かめんらいだぁーになりたい
2011年3月11日
あの日から10年が経とうとしています
思い出さない日の方が多くなってしまった私たちですが、
福島第一原子力発電所の1号機から4号機の所在地である
福島県の大熊町は帰還困難区域として、
いまだなお復興活動が続いているのです
そんな大熊町に、
今回ご縁があってお邪魔させていただきました
そこの景色は想像を絶するものでした
汚染物が入っている1袋1トンのゴミの山
多くの人々を恐怖に陥れた静かな波
天井も壁もボロボロに剥がれ落ち
水槽に木々が残ったままのヒラメ養殖場
多くの人が手にしただろう資料や、
賞味期限切れのお酒
想像を絶する高い波を物語る曲がった看板
人間の力じゃ到底叶わない自然の破壊力を目の前にした時
そこにいた人々はどのような感情を抱いたのでしょうか
抱く間もないくらいあっという間の出来事だったのでしょうか
当時テレビを通してでしか見ていなかったあの景色を
目の当たりにし、驚きや悲しみや寂しさを通り越して
今まで目を背けてきた自分を恥じました
老人ホームから避難のために使われるはずだっただろう、
出しっぱなしの担架や毛布やベビーカーが積まれた自動車
空き巣が入ったのだろう窓が取られている家が軒を連ね、
道具が出しっぱなしの理容室や、
すっかり枯れてしまった花屋さん
かつて賑わっていた商店街には人の気配は一切なく
まるで私の耳が塞がってしまったのかの如く無音の世界でした
大熊町立大野小学校では、
あと7日で卒業式を迎えるはずでした
3月11日で時が止まった教室は道具箱が出しっぱなしで
昨日と同じ日を過ごせるはずだった子供たちは
わけがわからず恐怖でいっぱいだったでしょう
動物たちの足跡や
白骨化したハクビシン
パラパラと落ちてしまったバッグや
雨漏りして真っ黒になった天井は
長くて苦しい10年が経ったことを教えてくれました
「ぼくのゆめ かめんらいだぁーになりたい。」
そう書いた少年は今どこで、なにをしているのでしょうか
2011年3月11日
私たちには平等に
全く同じ時間が流れているはずなのに
完全に時が止まってしまった大熊町
そこに住んでいた人は今、なにを考え
誰と、どこにいるのでしょうか
同じことが明日、私たちの身に起きたら
私たちは、なにを思うでしょうか
かつて少年が抱いた夢の如く
私たちの夢は儚いものなのでしょう
微力だけど、無力じゃない
そう信じて大熊町のために行動します
自分の「スキ」に素直になりたい、一回限りの人生を生き抜きたいのです。