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WD#101 スベり走

本来なら今回は最近ハマってるあることについて書くつもりで、正直7割くらい書いたんだけど、せっかく心機一転という場面ならもうちょっとそこに合わせるべきかなあ、という気持ちになった。そのため、今回は急遽内容を変えてお送りします。書きかけのやつは来週かな。




かなり久々に1500メートルを走る機会があった。まあよくあるスポーツテストってやつですよね。

それが私はかなり憂鬱だった。2年の時はやらなかったからつまりは2年ぶりに1500メートルもの距離を走る羽目になると、当然心配になってくるのは体がぶっ壊れるんじゃないかという不安である。

その2日前にこれも1年ぶりくらいに50メートルを全力でやったんだけど、それ以降かなりのタイムラグで足を中心にかなりの筋肉痛が来た。酷い時は歩くのでも痛いくらいだった。そんな奴が1500はムリ。

そのため、前日に考えうる限りの処置をしてみた。といっても父親にマッサージを頼んで阿鼻叫喚に終わっただけだったが。

しかしその効果はそこそこあったみたいで、当日はあんまり足の痛みはなく(少なからずはあるけど)、なんとかコンディションも良好なまま本番に臨む運びとなった。

スタート前、私の心にあるのは「疲れたくない」というただ一心だった。どうせこの身体で全力出してもいいタイムは出ないんだから、とにかく酸素を摂取しまくって楽に走りたい、と。

そして本番に私はどうしたかというと、確実なリズムのキープ、そして「足をあげすぎるとそれだけで体力ロスするから気をつけろ」という元長距離だった兄(今は完全に体たらく)からのアドバイスの意識、そして呼吸を乱さないようにする、というとにかく「疲れない」ためのありとあらゆる手法を装填して挑んだ。

学校のトラックは大体200メートルなので、1500メートル走るには7周半必要になる。殺風景なグラウンドのパノラマを7.5回も見なきゃいけないのはかなり精神的にも辛いところがある。一般参加できるマラソン大会とかも、グラウンドを永遠に回り続ける内容だったら微塵も集客できないであろう。

走り出しは好調。やはり運動部の人たちはペースがかなり速い。「そんなんでいけんのか?」と全く無関係なのに心配になるペース。

私はまあ後ろくらいのかたまりに所属し、「疲れないペース」を見つける時間。そしてなんとなくこれならいけそうだなーという楽なペースを見つけて、それ以降はその保持に努める。というような流れだった。

結果としてはかなり遅かった。そりゃ言わないけど、かなり遅いと思ってもらって構わない。

しかし、身体の方はほとんどダメージを受けておらず、走った後のちょっと歩く時間の中でほぼ全回復した。完全に「疲れない方法」に徹した結果、それが実ったということになる。

周りにも「酸素ガチったからタイム遅いけど全然疲れてない」と言ったりしていた。そんな感じでなんとか1500メートルは幕を閉じた。

が、しかし。

家に帰ってある程度冷静になって、その時の自分の立ち振る舞いを振り返ってみた。

スベってないか?

「疲れたくなかったんで呼吸法だけしっかりやりました」という計画。そしてこのオチ。うん、これはどっからどうみてもスベってる。

あーーーー、そうかーーー。スベってたよなー。気づけばよかったよ。ツルンツルンじゃねえか。

このスベりの根本にあるのはきっとここだったんだ。

どうせこの身体で全力出してもいいタイムは出ない

さっきのとこ

この気持ちがダメだったんだ。絶対に。

なんとなく、この発言は「頑張る」ということを避けている感じがする。全力を出して向かい合ってもどうせ無理だから楽をしたい、と。

その姿勢は私が最も嫌っていたものじゃないのか。「頑張る」という行為を軽視し、ナメてかかるというのは、本当に頑張って今回1500メートルを走った人にも失礼なんじゃないのか。

合唱コンクールで歌わない奴と、1500メートルで頑張らない奴。そこになんの差があるというのだろうか?

