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2023年に聴いて良かった旧譜15枚

2023年も振り返れば色々な形で音楽と接点を持ち続けた1年でした。いくつかの来日公演、邦楽インディーバンドのライブ、サマソニそしてフジロックに足を運び、サークルでコピバンをしつつオリジナルバンドの活動を並行して行い、乃木坂ファンとして様々な媒体を追っかけるなど慌ただしく過ぎていきましたが、そんなことより何よりも音楽を毎日聴いていました。

昨年末に自分の音楽の聴き方を"特定ジャンルのディスクガイドの掲載作品:新譜:好きな旧譜:思いつき」を「4:4:1:1」くらいの割合で聴いている"と表現しました。今年もエレクトロニカ・IDMディスクガイドやUSオルタナディスクガイドを眺める時間が多かった記憶があります。それに加えて「或る歴史と或る耳と」という毎週3枚名盤を年代順に聴く企画に誘ってもらい、邦楽名盤を100枚聴くなどしました。

今回のnoteは2022年までに発売されたアルバムで今年聴いて印象的だった作品についてつらつら書くと共に、1年間をなんとなく振り返ることが出来たら嬉しい、そんなnoteです。

マドンナ「Ray of Light」1998年
マドンナの音楽に関して私が持っている思い出や情報は限りなく少なくて、父親がくれたレコード20枚くらいの中に「True Blue」が入っていたのですが、聴いたことは無い。出会ったきっかけはYouTubeのエレクトロニカ概念語り…のような動画で、ovalやBords of Canadaと並んで電子音楽的要素を持ったポップアルバムの代表作として紹介されていました。エレクトロニカと呼ばれるジャンルは個人によってその定義が広く分かれるジャンルだと考えています。例えば2000年代の雑誌を読むと「ポストテクノ」と形容されダンスミュージックの向こう側のジャンルと設定されたり、アンビエントやポストクラシカルなどある程度区分けがなされている領域とかなり被る所もあり、私は電子音が使われた遠泳的なインスト音楽くらいの認識で「エレクトロニカ」という言葉を使っています。その見方をすると「Ray of Rights」は一切エレクトロニカでは無くて、全編に渡ってマドンナのメロディーと歌声が鳴り響いています。ただ、トラックで使用されるシンセの音使いやバスドラの重過ぎない打音など90年代後半の電子音楽に通じる部分を見出すことは可能でもあります。私が思い浮かべたのはPrimal Scream「Screamadelica」で、「Screamadelica」における女性コーラスが前面に出る瞬間のような、アシッドな酩酊感とポップさが入り混じるような、ただ身体が心地よく落ちるのではなく、耳でちゃんと音を認識して聴き惚れていく感覚。同年代のトリップホップにも近い。そしてすごいお金がかかっているから一つ一つの音がリッチで、それだけでも楽しい。


The Sea and Cake「One Bedroom」2003年

サムプレコップ、ジョンマッケンタイアというシカゴ音響派(日本でしか言われていないアレ)ファンにお馴染みのメンツで構成されたポストロックバンドの2003年作。初期からジャズからのアプローチや特定の楽器に縛られない演奏などロックのクリシェから積極的に抜け出しつつ録音芸術としての作品をリリースしていたその名の通り"ポストロック"を地で行くバンドですが、本作はサムプレコップやジョンマッケンタイアのソロ作品にも連なる生演奏と電子音の融合具合が大変好みで改めて何度も聞き返しました。2003年というと「KID A」「Amnesiac」を経たRadioheadが「Hail to the Thief」をリリースした年ですが、まさに「Hail to the Thief」と同時に聴きたいアルバムです。語りすぎないメロディーの美しさに電子音とギターの生々しさと構成美
が説得力を与える。ちょっと現行のポストパンクっぽい歌と語りの中間のような瞬間もあり、タイムレスな魅力を持った名作です。今年は「ポストロクニカ」と銘打ってアナログとデジタルの淡いを揺蕩うような作品を積極的に聴きましたが、ロック的なダイナミズムを持ちつつ遠くの知らない景色を連想させる余白を持った本作は今年私が追い求めた音像そのものでした。


