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坂道 シリーズ 展覧会についての雑感

2019年の1月からでしょうか、乃木坂46の展覧会「だいたいぜんぶ展」が六本木ソニーミュージアムの柿落とし展覧会として開催されていました。そして昨年は欅坂/櫻坂46、今年のはじめには日向坂46が同じ場所で展覧会を行い、さっき日向坂の展覧会「WE R!!」に足を運んできたので忘れないうちに雑感を残しておこうか、と、iphoneのメモを開いています。だいたいぜんぶ展が開催されてからこの5年という月日の中で、坂道シリーズ自体も、世の中も、わたし自身も、いろいろ変わりましたし、同時に変わらないものもたくさんあります。これから始まる大学受験に怯えながら「アベンジャーズ エンドゲーム」とだいたいぜんぶ展と予備校を梯子していたキッズも、六本木で外回りを終えた足で六本木ミュージアムに行くようになりました。ただ、展示の中の彼女たちの歴史と自分を重ねてしまうことや、行く途中で見える東京タワーや、なにより46という冠自体はいつまでも変わらず存在してくれています。これは凄くありがたいことじゃないかなと。

話は飛びますが、この3つのグループの展覧会はソニーのお膝元で行われているからか、3つのグループの特性が良く出ている思います。なんなら、運営がどう彼女たちを魅せたいのか、彼女たちをどう定義しているのかが最も表出する機会ではないでしょうか。

乃木坂だいたいぜんぶ展。結成前の企画書から莫大な衣装の数々、クリエイティビティの黄金期といえる2014年から2018年あたりの創作物の裏側を巡りつつ、8Kカメラの高精細ライブ映像で締め、凝りに凝ったグッズでファンの財布を空にする。私は3回くらい行ったのかな?衣装も毎回変わり、西野七瀬の卒業衣装が途中で展示に追加されるなど、展覧会自体が成長していったのも思い出深い。展示されているものが彼女たちを輝かせるために何年間も積み重ねられていて、現在進行形で更新されている。そのことに思いを馳せたのである。

だけど、この展覧会の本質は会場内に敷き詰められた段ボール箱の数々である。ナンバリングがなされた白黒の段ボール箱はまるで会場に訪れた人に蓋を開けられるのを待っているようだ。すなわち、彼女たちの魅力というものはそこに眠っていて、クリエイティブだったり、衣装だったり、カメラだったり、そして彼女たちに眼を向ける我々によっても見出だされていく。乃木坂というグループは乃木坂という場所に集った人々で構成され、その箱庭にいる彼女たちの輝きがディレクターや監督に見出だされていき、その上で我々が自分勝手に、気ままに蓋を開けるように乃木坂を楽しむこともできる。そんな乃木坂の在り方が明確に打ち出されていて、凄く思い出深い展覧会でした。是非、そろそろ「だいたいぜんぶ展2」を開催して欲しい。

「新せ界」。欅坂から櫻坂に至る変化を作る側がどう捉えているいるのかを窺い知ることができるドキュメント。冒頭、櫻坂の衣装が展示されているケースの向こうが光り、時折欅坂の衣装の姿が垣間見える。なんらかのトラウマがハッと頭によぎるような演出。この欅坂の「トラウマ」からいかに解放されていったのかは展示を通して見えてくる。会場で異彩を放つのは地を這う樹の根っこで、順路の中で欅坂のクリエイティブを振り返りつつも、ついにリリースされなかった「10月のプールに飛び込んだ」のジャケット原案がそのおどろおどろしい根っこの下に隠れているなど、欅坂の正の歴史と紡がれるはずだった歴史が俯瞰されて飾られる。欅坂とは、平手友梨奈の横暴なまでの魅力を活力としたプロジェクトでありながらも、その下には常に言い表しようのない不安定さが地を這っていたと暗に訴えている。

欅坂から櫻坂に屋号が変わり、展示の最後にその根っこは桜の木として花を咲かせる。花が咲く過程で、欅坂から櫻坂への移行とはなんだったのかが暗に語られている。 渋谷という具体的な場所を舞台にした欅坂から、渋谷を「今っぽさ」くらいの解像度まで敢えて落とすことでスタイリッシュさを獲得するまで。あるいは、総体としてのアイドル「欅坂」から個の塊としての「櫻坂」になるまで(複数のテレビジョンが別々のメンバーの思いを映す展示方法などが、その証左だ)。

欅坂から櫻坂への移行の中で、いかに大人たちが欅坂という木を櫻坂という桜へ育てたのか。そしてこれからもそのクリエイティブと共に櫻坂は育っていくのだ、という断固たる決意を感じる展覧会であった。

日向坂「WE R!!」。「物語」と「メンバー」。日向坂を突き動かしたのがこの2つの要素であることは疑いようの無い事実であると思う。「WE R!!」に関しても全く同じ思想を持っているようで、会場を貫く年表とそこに寄せられるメンバーの言葉は恣意的に歴史を物語る。また、会場内に所狭しと並べられたメンバーの等身大パネルは、何某かのクリエイティブよりもただ実直にアイドルを全うしているメンバー自身を饒舌に語る。そして、それは日向坂というアイドルのあり方を真っ当に表している。これまでに開催された2つに比べると些か突貫工事のようにも思えるが、それはいくつもの偶然をメンバーの力でがむしゃらに物語として消化してきた日向坂の証明に他ならない。

年表とメンバーのパネルの羅列と文字にすると単調な印象を受けるが、展示会場という空間の使い方は上手いな、という感じを受けた。メンバー自身がピークと語るような東京ドームライブを振り返るゾーンでは壁いっぱいの東京ドームの画像と正面を向く大きなメンバーパネルをを空間いっぱいに置き、その「夢」の大きさを視覚的に見せ、一方でメンバーが苦しい瞬間を語る音声が流れるゾーンは周りを赤いカーテンが囲い息苦しさを演出し、それを抜けると衣装が空間いっぱいに吊るされた部屋に入り、開放感を得る。展示の単調さを導線の巧みさでカバーしていた。

「恣意的な歴史」と「メンバー」と特定の感情への「導線」。良い意味でも、決してプラスの意味でもないが、しかしこれでしかないとも言える日向坂らしさが押し出されていた。

こう振り返ると、同時代に別の個性を持つ3つのアイドルが同じ胴元の下で並列にあることの面白さを再確認できる。今年も楽しく応援できると良いなぁ!!

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