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2023年 年間ベストアルバム 25枚

私がその年に発売された作品を追っていく"ゲーム"に参加し始めたのが2020年、コロナウイルスの影響でにっちもさっちも行かなくなっていた頃、同時に大学に入学した頃でした。そこから数年、毎回テーマを設けつつ「年間ベスト」をリストアップしています。気がついたら自分の音楽の嗜好がかなり固まってきておりリストを通して人となりが見えるなぁ、と思いながら自分のリストを眺めています。商業メディアに属していたり、ライター業に従事しているわけではないからこそ、いち市民の記録としてインターネットに足跡が残るなら幸いです。

このリストに辿り着く上で私に大きな影響を与えたアーティストを挙げるならば、Tortoiseになります。ポストロックの第一人者、というよりも生演奏や電子音を同じ地平で取り扱い、空間芸術として昇華させた発明家という捉え方がしっくり来る。Tortoiseの主宰/ジョンマッケンタイア及び彼が参加しているいくつかのバンド、そしてジムオルークやSam Prekopなど同時代のシカゴ音響派と名付けられる面々も含め、混然としそうな音が立体的にスッキリと立ち現れる瞬間に惹かれるのかもしれません。そしてTortoiseの根本にはBastroをはじめとするポストハードコアの文脈もあるわけで、私のここ一年位のムードは"Tortoise"の言葉を用いることで説明できてしまいます。

閑話休題。50枚リストアップしたのですが、その中でもよく聴いた25枚を並べて色々書きました。下に向かうほどに思い入れが強くなっていくような順番です。


Kitchen「Breath Too Long」
ニトロデイ、ART-SCHOOLやCruyffのギタリスト・やぎひろみ氏がストーリーで紹介していたインディーフォークアルバム。iphoneで録音したかと疑うほどローファイな質感で録られたさりげない印象のアコギやボーカルに教会の中で響くようなホーンやピアノが絡み合い、ここじゃないどこかが周囲に広がっているように錯覚させる。時々壊れかけの何かを愛おしく思うことや、寂れていく街に思いを馳せることがあるが、その感情を具現化したらこの作品になる。


Bex Burch「There is only love and fear」
パーカッショニストであり自作楽器製作者であるBex Burchによるインスト作品で、生楽器を中心とした作品を多く発表しているイリノイ州のInternational Anthemからリリース。思想としてのアンビエントを軸に様々な楽器を用い作品を彩りつつ、打点を散らばせたパーカッションで特定の型のダンスやグルーブに押し込めないニュアンスは細野晴臣のトロピカル作品に近いものを感じます。当時の細野はスピリチュアルな事象に惹かれていたわけで、そういう意味でもこの作品が「スピリチュアルジャズ」と形容されるのも納得が行きます。天国に近い楽器の鳴りがある。


Shin Sasakubo & Jamael Dean「Convergence」
秩父を拠点に活動する笹久保伸とプロデューサーJames Deanによるコラボアルバム。元々Shin Sasakuboの郊外や都市と自然の真ん中で鳴るような抽象的なエレクトロニカが好きだったので本作の再生ボタンを押したのですが、生演奏と電子音の融合という点で自分の趣向と寸分の狂いもなく合致していて驚いた。面白いのがマスロック的な前のめりのリズムやフレーズを多用している点で、いわゆるエレクトロニカ/アンビエントのような静的な聴き心地ではなく、いくらか前のめりに身体が反応する点だ。生音エレクトロニカ、及びポストロクニカである。


cero「 e o」
「My Lost City」の時点で彼らに都市への幻想などはなく、すでに崩壊したものの美しさを描いていた。そこからの2作、特に「PLMS」では肉体的な揺れや躍動を手にして「頭ではぎょっとする一方で体は勝手に音楽に合わせて動いている」とでも表現したいグルーブに至った。我々はこうして大地に根付くんだよ、という意志があった。本作ではその肉体の脈動がすっぽり抜け落ちているように思う。踊れない、とかではなく身体から勝手に精神が遊離していく。ただその感覚はどこまでも心地よく、トリップ感と言い換えればそれまでなのだが、音楽を聴く上で私が求める瞬間だ。中盤過ぎの「FdF」でこの世のムードになるというか、肉体性を帯び始めるのだけど、ライブでどのようにその味わいを生み出すのか体感したい。


