見出し画像

GRAPEVINE「Almost There」感想:メタバンド/GRAPEVINEの本領


GRAPEVINEの新作だ、と構えて聴くのは初めてだった。「新しい果実」を経て猛烈にGRAPEVINEへ興味を持ってしまったことは以前書いた通りである。

変なことをしてるのに開けていること、基本的にブチ切れていること、器用貧乏にならない形でいくつものジャンル/時代性を横断して制作された曲が並んでいること。GRAPEVINEの魅力を強引にまとめるならこの言葉に集約できる。同時に彼らが接していた音楽への偏愛を隠さず、素材やスパイスとして楽曲に織り込む。オリジナリティの確立と音楽史への目配せを欠かさない姿勢はくるり、ASIAN KUNG-FU GENERATIONといった息の長いバンドと共通する。

そして発売された「Almost There」を聴く。難しい。どう語ればいいのかが難しい。アルバムの中でのリファレンスの多様さやムードの違いによって左右に揺さぶられつつも、その意表の突け方はGRAPEVINEのディスコグラフィーの中では当然の物でもあり、心地よい裏切りの中で楽曲に従順な研ぎ澄まされたプレイと田中の歌唱が耳に飛び込んでくる。強引なのにスムーズ。「GRAPEVINEを聴いている!!」という感覚が強い。

「結局何をやってもGRAPEVINEなんですよ。誰がプロデューサーをやっても結局GRAPEVINEになるんだから、もう好きにやってほしいというか、思いついたものをどんどんやって、いっぱい捨ててほしいなと思いました。」
長年GRAPEVINEのキーボーディストを務めながら今作のプロデューサーを務めた高野は言う。やはり出力の方向性としてはコンセプトに沿う、というより今のGRAPEVINEをラフにスケッチしたものなのだろう。


こちらのインタビューでも直接アーティストの名前を挙げながらアルバムについて語っている。ルーツを積極的に明かす姿勢は先ほど述べた「音楽史への目配せを欠かさない」ことの現れだ。


インタビューを踏まえると「Almost There」はGRAPEVINEがシンプルに「GRAPEVINE」として作品を作ったことがわかる。じゃあそのGRAPEVINEらしさの正体とは何か。私はやはり「心地良い裏切りを積み上げること」であり、「作品ごとに見せる新たな一面」と言い換えることができるだろう。

「本作の新しさ」の一つに作曲者ごとの"らしさ"の融合という点が挙げられる。11曲を亀井亨、田中和将が殆ど半分ずつ作曲を行った本作だが、私は初めて聴いた時にどちらがどの曲を担当したのか直ぐに分からなかった。亀井氏は「風の歌」「光について」「白日」「スロウ」「すべてのありふれた光」とどこまでも伸びていくような田中の声を活かしたアンセム初期や「CORE」「豚の皿」といった田中和将の攻撃的な側面を活かしたRadioheadに近いオルタナソングメイカーという印象が強い。一方田中和将はソウルやファンクの影響が色濃い後ろノリのバンドサウンド(インタビューで「ブラックロック」と述べていた)や「新しい果実」で見せた全貌の見えない躁状態のまま突き進む楽曲、といった飛び道具のような役回りをするソングライターだと考えている。勿論例外ばかりではあるのだけれど、あくまで印象の話なので悪しからず。

ただ、「Almost There」においてこの印象は裏切られる。本作で最も「アンセム」と呼ばれるような曲調を纏っているのは「停電の夜」だろう。メロディーの上下をしっかりと付けながら「この目で見ていてよ」と切なく相手を希求するストレートなモチーフが採用されていて歌いやすく聴きやすい曲だな、亀井氏作曲だろうとサビのみの先行配信の段階で睨んでいた。ただ蓋を開けてみるとプリンスから連なるようなリズムボックスを用いた密室感の強い一曲であり、田中和将作曲だった。アレンジでの裏切り、新たな殻を破るような作曲スタイル。また、同様にリズムボックスを用いたバース部分と大阪弁の田中の歌唱が目立つ「雀の子」も田中氏作曲だ。「雀の子」に関してはサビでの音使いやコード進行がオーセンティックなギターロックサウンドのそれではある。むしろ亀井氏的なサビでの爆発を取り入れている。この2人のソングライターの個性が融合しているような曲がいくつか見られる点に新しさが見出せる。

上記の亀井節が表れた「それは永遠」、「マダカレークッテナイデショー」といったロックンロールチューンの流れを汲む「Ready to get started?」、四つ打ち/横揺れのダンスチューン「実はもう熟れ」と亀井氏の曲が並ぶ前半は想像の中のGRAPEVINEに収まってくれている心地良さがまたあるのも事実である。「新たな果実はやがて熟す時が来る」と歌ってしまえる彼らのメタ認知の巧みさは信頼感さえある。

「Almost There」で最も新しさを覚えたのがこれもまた亀井氏作曲の「ophelia」だった。インタビューでも「僕、コード進行してないですからね。Eしか弾いてない。その方がよく歪んでるように聴こえるんですよ」「ケヴィン・シールズみたいにジャズマスターでずーっとアームしてる」と言っている。シューゲイザーだ。そのシークエンスの後にoasis直系のペンタトニックスケールをなぞるストレートに挟ことからもUKロック直系の作曲者としての亀井亨を深く味わえる一曲といえる。渋さと新しさとしっくり感が同時に存在している様はシューゲイザーの如き浮遊感と言えるかもしれない。

そして最後の曲「SEX」。人類の至上命題である「愛」をGRAPEVINEらしく複雑なものを複雑なまま咀嚼する筆致で描かれている。"LGBTQQIAAPPO2S"という言葉はその姿勢を表す単語だろう。この曲でもリズムマシンの無機質な響きとドラムセットの生々しい響きが両立しており、「歪さ/素直さ」「新しさ/懐かしさ」といった2つの要素のマリアージュを試行した本作をこの1曲でまとめあげていると聴くことも出来る。

裏切りと予定調和の間の美しさ。すなわちGRAPEVINEというバンド自体の魅力を改めてメタ的に提示した作品が「Almost There」なのだろう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?