Funkstörung「Funkentstöt」1997年
ローゼンハイム出身のマイケル・ファケッシュとクリス・デ・ルーカによるエレクトロニック・デュオの1stEP。STUDIOVOICEという以前発刊されていた雑誌のエレクトロニカ特集号を愛読していて、2000年前後の電子音楽の空気感が良く伺える特集で暇があったら目を通してしまうのですが、その中にある150枚程のディスクガイドの一枚が今作。言ってしまえばIDMと呼ばれる音楽の雛形になるような、ランダムに配置されたかのような先の展開が予想できないパーカッションを軸に構成されたビートの上をゆったりシンセが漂う楽曲がさらっと4曲収録されているだけなのですが、私がIDMに求める攻撃性と心地よさの両極を備えた、クラブだけを向いていないラディカルなダンスミュージック。テイトウワやビョークといったミュージシャンのリミックスも行っていたようですが、オウテカがBUCK-TICKのリミックスを担当した…といったエピソードを耳に挟むなどもしたので、後追い世代にとってはマジカルなブラックボックスみたいに存在しているのが90年代のリミックス文化だなぁとも思いました。



Lusine「Condensed」2003年

こちらもFunkstörungと同じ並びで名前を知ったエレクトロニカのアーティストです。他のダンスミュージックと変わらずキックや音の抜き差しで展開を作っていく構造ではあるのですが、その展開ひとつひとつがどこまでも自然で、まるで空に浮かぶ雲や川の流れに任せて漂う水草を眺めているような無作為さをアルバムを通して感じます。ジャケット写真との相性も完璧で、デジタルデジタルしたアートワークではなく1920年にも2020年にも同じ佇まいで聳え立っているであろう灯台は本作の持つさりげなさを十全に表している。


syrup16g「HELL-SEE」2003年
今年20周年を迎えたsyrup16gの代表作。syrup16gやART-SCHOOLを中高生時代に聴いて人生が変わった、と半ば自嘲的にお話しされる世代の方々が羨ましく思う時がある。同時代のバンドに狂わせられる経験というのは私にとってリアリティがないからだ。こういう経緯でsyrup16gを聴き始めるタイミングを逃し、ちゃんと聴き始めたのは20歳を超えた頃だった。鬱ロックなどでは無く、虚脱感と脱力感に支えられたカンフル剤のような音楽だと思った。ずっとバッキングで鳴っている強烈にコーラスがかかったギターの音は不安定だけど、コード進行自体はかなりポップで分かりやすく、メロディーも明るい。でもそのニュアンスは自分のこの先を諦めたからこそ出力できるもので、物悲しく聞こえる。別に私自体何かを諦めたりしている訳ではないけど、コロナ禍以降の日々に立ち込めるうっすらとした不安をsyrup16gが20年前に演奏して歌っていることは不思議だけど、ありがたい。今年は「HELL-SEE」再現ツアーにも運よく参加することができた。「I'm 劣性」の歌詞を当日50歳になった五十嵐隆が「50代いくまで生きてんのか俺」と替えて歌って観客が苦笑いと歓声で迎えていた。共感でも哀れみでも憐憫でもなく肩を抱き合うような雰囲気が広がっていた。


Jon Hassell「Vernal Equinox」1977年
ブライアンイーノやトーキングヘッズとの共作でも知られる(今年知りました)トランペット奏者・Jon Hassellによる作品。実験音楽、と紹介されることも多いですが、その実は熱帯植物園で流れる存在しないトロピカルミュージックだったり、アングラな小劇場で見る演劇のBGMだったり、現実と非現実の間を媒介するような捉え所の無い音響作品だと受け取りました。ただ、アルバムをトータルで聴くというよりも、脳が溶けていくようなトランペットの音に瞬間瞬間で身を任せることが精一杯でした。"世界音楽を電子音楽の手法によって原始と未来を合体させる「第四世界」というテーマ"があるようで、書籍や文献を通して実践に対する理解を深めてから改めて聴きたい。今年聴いた音楽で最も両手で抱えきれない作品でもありました。



Cursive「The Storms of Early Summer:Semantics of Song」1998

ポストハードコアを経てエモ、ポストロック、音響派、エレクトロニカへと分岐していく流れがあった90年代アメリカ、私の理想郷と言っても差し支えがない。もちろんグランジ/オルタナも同時に最盛期を迎えていたわけで、ギターロックの黄金期としか言いようがない。そしてUSオルタナティブロックディスクガイドをパラパラめくる中で出会ったのがCursiveの今作でした。The Promise RingやMineralと近い、比較的早いBPMにギターのジャキジャキとした刻みを乗せて疾走していくまさにエモ・ギター・ロック。そして歌いたいことが特に無さそうで、音を出す時点で始まりも終わりも同時に存在しているような刹那的な満足感が全体を覆っているのが良い。素直にこういう音楽が最高だと思えるのは国内のCruyff、Texas3000といったバンドと共鳴する部分を感じるからでもあります。