SLOWTHAI「UGLY」
「UGLY」はゴリラズやThe StreetsのようなUKのヒップなサウンドの流れに位置している。すなわちロック的な拡大していく「歪む」テクスチャーを備えたミクスチャーサウンドで、アメリカでいえばビースティーボーイズなどを好んで聞いていた私には非常に馴染み深いそれであった。さらに呼吸音や金切声など「声にならない」「リリックにならない」要素が多く取り入れられていて、意味性を超えた"膨張の美学"のような物を感じ取った。
 特に「HAPPY」は作品内最高のアンセムで、"I Feel So Good"と自己暗示を重ねるようなリリックが繰り返されるその内省加減と楽曲の開けたテンション感のバランスが好みだし、随所で鳴るデーモンアルバーンがやりそうな玩具みたいなシンセも遊び心が詰まっている。


Yo La Tengo 「This Stupid World」
USオルタナの重鎮ヨラテンゴの新作。オリジナルアルバムとしては16作目で、ヴェルヴェットアンダーグラウンドから連なる朴訥としたフォーキーさと実験精神のバランスの中で30年以上制作を続けているのは頼もしい。新作を初めて聴いた時の感想は「ハキハキしている」だった。ノイズも演奏もハリと艶がある。全編に横たえる歪みの音は行くところまで行くと輪郭がぼやけていき、その瞬間に立ち現れるアンビエント感覚を捉えつつ、バンドとしての鋭角さを担保しているようなバランス感覚。今年はフジロックと単独ライブというロケーションが違う2箇所でヨラテンゴの演奏を聞けたのはラッキーでした。


5KAI「行」
今年の始め、5kaiのライブを見た。前から話は聞いていたがナンバーガールで云う所の「6本のFUSIGIな共振連合 振れあう貴様と俺らの衝動 6本狂ったハガネの振動」を地でいくようなギターのサウンド。キレが良いじゃ足りない、磨かれ使い尽くされ鋭さを極限まで重ねた日本刀のようなギターの音に鼓膜を裂かれる。同時に2つセッティングされたドラムがそのギターの間合いを詰め、埋め、バンドの軸としてではなくやはり切れ味を増幅させる方向で蠢く。事件であった。その足で聞いた音源は少し印象に違いがあった。tortoise「TNT」を思い返すような、楽器の演奏が素材として配置される空間芸術。喉で叫ぶような歌唱を軸にあらゆる楽器が「打点」としてレコードに記録されているイメージ。例えば「行」のドラムのフィルインはDAWの画面でポチポチ音を入力したような突発さがあり、「人力IDM」とも形容できそう。ライブとは違う方向性でポストロックとタグを付けられる音楽を刷新するような作品である。


Slowdive「Everything Is Alive」
シューゲイザー御三家など言われていますが、Slowdiveが一番汎用性高いフォーマットを作ってしまったのではないか。ドリームポップとも接続できるし、「Pygmalion」ではエレクトロニカとの共通点も見出せる。その射程の広さの中で本作も含めて常に中心にいるのは80'sポップスに連なる甘いメロディーであり、そのメロディーを深いリバーブやディレイの中に閉じ込めうことでどこまでも密やかで掴みきれないような滋味を生み出している。本作では轟音という言葉から距離を取った美的感覚の象徴としてのシューゲイザーをまた更新したのではないか。


Blue Lake「Sun Arcs」
「映画のサントラのような」という褒め言葉が頻繁に使われますが、今年目にした中で映画の情景と音楽がマッチしていた瞬間が青山真治「ユリイカ」の終盤で流れていたジムオルークの「Eureka」でした。ドラマチックさというよりもその時間自体に美しさを与えるような、ただ「いま・ここ」を肯定するような、ある意味で暴力的なものさえ感じ、映画の3時間半を無に帰す力があった。「Blue Lake」も全ての時間のBGMになり得るような背景に溶け込むアコースティックギターが中心のインプロアンビエント作品で、その全ての瞬間を肯定してしまえるような効能こそ「Eureka」を代表するジムオルークが鳴らす音に近いものを見出せる。


Frederik Valentin「The Friend's Place」
歌詞が一切存在しない楽曲においてタイトルの持つ権威性は格段に上がる。「The Friend's Place」はタイトルを聞いて多くの人が思い浮かべる景色自体が楽曲自体になっていて、「Morning Glory」はMorning Gloryだし、「Home」はHomeだし、「Waves」はWavesだ。曲の力でタイトルの権威性を引っ張り出していると言える。


