ちょっと離れたところから、エアーズロックの夕日を楽しみ、この日は、ホテルのレストランで、祝杯を挙げた。

乾杯。

35年は長かったなぁ、でも、今こうして、目の前にいて、一緒に食事をしている。
色んなことあったが、それを、しみじみと嚙み締めた。
アボリジニが信じている何かが、やはりあそこにはある。
それが、僕の願いを叶えてくれたと思う。
ここが、登頂禁止になるのも致し方ないだろう、間違いなく神聖な場所だ。
翌朝は、朝早く起き、朝焼けに染まるエアーズロックを見に行き、一度ホテルに戻って、朝食を食べてから、ゆっくり、車で、エアーズロックの周りを一周した。
世界中の人が、エアーズロックが登れなくなるのを知っているのだろう、下から見ていると、設置してある鎖に人が、蟻のように連日連なっている。
みんな、登山中止になる前に登りたいんだ。
昨日登っている僕は、車の中から、その長い列をボーっと見ていた、そして、みんな、登ったたその先で何を思うのだろうかと、聞きたい気持ちになっていた。
翌朝、ここを離れるので、エアーズロックのこの雰囲気をじっくり味わっていた。

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