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『ケンタの受験生日記』  (学年だよりから)

かつての「学年だより」に載せたフィクション仕立ての学校の様子です。登場する生徒や教師は仮名ですが主人公のケンタ以外は実在の人物をモデルにしています。1990年代のことです。

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入試が終わった! 受験生活から解放されるかと思うと無性に嬉しい。思えば長いようで短いようでもあった受験生活だ。だいたいぼくが受験を意識し始めたのは2学期の期末テスト前あたり。かなり遅いほうだ。秀才のタケイくんは2年生のときから目標を決めて計画的に勉強していた。ぼくは7月の面談で入試が勝負と言われたので夏休みにがんばらないといけないと思ったが、結局部活を引退した夏休み以降も真剣に勉強することはなかった。

2学期になっても文化祭や体育祭、合唱コンクールと行事に力を入れ、勉強の方はいまいちだった。ぼくは行事が好きだ。行事なんか適当にやればいいと言う人もいるけど、ぼくは行事に熱中することに快感を覚える。だから気がついたらもう2学期の期末テストが迫っていた。あのころはみんな必死だった気がする。内申点が期末で決まるというのでテスト前はみんな猛勉強していた。学校から帰ると塾に直行し、夜遅くまで特訓を受けている人もいて、夕飯は「よしぎゅうの牛丼」なんていう人もいたっけ。

ぼくは塾に行っていなかったので自分でやるしかなかった。でも家にいるとどうしてもテレビやゲームに誘惑される。だからお母さんにいつも怒られてた。お母さんは我が家では女王様のような存在だ。だれもお母さんには逆らえない。ぼくなど口ではいちころだ。ちなみに先生たちの間ではタクボ先生が女王様と呼ばれているらしい。タクボ先生も口がたつからなあ。女王様ってそうなのかなあ?エリザベス女王はそんな風には見えないけど。面談の前はいつもお母さんともめた。タケイくん母子はとてもいい関係らしい。お母さんが一切をタケイくんに任せているらしいがそれはタケイくんが秀才だからだ。

2学期の中頃から担任の先生との二者面談が始まった。先生たちは休み時間や放課後を使って一人一人と面談してくれていたのでとても忙しそうだった。でも先生はお母さんと違って冷静に相談に乗ってくれるので話がしやすい。期末テストが終わって2学期の成績が出る頃はみんなどきまぎしていた。タクマなんかもみ手しながら先生に頭を下げ「先生、成績のほうなんとかよろしく」なんて言ってた。そういうもんじゃないとぼくは思うけど。

2学期の成績が出ると三者面談が行われた。夏の面談と違って志望校を決定する重要な面談だ。ぼくはあっという間に終わったが、中にはずいぶん時間のかかっている人もいた。三者面談のあとは先生が私立の進路相談に行ってその結果で最終的に私立の受験校が決まる。ぼくは併願したくなかったけどお母さんの強引さに負けて私立を併願することにしたので相談リストに乗せてもらった。結果は「受験可」だった。入試はまだ先なのにこの相談結果で合格した気になっているヤツもいた。

そんな中でマラソン大会があった。みんな身体をあまり動かしていなかったので「走れるかなあ?」と不安がっていた。でも当日はみんな完走した。ぼくは最後のマラソン大会なのでかなり燃えていた。 僕たちのクラスは優勝し、担任のフルカワ先生にプレゼントができたとみんなすごくよろこんだ。フルカワ先生はホント親身になって進路相談に乗ってくれていたからなあ。

冬休みは最後の追い込みのだった。冬期講習に行く人も多かったけど、無駄金を使わないお父さんの方針もあってぼくは自力で勉強した。このときばかりは真剣に勉強したと思う。 併願のお金を出してもらうこともあって家の手伝いも結構やらされた。今年の冬休みほど勉強したことはなかったと思う。やればできるんだということが実感できた。

3学期になると出願が始まった。私立に続いて公立。推薦と一般に分けられているので出願の日が続いた。学校ごとにまとまって出願に出かけるので、日によっては教室にほとんど人がいないことがあった。授業も開店休業状態で、自習が続いた。 今年から公立の普通科でも推薦入試が導入されたので希望する人がたくさんいた。推薦は内申点と面接で合否が決まる。合格するのは宝くじに当たるようなものだと言われていたけど、はずれてばかりいるお母さんを見ていると、 宝くじの方がずっと確率が低いと思う。それに宝くじはがんばりようがないけど、入試はがんばれば結果がついてくる。推薦だからまさか「くじ」なんていうことはないだろうし。