Quade「Nacre」
サウスロンドンはブリストル出身の4人組によるアルバムで、Cody sayらを擁するAD93からリリース。carolineやdeathcrashなどバンド演奏を空間の広がりと空気の震えを十分に伝える録音に乗せるバンドと同じ地平でアルバムを制作していると勝手に思う。「Measure」ではゆったりしたBGMにキメの多いポストパンク的展開が広がっているが、キメの際にオーケストラ演奏における弦を弾いた音が用いられているなど、性急さから徹底して距離を取るような楽曲の組み立て方が好きだった。アンビエント/ドローンのような音のチョイスとジャズ的作法のドラムの組み合わせなど、手数の多さに反してまとまりと心地よさに溢れすぎている。


蓮沼執太「unpeople」
Tortoiseにも参加していたJeff Parkerやコーネリアスを招きつつ完成させたアルバム。4月に蓮沼執太フィルのライブを見に行き、15本くらいの楽器を束ねるバランス感覚に唸らされた。この作品ではアナログ機材を中心にオウテカやAphex twinといったアーティストの手つきをもってして極上のIDMを作り上げた。ガチャガチャしても良い筈なのに透明のテクスチャーが重なっているような聴き心地がある。インタビューを読むとライブでTortoiseのカバーも行っているようで、「unpeople」におけるアナログとデジタルを両立させる美学にわたしが惹かれたのも当然かもしれない。


Overmono「Good Lies」
Miraa may「In My Feelings」をサンプリングした「Feelings Plain」の蠱惑的な囁きに誘われるがままに48分を聴き続けていくと深夜のクラブの空気がモワッと伝わってくることは勿論、教会の中や森の中といった静的/聖的な空間の空気が漏れ出してくることが分かる。それは「Varmonly」といった非クラブ的なサウンドの楽曲を収録しているからでもあり、UKガラージやモダンR&B、あるいはY2KムーブメントやビッグビートやEDMといった固有名詞と一定の距離を置くことで特定の磁場に縛られていないからでもある。フジロックで見たライブは深夜帯だからこそのテンションも含め、言語や意味を脇に置いてラディカルに身体を踊らせるダンスミュージックの本懐が詰まっていた。EDM以降にリリースされたダンスミュージックのアルバムの中で共通言語として君臨する一枚だろう。


Sam Wilkes「Driving」
地球とよく似た星のポップスを聞いてる気分になる。ギターやベース、パーカッションにメロディーが乗り、ストリングスで彩っている…と形式だけを抜き出せば私がずっと親しんできたものなのに、ルールやら文法にこちらとあちらでズレがある。聞き心地の良さが漂わせる不穏さがアルバム全体を覆う。そのズレはインプロを中心に活動を行っているアーティストが"ポップス"という型にハマることで生まれたものだろう。そのズレの中に過剰なポップスにもアンダーグラウンドの極北にも向かわない美がある。


空間現代「Tracks」
京都を中心に活動するバンド・空間現代が佐々木敦が主宰するレーベル・HEADZからリリースした新作。禁欲的に、まるで修行のように徹底してストイックに楽器の擦り合わせが行われている。というか彼らの本拠地であるスタジオ「外」は精神と時の部屋なんじゃないか。日夜ひたすらに楽器を携え研鑽を重ねているのだろう。ギターとベースとドラムのみで生み出された反復するビート、その中で少しずつ形を変えていく人間の肉体性がもたらす揺れ、その揺れ同士がポストハードコアにある激情を媒介にして重なっていく。「人力IDM」とでも形容したくなる音楽。M4「Fever was Good」においてギターのアルペジオの反復からギターの切り裂く音へ移行する構成なんかはプログレとは逆の方向に進化したBlack Midiの1stアルバム、みたいな味わいさえある。


くるり「愛の太陽 EP」
老若男女に愛される歌謡曲とギターロックの両立に真の意味で辿り着いた「愛の太陽」。全てタイアップ曲で構成された本作品はインタビューでも述べられている通り、「等身大」という言葉が似合う。音響の面でも理論的な面でも熟成と鍛錬を重ねた地肩の強さのもとでギターコードを素直に並べ、自然なメロディーを載っける。そしてギター小僧の顔も時折覗かせる。それを「自然」に聞かせることにもクリエイティビティが発揮されている。「愛の太陽」から「真夏日」まで、くるりの名アンセムにひたすら連なっていく楽曲が並ぶ。これからくるりの名刺になるような一枚だ。J-POPでも邦ロックでもなく、「くるり」が好きなのだ。


