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本当は人生で「やらなくちゃいけない事」なんて1つもないのかもしれない(連続投稿725日目)。

 例えば今度のサッカーの試合であなたが勝ちたいとしよう、そこに向けて何故か「練習しないといけない」と考える人がいるのだが、僕はそこには正直ちょっとした違和感を感じる。試合は「勝ちたい」と本人が主体で考えているのに、その為の練習のほうは「しなきゃいけない」と考える。つまり試合には「勝ちたい」と自分主体で考えているのに、練習は「しなきゃいけない」と考えると言う事は、そこからまるで「人に言われて嫌々やっている」ような「謎の他人事感」が漂ってくるからだ。

 ここでサッカーの試合に「勝ちたい」のは自分自身で、それに向けて練習するのもやはり「勝ちたい」という理由から。ならば「練習しなきゃいけない」から練習しているのでは無くて、自分が「練習したい」からやっているという事で良いのではないか。

 まあ若干禅問答っぽく聞こえるかもしれないが、そう考えると世の中に「しないといけない事」と言うのはほぼ存在し無いのかもしれない。まあ百歩譲って「強制収容所や刑務所」とかに今現在収容されていて、その中で指示されてやる労働などは「やらなくちゃいけないからやっている事」と捉えることが出来なくもないが、それも良〜く考えてみると「そこで過ごす時間をなるべく短くするため、トラブルを起こしたくないから」と言う、やはりその人自身の「want思考」が根底にある。そう思うと、これもそのwantの為なので本質的には「やらないといけないこと」では無くてその人が「やりたい事」になってしまう。

 まあ何が言いたいかと言うと、言葉という物には言霊があるし、何事も言い方ひとつで印象が変わるので、なるべく「**しないと」と言うのをやめて「**するぞ」みたいな自発的な印象の言葉に言い換えたほうが良いんでは無いのかな、と言う事を提案したい。どうしても「**しないと」だと「誰か自分じゃない人や状況」からの「やらされている感」が漂ってしまってそもそも楽しくは無いし身が入らない。できるだけ自分発信の「自己効力感」の漂う言葉に置き換えて、何事も「自分ごと」ととらえて日々を生きて行きたいな、と思う今日此頃なんである。

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