uri gagarn「(untitle)」2004年
ジャンルミュージックというのはシューゲイザーにせよエモにしろポストロックにしろ「それっぽい」作品が粗製濫造されていくものだ。ジャンルという枠に当てはめていくことで特定の作成方法が持て囃されていき、いずれ飽和状態になる。いつかブームは去り、数年後にまた飽和状態になる。ましてや日本ではジャンル自体が国内で生まれた訳ではないから、二次創作的な作品やアーティストが増えていく。uri gagarnもSlintやjune of 44といったアーティスト名、いくつかのレーベル名を出すことである程度その音楽性を伝えることが出来る。ただ彼らのオリジナリティは以上のアーティストの影響を伺わせながらも、どこまでも削られた音数で曲を成立させることにある。アルペジオのみのギターが徐々にノイズへ変わっていく瞬間も、音が増幅したという感覚よりも音がより研ぎ澄まされたという感覚になる。熱を帯びれば帯びるほどにシャープさが増していく。ジャンルミュージックではありながら音をこれ以上減らせない所まで削ぎ落とすことで唯一無二の響きを手に入れたグラウンドゼロのような作品。


BORIS「Pink」2006年
Borisのこの作品は何度か知り合いにおすすめされたのだが、その度になんとなく食指が伸びなかった。メタルというジャンルに苦手意識がある訳ではないが、なんとなく自分は門外漢だと勝手に認識していました。結果、聴いてみてよかった。というか、かなり衝撃的だった。その衝撃は全く耳に違和感なく入ってきたことに対する衝撃で、まるで何回も聞き返したアルバムのような馴染み具合だった。例えばThe Novembersやスマパンのアルバムに良く見られる重いビートにわかりやすいメロディを乗せる曲だったり、例えばdon cabarelloのようにドラムが収拾つかなくなるくらい走り回るのをベースやギターがなだめるようなバランスのグルーブだったり、例えばノイズが歌にまとわりついてサイケデリアを描いたりと、自分の音楽語彙で消化出来る瞬間がかなりある。特に「Just Abandoned Myself」なんてオルタナティブロックと呼ばれる現象の最も拳を突き上げたくなる展開の宝庫で、もっと早く聴いていれば良かった。あるジャンルの名作と呼ばれる作品はジャンルに捉われない射程の広さを持っているのだなと実感した。大好きな作品になりました。


group_inou「MAP」2015
uri gagarnのフロントマン・威文橋がCPという名前でラップを行う音楽ユニットの現状ラストアルバム。インスタのストーリーにuri gagarnを載っけたらgroup_inouのファンからリプライが届き、聴いた。SUPERCAR「HIGHVISION」や電気グルーヴに連なるテクノ/エレクトロポップを地で行くサウンドにこれまた電気グルーヴが根っこにあるリズミカルでシニカルなボーカルが粘っこく絡み合う。パソコン音楽クラブもそうですが、友人の部屋に集まって機材を弄る遊びの延長線上に聴こえる点に凄く惹かれて、演奏者の人(にん)が良く見えるのが良い。俺も仲間に入れてくれ。かといって歌詞から人(にん)が見えはせず、意味があるような無いような断片を放り込んでいて、良く耳を凝らすと星座のように意味が勝手に繋がって何を言いたいか分かったような気になったり、ならなかったりする。その塩梅が凄く心地よい。「EYE」のMVが素晴らしい。ドライブマイカー。


Loose Fur「Loose Fur」2003年
ディスクユニオン新宿店、いつものように7階のインディーフロアへ向かい、まだSpotifyで聞けないジムオルーク作品を探していると見知らぬ名前が。「Loose Fur」という作品の帯を見ると「ジムオルーク×Wilco」と…。ありがとうございます。内容としては「ジムオルーク×Wilco」としか言いようがない。Wilcoが2ndアルバム以降に見せ始めた実験精神はジムオルークのそれと当たり前のように親和性が高く、Wilcoの歌心はジムオルークとのデュエットでより美しく映える。2曲目「Elegant Transaction」においてシンプルで静謐なインディーフォークからアウトロで徐々にアコギの音が幾重にも重なり、エレクトロニカ的な味わいが生まれるセクションなど聞きどころが多い。同時期のWilcoのロック的ダイナミズムではない部分の美しさが「Eureka」期のジムオルークとこれ以上ない融合を果たしたUSインディー重要作ではないでしょうか。今年Wilcoを全作聴いた上でこの作品に辿り着いたので、ご褒美みたいだな〜と思いながら聴いていました。ありがとうございます。


