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[社会福祉]どんな最期を求めるのか?

社会福祉士の実習で介護施設にお世話になった。
初めての介護業界で、
新しいことをたくさん学ばせていただいた。

その中で自分がこの先どんな老後を過ごすのか、
最期はどんなことを求めるのかを考える機会を
与えてもらった。

死ぬのは自分であり、
どうしたいのかを選ぶのも自分自身だ。
他人に決められていいのかと問われたときに、
初めて先のこと、想像もしていなかったことを
現実として考えられるようになった。 

"ACP(人生会議)"について学んだ。
物議を醸し出した"言葉"だとは思うが、
私は良い言葉だと思う。
この言葉から何が言いたいのかが、
理解しやすいと思う。

これは今後自分が治療できない状態になったときに
その後、どうしたいのかを考え、
身近な人たちと話し合うことだ。

財産をどうするのか、
残りの人生をどう過ごすのか。

自分だけの話ではなく、
死後、周りの人家族に迷惑を掛けないためにも
必要な話し合いだ。

残しておくもの、残しておいても良いのか、
そういった事も知識がないと困る。
どこに何が置いてあるのかも分からず
この世を絶たれたら、みんな困るし、
本人がどうしたかったのかも聞いていないと
本人の意向なくして、動かしていいのかも迷う。

そして、1番は治療ができないと言われて
その後どう生きていきたいのかだ。

まず、
余命宣告をされたいのか、
どこでどう過ごしたいのか。

私が1番考えさせられたことは、
誰に自分の意思を私の代わりに伝えてもらうのかだった。
同じ考え方を持っている人がなかなかいないし、
信頼している相手にとは思っても
その人に託すことの重大さ。
重荷を背負わせることになるかもしれない。

考える年齢も難しいが
早ければ早いほうが良い気はする。
一人で一生を終えたいのか、
誰かといたいのか、誰といたいのか、
結婚やパートナーについて考える機会が
与えられると思う。

そのためにも、
ACP(人生会議)をすることが大切だ。

こういうことについて知る、学ぶ機会がない。
私はたまたま福祉について勉強をしているから
知り得ることができた。

もし機会があれば、
"最期どうしたいと思うのか"を考えてみてもいいのかもしれない。
残りの人生の過ごし方も変わってくるかもしれない。


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