Radian「Distorted Rooms」
1996年に結成されたオーストリアのバンドの9年ぶりのアルバム。今年初めて知ったバンドでしたが、ビートメイク〜曲制作〜演奏〜セッション~録音が並行して行われていることを伺える1曲目の手触りで一気に好きになってしまいました。3曲目「Cicada」はCANに近いクラウトロックの手法をポストロック/IDM的解釈で仕上げるような歴史の流れを感じる。人力IDMと呼べる演奏は空間現代、butohesなど日本のバンドでも見られますが、空間の捉え方の妙で一気に聞いたことのない音響になるのが凄い。


deathcrash「Less」
サウスロンドンのスロウコア/サッドコアバンドで、先日ライブにも参加することが出来ました。MCでOAのNOUGAT!が「遅ければ遅いほどいい」「90年代からタイムスリップしてきたバンド」と形容していた通りのバンド演奏でした。遅さによってバンドメンバーの発するドラムの音やコードの響き自体を堪能できること、楽曲の構造やフレーズの前提である"音"に意識がフォーカスされていく。作品自体への没入感は今年発表されたアルバムの中でも随一です。そして何よりポストハードコアからエモ/ポストロック/音響派へ分岐し、グランジやオルタナティブロックと結びつきながら発展した90年代USに惹かれながらも「間に合わなかった」私にとってこの音像を"いま"味わえていることに大きな感動と感慨がある。


Andy Stack & Jay Hammond「Inter Personal」
この作品を聞いて思い出したのはisotope 217やChicago Underground Duo、tortoise「TNT」といったジャズ由来のセッションミュージックを徹底したポストプロダクションでエレクトロニカに接近する地平に辿り着いたシカゴ音響派の諸作、Yo La Tengo「Summer Sun」におけるヴェルヴェッツ直系のノイズ〜アナログサウンドの取り入れ方などで、まさに自分の音楽リスナー遍歴に対するご褒美みたいな作品でした。M5「Life on a Ship」の泣きのペンタトニックスケールをなぞっただけのさりげないギターのトーンとか、悔しいほどに自分の琴線が刺激されてしまう。


Sufjan Stevens「Javelin」
こないだマヂカルラブリーのラジオに東京ホテイソンがゲストで出演する回を聞いていた。東京ホテイソンのネタをいくつかの要素に分解して、どこにウケる要素があり、どの要素が必要ないのかをクソ真面目に検討していくのだけど、「Javelin」はそんな分解に意味を与えない。アコースティックギターの爪弾きからボーカルがフワッと力まずに着地するよう歌い始め、気付いたらコーラスやオーケストレーションがその空間を祝福するように包み込む。この展開のシームレスさは内面世界の膨張と収縮の繰り返しを表し、あくまでいち個人の揺らぎのみを解像度高く音に変えているような印象を受ける。その内面が明かされることでセラピーを受けているような感覚に陥る。宮沢賢治は「心象スケッチ」という行為について「人間の心象を描くということは、個人的なものを超えて普遍的なものをスケッチすること」だと考えている。本作はまさにそうだ。


Texas 3000「tx3k」
ロックバンドの良し悪しの根本にあるものは、音を聴いてガッツポーズが出るか否かである。そう私はずっと思っていた訳ではなく、むしろ「tx3k」を聴いてこう確信した。脳で言語化して咀嚼するより、肉体が直感的に反応したこと/反応したということが記憶されることにロックバンドの実存があるのだろう。完全にミッドウェストエモの下流にあるが、もはやルーツとかどうでも良くなるほどにこの演奏でしか得られないヒリヒリ感がある。そこにはルサンチマンとか弱者の逆襲とか、あるのかもしれないが、私個人からするとそういった物の影は見えず、ただ音を鳴らすことだけに意味を見出しているような印象だけが残る。アルバム終盤の「Here」はホーンの使い方や後半にドライブするバンド全体の熱量など含め所謂ポストロック/エモ史に残るんだろう。