Sparklehorse「vivadixiesubmarinetransmissionplot」1995年
マーク・リンコスというアメリカ郊外に住む一人によって演奏録音され制作された作品。ヨレヨレなのにポップなサウンドはpavementやBECKなどを連想させますが、もっと粗く、もっと捉えどころの無い、ただ荒涼としていることだけが分かる16曲47分。本人はトムウェイツ、エリオットスミスやXTC、ブラー、そしてビートルズといった音楽を愛聴しているらしく、決してアヴァンギャルドを目指している訳ではないようで、自分なりの素直なポップを作った結果このヘンテコながら愛すべきアウトプットに向かったのだろうと想像できる。Radioheadのオープニングアクトをやっている最中にオーバードーズでぶっ倒れるみたいな半生さえ納得してしまうような作品。


Arto Lindsay「Invoke」2002年
ブラジルのギター弾きによる2002年作。思い浮かべたのは2000年代のRadiohead。「KID A」「Amnesiac」のライブ映像で見られたバンド形式で強引にエレクトロニカに通じる構成美を構築しようとする営みと、初期のオルタナティブロック期における各メンバーのプレイアビリティが融合した「hail to the thief」「In rainbows」はやはりRadioheadの最盛期だと思っていて、「Invoke」にはその頃のニュアンスが多分に含まれている。例えばギターのノイズから始まる2曲目「Predigo」のドラムの"ジャストよりちょっと遅い気がするけどズレやタメが生まれるわけではない"ニュアンスで、フィルセルウェイに聞き違えそう。もちろんブラジルのミュージシャンらしいラウンジミュージックっぽい甘美さも備えている。ただ、BGMになる要素は無くて、展開は練られているし、同時にインプロだと思われる緊張感が漂う瞬間も多く、前衛と心地やすさはトレードオフじゃないということを実感させられる。このnoteでまとめた作品の傾向からもなんとなく見えると思うんですが、やはり音響派的なデジタル/アナログ、即興/構成美といった2つの要素の間を体現する作品に惹かれていました。


Khaki「Janome」2021年
今どう考えても一番かっこいいバンドの2021年作です。いくつかのアーティストの名前を挙げて褒めることとか、大学のサークル出身バンドならではの空気感で説明するとか、マジでしたくない。できない。綺麗なメロディーを歌うことを拒まず、ギター2本だからこその自由さと制限を持ってフレーズを組み立てて、ちょっとジャズっぽいベースラインで腹の下がウズウズして、肩の力入ってないのにキメがすっとキマる様に度肝を抜かれつつ、やっぱりすっと抜ける綺麗なメロディーを歌ってくれることに感謝する。Tシャツとかジャケットのデザインや対バン相手を含めてkhakiを取り巻く事象がクールで、同じ時代を共有できていて嬉しい。新曲もさっきつらつら書いたKhakiの味を存分に食らえました。


Neil Young「After The Gold Rush」1970年
"ニールヤング"、名前は知っていたし、自分が好きなミュージシャンの多くがその名前を出していたのにも関わらず聴くタイミングを失っていた。江戸川沿いで散歩しながら聴いたら本当に泣きそうになってしまった。現生の煩わしさや穢らわしささえ受け止めた上で泥臭くも美しくあろうとする歌声、それがファルセットに移り変わるか移り変わらないかの瞬間、もうこれだけで良いじゃん…と空を見上げてしまった。かと思ったら「Southern Man」で喉の奥の叫びをギターの弦に叩きつけて弾き切るようなギターソロが鼓膜に鳴り響いて堪えられなくなった。凄すぎる。魂と声とギターが直列している。言葉になる前にあるプリミティブなものが音楽になっている感じでeそうか。レディオヘッドもSlint関連バンドもUSインディー~オルタナフォークも中村一義もくるりもサニーデイ・サービスも岡田拓郎も全部ニールヤングチルドレンだ。


以上です。当たり前ですが、新譜よりもある程度評価されている発売済みの作品の方がビビッとくるものが多い。また来年もバランス良く聴けたら良いですね。

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