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歌を習ったら歌がよく聞こえるようになった話

突然ですが、私は歌う事が好きです。
つい先日、予定が一つキャンセルなった空き時間の有効利用と称して、友達をさそってカラオケに行きました。
で、歌いながら感じた事を少し。。。

若かりし頃は歌っていました

先日、noteとは別に運用してるSNSが、過去のポストをあげてきて、歌を習い始めて4年になりましたよ、と教えてくれました。

いや、正確に言うと、「歌うのを再開して4年」と言うべきか。これまでの人生を振り返ってみると、私の場合は、がっつり歌ってた時期と、全く歌ってなかった時期に分ける事ができます。

がっつり歌ってた時期とは、小学生くらいから社会人初期の頃まで。
合唱団に入ったり、先生について声楽を習ったり、クラシックを中心に歌っていました。

その後、転職や転居やなにかで続けられず、長い冬眠期間へ。

再び歌い始めたら

20年以上のブランクを経て、色々なご縁で、再び歌い始めたのが数年前。
市民コーラスに参加して第九を歌ったり、短期間のコミットで歌える場所を探しては、ゆるっと歌い始めました。

ところが、びっくりするほど劣化してて、自分じゃないみたい。
4オクターブちかくあったはずのレンジは2.5オクターブになり、パッサージョの切り替えが、まったく落ち着かない。まるで錆びついた自転車を無理やり漕ぐような感じ。
息も足りないし、頭でやりたい事に身体がついて行かない。

歌は全身運動のスポーツだと私は思っているんだけど、身体のパーツがチグハグで、バラバラで、まったく連動してない。
なにひとつ思ったように歌えない。
楽しみたいのに楽しめない。
なのに、歌った翌日、ひどい筋肉痛にはなる。マッサージ屋のお兄さんに、「なにやったら、こんなにガチガチになるんですか」と笑われる。

そんな時、今習っている先生のレッスンに出会い、歌好きのおばちゃんとして、ゆるっと歌う世界へ。
大好きなミュージカルの曲を練習曲にして、楽しく歌うのが1番!というミュージカルソングのママさんコーラスのレッスンに通ってみることになりました。

今となっては、この時、ヘタに昔のイメージに拘って高みを目指さず、思い切ってハードルをガツンと下げた自分を褒めてあげたいです。

ゆるゆるレッスンから学んだ事

クラシックでない歌を習うのもほぼ初めてだし、クラシック出身でない先生に音楽を習うのもほぼ初めての経験。

毎回、「えーそんな歌い方していいの?」の連続で、なにを習ってもカルチャーショックでしかない一年を過ぎたころ、ようやく自分の中から、ミュージカルには余計なクラシック臭が抜けた気がしました。
ギクシャクしてた身体も少しは動くようになって、レンジも3オクターブまで復活。
いわゆる地声、ミックスボイス、裏声の切り替えもスムーズにできるようになり、少しずつ表現らしき事ができるようになってきました。

例えば、四季っぽい歌い方、宝塚っぽい歌い方は全く違います。
ファントムっぽい歌い方、レントっぽい歌い方、アニソンっぽい歌い方、子役っぽい歌い方、モータウンっぽい歌い方、と、作品や役柄によって歌い方は全く違う。
同じレミゼでも、市民とコゼットとエポニーヌでは、全く表現したい事が異なる。
ヨーロッパを舞台にした作品とアメリカを舞台にした作品、エリート階級や貴族のお話と町人のお話ではこれまた全然違う。

イメージした事、つまり「○○っぽさ」を表現するのに必要な技術と、その組み合わせは無限大なんだけど、ある程度は、楽譜を見て、曲を聴けば想定できるようになってきました。
想定できるだけで、技術そのものは、一朝一夕には身につかないとは言え、ただ漫然と気持ちよく歌うのではなく、なぜ、そういう表現が必要なのか、ちゃんと理由がわかって歌うようになった、とでも言いましょうか。

コロナ禍でチャンスが訪れた!

そうして、少しずつ表現の引き出しを増やしながらゆるっとレッスンしてたのですが、昨年からのコロナの影響で、レッスンに参加される方が減ってしまいました。
コロナをものともせずレッスンに来るのは、「歌が生きる上で不要不急でない」いわゆるガチ勢たちなのですが、ガチ2-3人による、セミプライベートレッスン状態になってしまったのです。

そんな機会を逃す手はないので、コーラスちっくなレッスンから、ソロボーカルのレッスンに切り替えて頂きました。

すると、そこそこ歌えるようになったつもりでいたのに、必要な技術が増えて課題は山積み。
滑舌、息の使い方、声帯の使い方、軟口蓋の使い方、声を響かせるポイントの使い分け、フライボイス、ブレスアウト、あげたらキリがない。
ひとつ気をつけると、他のことが疎かになる。
2つ同時に気をつけると、歌詞が飛ぶ(笑
日々進行する老眼で楽譜を見るのが辛いお年頃。

私の身体も脳もがんばれ!
そんなこんなで、コロナ期間に入ってからの4年目は、まさに試行錯誤な4年目となりました。

やがて変化が‥

しかし、この試行錯誤が、人を成長させるらしく、最近思うのです。

私、歌のリスニング力が、めちゃくちゃ上がってない?

気づいたら、上手いボーカリストを欲するようになっていました。
音楽的に好みでなくても、上手いボーカリストなら楽しんで聴ける感覚の新鮮さったら。。。

上手いボーカリストの歌を聴くと、技術的要素に分解して理解する事ができる。
なぜ上手いのか、技術的なベースを説明出来る。

髭ダンの歌がなぜ難しいのか、どうやったらミスチルっぽく歌えるのか、が、理屈でわかるようになってきた。

ちなみに、そうでもないボーカリストの歌を聴くと、自分なら、どうやったらもっと雰囲気が出せるかもイメージできる。
自分ができるかできないかは、ともかく。。。

というわけで、歌を上手くなりたくて習ってるのに、ボーカルの入ってる音楽をめちゃ楽しめるようになりました。音楽耳、いや、ボーカル耳が成長するとは、まったく想定外だったよ。

カラオケに現れた効果

で、先日、レッスン仲間のガチ勢のひとりと自主練と称して、カラオケへ。
ためしに、2年ほど前に習っていた曲を入れて2人で歌ってみたら、今の方が全然上手い。
2年間、この曲はほぼ歌ってないのだけど、聴く時は、「あー、ここはこの技術を使って歌ってるのか」と思いながら聴くことが増えたから、音楽を表現の構造で理解するようになっていたのか?
しかも、そこそこの精度で再現してるよ、私たち!

と自分たちで、びっくりした次第。

聴き取れるようになると、再現性は確実に上がる。
再現出来るとさらに聴き取れる、の好循環。

語学とまったく同じじゃないかな、これ。

いつか、オリジナル音源の再現ではなく、自分の解釈で表現できる日まで。
衰える目に抗い、歌詞が飛ぶのは笑い飛ばしながら、歌い続けられますように。

で、なにが言いたいかと言うと、カラオケ屋さんにお願い。
もう少しミュージカルナンバー入れてください。
テニミュー、宝塚、四季以外もぜひ♪
わりと、切実。

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