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日記 3/20 (サークル/コピバンについて)

あまり普段自分のことを書かないし、基本カッコつけたくなるので取ってつけたような文章しかアップロードしないのですが、この文章は素直に日記です。高校時代から軽音楽部に所属してベースを弾いて、大学に入った後も軽音サークルに所属し、先日、自身の代の卒業ライブを終えました。高校時代も結構しっかりとバンド演奏に勤しんでいたのですが、最後の最後にコロナウイルスの影響で卒業ライブを開催することが叶わず、どこか心残りなまま大学に入りました。とはいえ大学初年度は学校にさえまともに通えていなくて、まあやっぱり総じてまともな1年目では無かったと記憶しています。

ただその1年間でわたしは多くのアルバムを聴き、映画を観て、ギターを始め、Twitterのアカウントを作りました。今の生活のほとんどです。あのコロナの期間のにっちもさっちも行かないなかでひたすら時間と創作物を消費していたように思えた日々が、今の人間関係や休日や週末の予定を作っているわけで、わたしは2020年のことを忘れることはないでしょう。結局音楽趣味が妙に合致するサークルに入り、また、2週間ほどで辞めたサークルで出会った息の合う友人らが入り浸るサークルにたまに顔を出すようになりました。

最後の最後まで、軽音楽という言葉を持った界隈?磁場?コミュニケーション方法?空間?を心の底から好きだと思うことはなかった、というか、そういう空間にいる自分が好きになりきれませんでした。大人数の飲み会では自分の自意識が邪魔をして斜に構えてしまうし、スタジオの予約だとか全員ちゃんと来てくれるか心配することとか、煩わしいことも少なくはない。もちろん殆どが杞憂で、なんだかんだ帰り道は楽しく帰路に着いていましたが。ビートルズだけをコピーするサークルの人と喧嘩したことは反省しています。

軽音楽という言葉への没入出来なさとは別にコピーバンドに没頭できたのは楽器演奏をすることで音楽リスナーとしての自分に正のフィードバックがもたらされたから、のような気がしています。耳コピをする中で曲の構成やコード、リズムの組み立て方の妙に傾聴できたり、スタジオで合わせる中でベースの力加減一つで全体の気持ちよさが変化していくことを知ったりと、コピバンをする中でプレイヤーとしての自分が磨かれていくというよりはリスナーとして自分の「音楽が好き」という感覚にどんどんレイヤーが足されていったし、リスナーとしての自分の音楽の楽しみ方がどんどん増していった。普段よくバンドのライブに行くのですが、自分も演奏するからこそステージに立つ人たちの演奏の旨みや凄みを鱈腹味わえたし、その旨みをなんとか自分の演奏に還元しようともしました。もちろん単純に好きなバンドの演奏をするのはクソ楽しい、というのが前提にありますが。

さっき軽音楽という磁場自体は心の底からは好きになれないとは書きましたが、サークルを通して出会った人ひとりひとりは素敵な人ばかりで、それは音楽の趣味もそうだし楽器へのスタンスもそうだし、そういった趣味やスタンスが演奏や歌声に表れるのも興味深かったし、とにかくみなさん惹かれるところがあった。やはり場所というのは人が作るものなんだなという結論。2020年度、学校に行けなくて知り合いもいなかった頃を考えると遠いところまで来たなぁという感慨があります。そして、もうコピバンはいいかな…と思ったところで丁度終わりが来ました。葱くん、卒業おめでとうございます。


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