私は合唱コンクールで歌わない奴が嫌いだったし、嫌いだった奴は大体合唱コンクールで歌っていなかった。

合唱コンクールという「歌う」場所で歌わないというのは、ダンスバトルに参加してダンスをせずに突っ立っているのと同じである。

ただ、それは1500メートルに関しても言えることであり、「走る」場所でちゃんと頑張って走らないというのも同レベルの愚行だと思う。

しかも今思い返してみると、「なんか今全然もう1回できるかも」とか言ってしまった気がする。何を言っているんだ。「1回目で出し切る」のがカッコいいんだろ。中途半端なことして余裕ぶってるんじゃねえよ。ダサいなあ。

そう、ダサい。スベってるし、ダサい。良いことなんてひとつも残っていない。疲れたくないという目先のことに囚われて、その後のことを何にも考えてなかった。そのせいで今こんな気持ちになってしまっている。情けないよ。

極論を言えば、その態度を大学入試でもやるのか、ということになる。

「勉強ばっかりやってると疲れるから、楽な勉強で入れる大学に入れば良いや」と考えてハードルの低い大学に入るのか?多分それは大学に入った以降なかなり後悔する羽目になる気がする。大学入試で本気を出さないというのはもうスベるとかいう次元ではない。

そしてその暁には「もう1回受験してもよかったなあ」とか言うのだろうか。あーあ。もうね、真っ暗です。その人の人生。

大体入試に向けて勉強本気でやらなかったら、次いつ本気で勉強するんですかね?多分もうほとんどないんじゃないかな。勉強に対して「本気」になれる機会なんてもう限られたものなんですよ。

そう考えても、やっぱり目先にある「勉強の大変さ」に引っ張られて、それを回避するために勉強をしなくなるというのは人間として当たり前の行動でもあるのかもしれない。

ただ、そんなことでは大学なんて受かるもんも受かりませんよというのが正直なところでもある。己を律することができる者のみが、この大学入試というイベントを通過できるのだ。

3年生になって、身の回りの人たちの勉強してる度もますます上昇してきている。朝教室に入るとほぼ全員が何かしらの勉強に向かい合っていて、私もそーっとカバンを置いて塾のテキストを開く、という毎日だ。

別に2年生の時からも周りの人たちは勉強していた。が、確実に3年生になってみんなギアを上げて来ているのが目で見える。明らかに空気が違う。

ただ、学校で勉強するということにおいて、少なからず「周りを圧する」という働きがあることは確かである。難しい問題集を解いていたらそれをチラ見して「わかんねー!」と思って焦るし、苦手な文系科目を勉強していたら「差つけられるー!」と思って焦る。人間は単純。

私はかなり上の大学を目指しているので、本当はクラス単位で誰かに負けている場合ではないと思う。日本中の頭いい奴を相手にするわけなんだから、クラスメイト1人倒せなくてどうするんだ、という話だ。

しかし、何度も言うが周囲はもうレシプロ全開の人も多い。そしてここで差が開いてしまうと、ここからはその差は時間に比例して増幅する一方なのだ。だから今そこに追いつき、もっと言えば抜かすしかない。かなり辛い。

学校で勉強することで自分の学力もつき、周りにプレッシャーをかけることもできる。なんて一挙両得なんだろう。そりゃみんな勉強するわけだよな。

そういう自分も最近は東進のテキストの予習の時間に使っている。しかし、唯一の懸念点とすると、「このスピードを維持できるのか」ということである。

受験はかなり長期戦だ。だからこそ、前々からスタートしておくのも大事だけど、そのままアクセル全開で1月の共通テストまで行けるのかと言われると、かなり不安だ。少なくとも私は。

だから、今の時期はこの1年自分がどんなペースで走るべきか見定める時だと思っている。体力を温存することに専念したペースだと目も当てられないことになりかねないので、ちょうど全力でこの距離を走り切れるように。

そして、入試が終わった後に「全力で走り切れてよかった」と言えるように。

またスベるわけにはいかない。







【今週の来てないお悩み相談】

使うタイミングがなくて小銭がどうしても溜まりまくってます。どうしたらいいですか?

わかる。わかるよ。じゃあそうだな、預金しよう。そうすれば君の手元にあった金属は、目の前のメーターの数字を上げる道具と化して消えていくよ。

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