Puma Blue「Holy Waters」
90年代のPortisheadらトリップホップと呼ばれたアーティストが持っていたメランコリー、あるいはトムヨークの救われなさが当時と同じく、いや、もっと冷たく説得力を持ってしまうことをこのアルバムは証明している。ボーカルと演奏は再生時間を重ねれば重ねるほど深いリバーブに捉えられて作品の中に滞留していく。同時に前作に比べて楽器演奏者の個々の主張はより激しく、ベッドルームポップと括られることを拒んでいる。タイトル曲「Holy Waters」ではAlabama Shakes「Sound & Color」にも通じるベースラインが用いられ、よりインディーロック的に聴ける。ファンタジーや想像上ではない暗い暗い道へと冷たい手が誘っている。この作品がリリースされた9月は残暑が激しかったからこの作品を寝る前にずっと流していた。


blur「The Ballad of Darren」
今年は個人的にはブラーイヤーでした。そもそも中学2年か3年生の時にoasisからのブリットポップの流れでblurを好きになり、"洋楽"へ音楽嗜好の舵を切ったのでblurに対しての思い入れは強いのですが、今年はblurとしての来日公演、ストリーミング配信、そして新作の発表と初めて「ブラー」をリアルタイムで追えたことが非常に印象深いです。新作「The Ballad of Darren」は約8年ぶりの新作ということで「微妙な作品が来たら怖いなぁ…」という期待半分不安半分くらいの心持ちでいましたが、シングルカットされた「The Narcissist」はブラーらしさを詰め込みながら洒落たシンセの使い方、洗練された構成など年を重ねたバンドとして最適解を叩き出す名曲だったので一気に期待感が高まっていました。蓋を開けると「イギリスらしさ」に改めて向き合った作品で、XTCやビートルズにおける徹底的にポップ然とはしているんだけどどこか捻くれているところや、エレガントさやスタイリッシュさに満ち溢れていることなど、少なからずUKロックに時間と思いを捧げた人間として感慨深くなる瞬間が多かった。ジャケットの曇った空と真っ青なプールなど皮肉が効いているのも良い。何よりライブで本作に収録されている曲がライブで披露された際に往年の名曲のように響くのが印象深い。blurのメンバーがフレッシュに、自然体でバンドに向き合っているからなのだろうが、「Tender」→「The Narcissist」→「The Universal」と並べて披露される流れが30年前からあるようにナチュラルに響いていたのには驚いた。年を重ねても格好良くいてくれて嬉しい。


Cruyff「lovefullstudentnerdthings」
いつかの将来、このジャケットをみると2020年から2023年までの数年を思い出すことになると思います。どうしようもない脱力感や、何を言ったりしたりしても無駄なんだろうなという虚無感、周りの人が何かを成しているのに私には何もないという途方感と焦り、同時にかっこいい音楽を聴いたり楽器を構えたりしている時の無敵感、コロナウイルスで変な形に曲がりながらもそれがあったおかげでどこか救われたような気がする高校生活の終わりから大学生活も終わろうとする数年間、のそんなぐちゃぐちゃを、「ビートを早めて」という言葉にあるように、混沌のまま足を絡ませながら、重く強引に進めようとしている音楽である。"音楽に救われる"という言葉を頑なに信じていなかったが、これを聴くとなんとなく分かる気がする。


Loraine James「Gentle Confrontation」
IDMと呼ばれる音楽が、"Intelligent dance music"という名前とは裏腹な、"頭では理解していないけど、体が勝手に動いている瞬間"と名前通りの"瞑想するかの如く体の動きを止めてただ流れている音に集中する瞬間"の両極を備えている点に私は強く惹かれる。これはAphex Twinやオウテカは勿論、Loraine Jamesが別名義Whatever the Weatherの活動も含めて実践し続けてきた物でもある。本作はその実践の集大成でありながらも「I DM U」とタイトルにジャンル名を冠しながらblack midiのドラマーを呼んでセッションを行ったり、「One Way Ticket to The Midwest(Emo)」というタイトルでルーツであるミッドウェストエモ"っぽい"フレーズを電子楽器でなぞるなど、生演奏/デジタル制作の境界線を再定義する実践が見られ、改めて90年代以降のエレクトロニカ/IDMを刷新しようとする気概を読み取れる。ここ数年肩を入れて聴いているジャンルのサウンドがアップデートされていく様をリアルタイムで追えたのが嬉しい。


以上です。こう並べると凝り固まってもいないし雑食過ぎないしいいバランスのリストになった気がします。来年も音楽を楽しく聴けたら良いですし、聴いてやる、という強い意志が今の私にはある。

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