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Blur 個人的アルバムランキング

はじめに


今年のサマソニのヘッドライナーがBlurに決定しました。今年のサマソニのヘッドライナーがBlurに決定しました!!!!!!!!!!今年のサマソニのヘッドライナーがblurrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr!!!!!!!!!!!!!!

Blurというバンドを考える時、浮かぶ曲は「Boys&Girls」が多い気がする。この曲を通してブリッドポップムーブメントの狂騒と、ギターロックの永遠の煌めきと、デーモンアルバーンの持つポップネスを伺い知ることができる。しかし、それはあくまでBlurの一側面でしかなく、実際は1990年前後のシューゲイザー/おマンチェ的音作りからアメリカのオルタナティブロックへの対応、ゴリラズの片鱗がはっきり見える良質な捻くれソングなどその曲調は多岐に渡り、同時代のoasisが「oasisらしさ」に固執してしまっていた反面、blurは自由に音楽と向き合っていた。

ただ、私はそんなblurのセンスをすぐに理解できていなかった。oasisをきっかけに洋楽を聴き始め、ブリットポップなるムーブメントがあると知った私が「Parklife」に手を伸ばしたのは必然だった。しかし、よく分からない。なんだかしっちゃかめっちゃかしてるし、oasisみたいに合唱できない。あくまで「ブリットポップ」は音楽産業が業界を盛り上げるために持ち上げたムーブメントだった、というのはこの後に知るのだけど、どうしても「Parklife」と並びウォークマンに入っていた「Morning Glorly」を聴いてしまうのである。

彼らの作品に改めて触れるきっかけになった作品が「Leisure」だった。「シューゲイザー」や「マッドチェスター」という言葉に浮かれていた当時大学受験性だった私は、blurにもシューゲイズサウンド、マッドチェスターサウンドを取り入れた作品があると云う情報をインターネットで見つけ、聴いた。最高だったのは言うまでもない。そこからディスコグラフィーを辿るとアメリカのオルタナ/インディーとの共鳴、トリップホップとの接近など音楽的挑戦と聞きやすさの高度な混合というblurの魅力に取り憑かれてしまった。

そして、今年のサマソニにblurがヘッドライナーとして帰還する。本当に嬉しいので、blurのどういった点が好きなのかを改めて再認識するために全アルバムをレビューし、そして偉そうなのだけど、ランキングをつけます。


8位 2nd 「Modern Life Is Rubbish」 :ポップであることの空虚さ

「近代化した生活はクソだ」というタイトルからも分かるように、全編に渡って気怠さだったり、投げやりな観念が充満している。バンドとしての初期衝動ではなく、もっと消極的な、困窮している訳でもないのだが、どこか疲れた若者のマインドが浮かんで見える。「ブリットポップ3部作」とも呼ばれている3作品の1作目ではあるから、1stよりもとっつきやすい作風ではあるのだけど、そのポップさの後ろにある空虚さに耳が向いてしまう。
 この投げやりなマインド、というのはアメリカで巻き起こったグランジと共鳴していた様にも聞こえる。グランジはハードロックやメタルの重さからマッチョイズムを引き算しつつ、代わりに希死念慮を持って共感を生んだ。
 本作は「希死念慮」ほど絶望している訳ではないが、このどうにもなれ、といったムードは「Modern Life is Rubbish」にも存在する。シングルとは別バージョンで収録されたM7「Chemical world」は本作において最もグランジの流れを感じさせつつ、blurなりの捻くれポップネスが花開いた名曲だ。簡素なパワーコードのリフレインはNirvanaのそれのオマージュであろうが、後半ではテンポが変化し壊れた機械のようにピアノとノイズギターでのジャムセッション的なセクションへ突入する。でも聴きやすい。この奇妙なバランスにこそblurらしさを見出せる。
 後半の「Villa Rosie」「Coping」「Turn It up」といった3分台のスタイリッシュな曲が並ぶあたりでは前半の気だるさからは離れ、シンプルなポップナンバーとしてデーモンアルバーンの最も素直なメロディーメイカーとしての味わえる一方で、アルバムを締める「resigned」は後半にかけて直情的な演奏が加速していくハードな展開。天才が気負いなく気ままに作ってしまった玩具箱のような作品だ。


7位 4th「The Great Escape」:逃避行

  作品を眼差す際に、タイトルに引っ張られてしまうのは仕方がない。今作は「偉大なる逃避」と名付けられ、以降の作品に顕著な「求められた要素からの脱却」という側面が露わになった。また、ホーンセクションの多用とグレアムコクソンの奔放なギタープレイが重なり、ブリットポップ的な音作りからも少し距離を取り、どこか俗世から離れた空気感を作っている。「俗世から離れた空気感」を作り上げているのはディスコグラフィーの中でも特に際立っているコーラスの使い方だろう。「Best Days」「Charmless man」における複数の声が織りなすムードは「The Great Escape」というタイトルに相応しい。ブラスバンドとオルタナ的な隙間と攻撃性があるギタープレイ、そしてコーラスという要素が重なった、歪なバカンスのような「My Robinson's Quango」は本作のハイライトの一つ。
 彼らの心地よくもどこか「外し」のある絶妙なポップセンスが前作前々作よりも存分に活かされた作品であるが、本編を締める「Yuko and Hiro」の日本語パートの間抜けさは否めない。そしてこのどこかシリアスさの欠如した音楽性はメンバーの間で亀裂を起こし、ブリットポップの終焉に伴い一時期の活動の休止を呼び込んだ。


