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43 生きるために祖国を捨てた人たち

1980年代の終わり、ベトナム難民の乗ったボートが五島列島に漂着したニュースが伝えられたとき、学級通信に以下のような文章を載せました。

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『十五少年漂流記』や『ロビンソン・クルーソー』を読んだことのある人はいるでしょう。胸をわくわくさせて読みませんでしたか?無人島での生活にあこがれた人もいるかもしれません。大海原を舞台に繰り広げられるロマンあふれる冒険譚ですよね。では、現代の「漂流記」ともいえる難民の人たちの船旅はどうでしょう。夢やロマンとは程遠いものです。祖国を捨て、家を捨て、時は家族を捨てて未知の世界に旅立つのですから。

先月の終わり、九州の五島列島にある無人の島にベトナム難民の人たちが漂着したというニュースがありました。10トンほどの小型の木造船に子ども14人を含む107人が乗り込み、日本に行こうと祖国を出発したといいます。しかし進路を誤って約1か月後にこの無人の島に漂着したというのです。多くの人が疲れ果て憔悴しきっており、命が助かったという安堵感と虚脱感から呆然としていたと言います。

難民の人たちの多くは戦争、政治闘争、経済的、思想的な理由から祖国に留まることが困難になり国外に逃れる人たちです。特に、近年はインドシナ難民の国外流出が国際的な問題になっています。日本にもここ数年数多くのインドシナ難民が入国していますが、難民の人たちは生き延びることに必死です。九州の島に漂着したベトナムの人たちも、持つ物も持たず、身ひとつで木造船に乗り、生まれ育った国を捨て、すし詰め状態で見知らぬ国を目指していました。男性も女性もお年寄りも子どもも、そして小さい赤ちゃんまで。漂流中に船が転覆し、海の藻屑となることも少なくありません。海賊に襲われて命を奪われる危険もあります。途中で病気になったら… 食料が尽きたら… 危険この上ない航海です。無事に目的地にたどり着いたとしても見知らぬ国で言葉もわからず生きて行けるだろうかという不安もあります。そんな危険を承知で船出するのは生きることに必死だからです。生きていくためには危険を冒さなければならないのです。そんなぎりぎりの状態でも懸命に生きようとする人たちがいることを私たちは忘れてはいけないと思います。

数年前、大和市にある「難民促進センター」を訪れました。生きることに精一杯の難民の人たちのこの上もない明るさがとても印象的でした。

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それから30年以上経った今、世界には難民や避難民の人たちが溢れています。日本の制度では難民認定を受けることはとても難しいですが、生きるために祖国を離れ日本に来る人はたくさんいます。そうした人たちに対して自分は何ができるかを考える毎日です。小さなことでもいいのでできることをしようと心がけています。

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