「推薦」で受かった人は私立と公立合わせてクラスで13人いた。受かった人には一足早く春が来たみたいだった。でもタナカさんのように「面接だけだとがんばった感じがしなくて物足りない」と言っている人もいた。

3学期には校長面接の順番が回ってきた。3年生は受験対策も兼ねて全員校長先生と面接するのだ。校長室の前の廊下で待っているのはとても寒かったが、優しいミヤコ先生が毛布を持ってきてくれた。あまりに寒かったのでぼくは頭からすっぽりかぶって順番を待った。ホームレスの人たちの厳しさが少しわかった気がする。校長先生との面接は始まる前は緊張したが、始まると面接というより世間話という雰囲気になった。ぼくが剣道をやっているので武道の話に花が咲いた。校長先生は大学で相撲をやっていたそうで、相撲界のしきたりなどを色々教えてもらいおもしろかった。

1月25日には私立の願書を出し、31日には公立の願書を出した。これで目標は決まった。このあと倍率によっては志願変更を考えている人もいるようだったが、ぼくは志願先を変える気はなかった。と言うよりぼくは最初から志望校は決まっていたので迷うことはなかった。ラグビーをやりたいからA校以外は考えなかった。 

願書を出し終わると受験生だという気部員が強まった。 イシダくんは「なんか緊張してきた。どうしよう」と不安を漏らしていたが、ぼくは「やるぞ」という闘志が沸いてきた。ぼくは切羽つまらないと本気になれない人間のようだ。人それぞれぞれだな。オーヤマくんなどは出願した時点で受かった気になっていた。幸せなヤツだ。

 このころから授業も入試問題をやることが多くなり、過去問漬けの毎日になった。休み時間も机に向かって勉強する人がいる。有名校を受けるタケイくんは休み時間も難解な問題に取り組んでいた。クラスの中には「あいつまたやってんよ」と特別な目で見る人もいたが、彼はまったく気にせず「言いたいやつには言わせておくさ」と言っていた。我が道を行くタケイくんらしい。それに彼は学校を休んで勉強することもないし、授業中にほかの勉強をやるということもない。ぼくは休み時間は遊ぶ主義だけど、だからと言って勉強している人をあれこれ言うのは嫌いだ。進路は個人な問題だ。どこを受験しようと、いつどこで勉強しようと他人がとやかく言うことではないと思う。ちなみにぼくの親しい人たちの進路希望はバラエティーに富んでいる。ノリコさんは美術系の学校を受けるので、実技試験のために周りの人を強引にモデルにしてデッサンに励んでいた。タダシくんは体育コース希望なので引退後も部活に出てトレーニングに励んでいた。「運動してないと腹がでちまうから」なんておっさんみたなことを言っていた。ヤノくんは奈良にある仏教系の高校を受けるというので毎日お経の練習をしていた。全寮制で 修行も厳しいらしい。すごい覚悟だ。エリコさんはぼくと同じA校だ。チアリーディングをやりたいらしい。(註:この部分に登場する人たちの名前は学年担当の先生たちの名前を使っています)

学力検査の日はいつもより早く目が覚めた。事前指導で言われたとおり余裕を持って家を出た。教室に入ると同じ学校の人が固まっていた。英語のテストに始まり、試験は午後まで続いた。午前中はかなり緊張していた。弁当の時間だけが息抜きだった。弁当はとても豪華だった。大好きなヒレカツが入っていて、海苔で「がんばれ」と書いてある。お母さんとはけんかばかりしていたけどぼくのことを思っていてくれたんだ。何となく素直な気持ちになれた。弁当で気持ちが落ち着き、 午後の2教科は全力で取り組めた。でも長い一日だった。最後の社会が終わったときは体全体の力が抜けたような気分だった。結局理科でちょっとミスをしたけど全体的にはまずまずの出来だと思う。

発表は2月27日だ。明日からは遊ぶぞ~!
 


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