6位 7th 「Think Tank」 :Gorillazとblurとの綱引き

 2003年に発売された作品、というと語る上でGolirazの存在は避けても通れない。1998年に始動したGorilazはインターネット黎明期の空気感(マトリックスとか...)とビッグビートのような強靭なサウンド、引用やループといったヒップホップ的感性を備えていたこともあり世紀末から21世紀の幕開けにかけて世界的なヒットを巻き起こしたという。このムードをblurに持ち込んだのが「Think Tank」だ。「13」で見られたトリップホップを意識したベースラインの図太さ、タメのあるドラムを軸に民族楽器を多用することでアルバム全体に統一された空気が充満している。このパッケージとしての統一感はFatboy SlimやOrbitalのメンバーがプロデューサーとして参加していることにも拠る。
 欠けた要素はグレアムコクソンのギタープレイで、レコーディング中に脱退してしまった。ノイジーでパンキッシュで、それでいて楽曲全体を俯瞰した完璧なギターワークは本作において聞くことはできない。でもこのアルバムが間違いなく「blur」であると言えるのはデーモンアルバーンの実験精神とポップネスがどこまでも輝いているからだ。ただ、やはりここにグレアムコクソンが加わっていたら90年代から世紀末を跨いだUKサウンドの結晶みたいな作品ができたんじゃないかと妄想してしまう。


5位 4th 「Parklife」:英国音楽の狂騒

 代表曲「Boys&Girls」から幕を開ける本作はブリットポップという潮流において欠かせない1枚である。一方で初めて「parklife」を聴いた際、わかり難いアルバムだという印象も受けた。16曲収録というボリューム、バラけた曲調と大曲・アンセム主義だったoasisのアルバムを同時期に聞いていた私にはとっつきにくさがあったのは事実である。
 和解を果たしたのは、このアルバムにUKロックの享楽性が詰まっていることに気づいてからであった。「Bank Holiday」にはThe Clash直系のスリーコードパンクが、「Far Out」ではDavid Bowieに勝るとも劣らないボーカルの響きが、「Jubilee」ではXTCといったポストパンクに通じる奔放なギタープレイが、と数曲抜き出すだけで一種のイギリス音楽の気持ちの良いポイントを凝縮した総決算的な1枚だと言える。
 この引用の感覚はのちにGorilazとして大成功を収めるデーモンアルバーンらしさとも言えるし、oasisだってコード進行とリフは大ネタから拝借しているし、だからこそ「発明なきブリットポップ」としてレッテルを貼られる要因の一つではあるだろう。ただリード曲「Parklife」における頭を空っぽにして盛り上がれるような純然さは普遍性を備えているし、イギリス史に残るアンセムだろう。


4位 8th 「The magic Whip」:会心の復帰作

 ジャケットが妖しげに光るネオンなのは本作が香港で行われた5日間のセッションを元にしているからだろう。10年代にポツポツとライブを行い新作への空気を醸成した彼らが2015年に発売した本作は類稀なるポップセンスと捻くれたソングライティングで世界を席巻した彼らの復帰作として完璧に近い。その原因はやはりデーモンアルバーンとグレアムコクソンのパワーバランスが均等になった(、というかそう聞こえる)事にある。
 このパワーバランスの良さが現れているのがM7「I Broadcast」だ。シンセポップスのような導入からザラザラに歪んだギターが伴奏を塗りつぶす。曲全体を引っ張る推進力としてギターが機能しつつ、バンドサウンド以外の装飾が曲全体を彩る。「reisure」「blur」「13」で見せた奇跡のようなタッグが2015年にも輝き続けているのが堪らなく嬉しい。後半の「Ong Ong」は「Great Escape」で魅せた「歪なバカンス」のような雰囲気を取り戻しているなど、かつてのblurを再解釈・再構成している。もちろん老練を重ねたからこそミドルチューンには「枯れ」が伺える。久々の復帰作としかなり理想的に近い作品だ。


