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心の距離感

根本的に人に助けを求めることが苦手。


そんなこと言ったら迷惑かなとか、気を使わせてしまうかなと思うと「助けて」と言うより自分で動いた方が何とかなるし気が楽だから。


そんな私が「助けて」と言うときは、相当限界まで追い込まれた時。ただ、それすらも基本言わないし、言ってもやっぱり自分で動いてしまう。


助けてと手を伸ばしたら振り払われたことが何度もあって、手を伸ばさなければ良かったと何度も悔しさや怒りを自分の中に押し込めてきた。


助けてと言えない理由はその経験から。本当に辛くてどうしようもなかったから助けを求めたのに「ricoならまだまだやれる」みたいに突き放されることが多い。


私の限界値は私が1番わかっているのに、限界を超えてもなお周りが勝手に私に設定した限界値まで走らされる。


その結果どんどん自分を追い詰めて鬱になった。


助けてと言っても助けてもらえなかった経験は、その後の自分に「そんなこと言っても無駄だよ」と学習させてしまったし、今回の鬱でもそう。


「やっぱり助けを求めても理解されない」


その気持ちの方が強いから、私は家族とも心の距離を離したように感じる。子どもたちにさえも今までより何歩も後ろに下がって対応するようになった。


夫には、表面上は仲良くしているけれど、心の距離は遠く離れたまま。どうせまた私が助けてと言っても同じこと繰り返すよねって思ってる。だからあまり近づきすぎないようにしている。


現に家計のことを伝えバイクを手放すことを検討してほしいと言っても、恐らくそれはしないと思う。最初にでてきた言葉が「たいした額にならないから」だったから。


違う、そこじゃない。維持をするのにお金がかかるし無理をしなければいけないから。何もしなくても税金も車検も必要。保険だって毎月かかる。何もなくても平均年間20万はかかっているものを、結婚してから無理をしながら維持してきただけのこと。


手放さなくていいように私が働いていて、どんなにどん底の時でも何とかしてきただけ。手放すつもりもなさそうだし、「私が働かないと収入は増えないから」と言ったら「無理せず探せばいいよ」って理解したふりだけの言葉が返ってきた。


私の本音は「今は働きたくない」と伝えても、結局私が多少なりとも無理をしなければいけない方向になってしまう。


いや、それよりも私が今バイクを手放してほしいと言っている理由は別。乗る頻度があまりにも低いものに対してその維持費は割に合わないから。


以前は若かったのもあるけれど、本当に楽しそうに乗っていたし手間暇かけて手入れをしていた。でも今はほとんど乗らないし天候に左右されてしまうから、年間合計でも1ヶ月乗るかどうか。


つい最近まで、半年ほど封印していた。これから暑すぎてバイクに負担がかかるから、また乗らない時期が来る。秋までまってちょろっと乗ってまた封印される。封印の期間ばかり増えてしまっているのに、手放すこともせず自分は何一つ環境を変えないことが嫌なのだと思う。


私は嫌でもたくさん環境を変えるしかなかったし、色んなことを我慢しながら生活してるんだけどなって。でもメインで稼いでくるのは夫だから文句も言えなかったのだけど。


何だかなって。


子どもたちの学費が高くて家計への圧迫が凄いと数字を見せても「なんとかなるでしょ」って言われるだけで。それを遣り繰りしている私は結構胃がキリキリしてるんだけどって。


結局無理して働くしかないよなとは思っているけれど、今は何とかなってるから危機感がないのだろうな。そのあたりは独り暮らしもしたことなければ家計の管理をしたこともないから、わからないんだろうはとは思うけれど。


また少しずつ距離が開いていってるなと自分でも感じる。危機意識のレベルが近くないと見えない距離って広がってしまうものだと昔から思っていたけれど。結婚してもう長いのに、まだ理解してもらえないことが悲しいなって。


このままではいけないよなと思う反面、1度スッと冷めてしまった部分は取り戻せないし同じような熱量では対応できない。自分の悪いところなのかもしれないけれど、広がるものは抑えることはできないなと感じる。

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