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80 正解のない授業 

「今日の道徳何やろうかな?」「学活はやることないから学級レクだ」道徳や学活の前に職員室でよく耳にした言葉です。年間計画はあるのですが計画通りに実施されることは少なく、その場しのぎでなされることもよくありました。教師のその姿勢は生徒たちも影響し、特に評価がなされない道徳(教科化される前のことです)は「適当に」参加する態度が見られました。

私は生徒のこの「適当な」態度を逆手に取ることにしました。評価に直接結びつかないので生徒たちの本音を引き出す絶好の機会だと思うのです。成績がつかないので生徒たちはリラックスして参加します。正解が求められないので自由に発言します。教師も数値で評価しなくてよいので気持ちが楽です。私はいつしか道徳の授業を楽しむようになっていました。

ある時、障がい者問題について考えました。担任をしたときは必ず取り上げる問題です。他人事ではない問題ですし、だれもが幸せに暮らす社会をつくるためには避けて通れない問題です。中学生だから考えなくてもよいということはありません。現に、学校にも障がいを抱える生徒はいますし、障がいのある家族がいる家庭もあります。障がいがないと言われる人だっていつ障がいを持つかわかりません。

私が「障がい者の問題を考えよう」と言った時、「僕たちに関係ないじゃん」と言った生徒がいました。彼の正直な気持ちだと思うからそのことを批判しようとは思いません。むしろ気持ちをありのまま伝えてくれたことを嬉しく思いました。「関係ない」という思いを消してもらうことが授業の目的だったからです。

障がい者の問題はすべての人の問題だと思っています。多くの人が「関係ない」「他人の問題」という気持ちでいる限り解決しないと思います。道徳で扱っても生徒の口からは「借りもの」の意見やきれいごとか発せられます。生徒の心に揺さぶりをかけることが私の目的です。だから生徒の反応はすごく楽しみでした。

授業では資料に対する意見が出ました。正解が求められないからみんな自由に発言しました。感想シートにもそれぞれの考えを飾らずに書いていました。生徒たちがこんなにしっかりと考えられるのだと知り私は嬉しかったです。授業を通して障がい者の問題を身近な問題として認識してくれた生徒が一人でも二人でもいたら満足です。

道徳には1+1=2というような決まった答えがありません。一人一人が何を感じ、何を考えるかが大事な授業です。同じ問題に対してもいろいろな考え方、感じ方があります。対立する意見も出ます。共感することもあれば、反発することもあります。そうした中で考えを深めていけばよいと思っています。正解のない授業こそ大切にしたいと思います。社会に出てからは正解のない問題にぶつかることの方が多いのですから。

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