3位 1st 「Leisure」:英国らしさとは

 1991年にリリースされた1stアルバム。1991年はというとブリットポップの嵐が吹き荒れる前、マッドチェスターと呼ばれるサイケデリック・ダンサンブル・ギターロック・ムーブメントが終わりに差し掛かった頃。また、My Bloody Valentine、RIDEといったバンドが歪ませたギターで曲をベタ塗りする手法(=シューゲイズ)を確立した頃。シューゲイザーとマッドチェスターの流れの影響下にある本作はUKサウンドの一種の到達点と言っても過言ではない。これらの共通項として「陶酔」と「メロディーの良さ」を挙げることが出来る。ギターのフィードノイズの陶酔、ハウスビートを手動で再構成したようなダンサンブルなドラミングの陶酔。そしてヘロヘロしつつ何故か耳に残るメロディー。
 この説明は「Leisure」にピッタリ当てはまってしまう。「She's So high」における声の重なりが織りなすサイケ的な陶酔、「Bang」におけるThe Stone Rosesを彷彿とさせるリズムセクションとギターの交わり、「Slow Down」における歪んだギターの煌めき。冒頭の3曲だけでこのアルバムがどういった音楽の流れを汲んだのかが分かるし、ミニマムなバンド編成だからこそジャンルを横断したサウンドが過剰にならず、心地の良いポップソングとして機能している。


2位 6th 「13」:狂気と正気の狭間で

 奇妙なアルバムである。異様なテンションで日常と非日常が交錯していくような、常にアルバムの中で前曲へのアンチテーゼが展開されていくような感覚。「Tender」におけるインナーワールドを開放したようなゴスペルは次曲「Bugman」においてファズギターに埋め尽くされ、続く「Cofee&TV」は聞きやすいモダンなポップスで、その次の「Swamp Song」は絶妙にギターリフとドラムが噛み合わない酔ってデロンデロンになったようなサイケデリックパンクとでも形容したい楽曲である。
 ここまで楽曲間で空気感が違うとバンドにおける統合が取れていないのではないかと勘繰ってしまう。当時のインタビューを読める媒体が無いのでなんとも言えないが、寧ろ逆で、ここまで様々な方向へ拡大出来る音楽的野心をメンバーは備えていて、その受け皿としてして機能していたのでは無いか。「B.L.U.R.E.M.I」から「Battle」における緩急の付け方一つとっても世界に対する恨みつらみや希死念慮が作品に繋がった、というよりスタジオワークで生まれたアイデアが作品に健全に反映されたような印象を受ける。この芯から楽曲に身を委ねている訳ではない、みたいな(いい意味での)軽薄さこそブラーをブラーたらしめている要素であろう。
 後半のトリップホップを強く意識したナンバー含め、こんなにまで豊穣に様々なサウンドや要素をブラー流に料理した後に歌われるバラードナンバー「No Distance Left to Run」における「It's Over」という一節の響きの切なさったら無い。blurの持つポテンシャルが最も輝いた作品。


1位 5th 「Blur」:セルフタイトルにして最高傑作

 セルフタイトルのアルバムを1stではなくキャリアの途中でドロップするアーティストの「覚悟」というか「到達点」感が好きで、本作もそんな1枚である。ブリットポップが終わりを迎えた時代における彼らの本当の姿を切り取った本作で見せたのは同時期のアメリカン・オルタナ・インディーロックのごときノイジーさとラフさ、そしてバンドサウンドの逞しさだった。言ってしまえばpavementのような隙と憂いとジャンキーさ。また、1st以降少しずつ「影の立役者」的役割を背負っていたグレアム・コクソンのギターが全面的にフューチャーされ、英国流の味付けをされたオルタナ/インディー/ギターロックの真骨頂ともいえる作品に仕上がった。
 曲の流れもスマートで素晴らしい。枯れたギターブラッシングのリフと開放感のある美しいコーラスワークが完璧なオープニングナンバー「Beetlebum」、アンセム「Song 2」、アメリカの荒涼ささえ感じる「Country Sad Ballad Man」、グレアムコクソン節が炸裂した「M.O.R」、The Doorsのようなオルガンサイケ「Theme for Retro」からアコースティック曲「You're So Great」へ...とA面だけ見ても綺麗に楽曲のバトンが繋がっている。
 少しずつ遊び始める後半も聞いてて痛快で、1分強のパンクソング「Chinese Bomb」やドロドロした音響が飽きを生まない「I'm Just a Killer for Your Love」、初期プライマルスクリームを思い出す「Movin' On」、そしてアルバムを締めるのが「Essex Dogs」で、ブラーの持つ実験精神を反映するプログレッシブな展開とノイズ、トリップホップ的音響処理が異様な緊張感を生み出す。
 「America」「China」そして「Another Star」とイギリスからの脱却を感じさせる曲のタイトルからもわかる通り、これまでのブラーに隠れていた彼ら本来の胆力とブリットポップ期に磨かれたポップセンスが結びついた文句無しの名作である。


いかがだったでしょうか。作品ごとにカラーを変え、ブリットポップの代表格であるのにも関わらずブリットポップ後に会心の作品を数枚出す、というのがめちゃくちゃクールだしここまで支持される理由だと思います。

サマソニのセットリストはちょっと予想つかないけれど、ハイドパークのライブ盤は神がかり的な演奏と盛り上がりなので、これを聴いて8月まで待ってます。


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