十数年ぶりのお笑いの風景 その2

前回の記事はこちら。

人生の転換期でのお笑いとの再会

自分が十数年お笑いを見ていなかった時期の、しかもほとんど知らない東京の芸人さんに興味を持ってよしもと中尾班YOUTUBE劇場を見始めたのは年が明けて1月も半ばのことでした。
そのころの私は年明けとともに働き始めた介護系の会社を二週間弱で退社しており、やはりこれからどうしようと途方に暮れていたのでした。

自分はコロナ禍関係なく、むしろ需要は高まってる中自主的に失職していたけど、働きたくても道を閉ざされた、TVでは見られない芸人さんがこんなにいるんだと、ある意味新鮮な気持ちで見ていました。
自分が寄席などにも通った経験があるので、劇場でしか見られない芸人さんがおられるのは重々承知していましたが、なるほど人がいなければ劇場や営業も仕事はなくなります。
こういう形でネタを見られるようにされて、配信に活路を見出されていたのも新鮮に感じました。

配信が増えたのはコロナ禍で良かった数少ない一つだなと思います。そうでなければ、私は東京の劇場や芸人さんのことを全く知らないままだったと思います。

「おしみんまる」さん

で、私はその中尾班ユーチューブ劇場の、所属の芸人さんたちが出てきて自己紹介およびネタを披露される動画の中で「おしみんまる」さんという芸人さんに興味を持ちました。

その方は「犬の心」というコンビを解散してピン芸人になられたばかりで、芸歴は20年以上、KOC決勝進出、結婚、離婚、コンビ解散、二度の改名と、波乱万丈というか高低差の激しい芸歴および経歴を淡々と説明され、たまたまその場に居合わせたとおっしゃる解散したての元相方さんと即興でネタをされていたのです。

で、それを見ていてなんだかものすごく興味が湧いて、おしみんまるさんのチャンネルを見つけ、そちらも見るようになりました。
おしみんまるさんはもちろんですが、「犬の心」というコンビも知らず(注意:私はお笑いから離れていた15年ほどはどんなに人気のあったコンビもよく知ってても名前程度、顔すら一致しない人間でした。TVは見てなかったのでTVの露出も全く関係ありません。)どんな方なのかと動画を見ていたのですが、何やらこちらも波瀾万丈だったことが見ているうちに分かってきました。
千鳥さんとカジサックさんは知っていました。20年前お笑いを見ていた時に。今はベテランの人気芸人さん&ユーチューバーになっていたことで時の流れを感じつつ、おしみんまるさんの淡々とまゆげを剃る動画や、元相方さんを呼んでの最初で最後の配信のアーカイブなどを時の流れを感じながら見ていました。
そして、その中のひとつの配信のアーカイブで、「しずる村上」さんを見たのです。この事は次の記事で書こうと思います。

「藤井ペイジちゃんねる」との出会い

おしみんまるさんとの出会いは、私のそれからに大きな影響を与えてくれました。ご本人およびそのネタに興味を持ったのももちろんですが、おしみんまるさんをきっかけに見るようになったコンテンツも多かったのです。

そのひとつが「藤井ペイジちゃんねる」でした。

YouTubeというものは、ある一定のコンテンツを見ているとそれに関する動画をお勧めしてくれるのですが、そこで藤井ペイジさんの「辞めない芸人に話を聞こう」と称したおしみんまるさんとの対談動画が上がっていたのです。
藤井さんのことはデビュー時のコンビ「ミシマフジイ」をなんとなく知っていて、現在のコンビ「飛石連休」も見た記憶がありましたが、どっちかというと相方の岩見さんをよく覚えていました。
藤井ペイジちゃんねるでは「辞めた芸人に話を聞こう」というシリーズの動画を配信しておられ、ハリガネロック(※)の大上さんやストリークの吉本さんなど、二丁目~base の頃のお笑いをよく見ていた私にとって食いつかずにいられない興味深すぎる動画をたくさん上げておられ、片っ端から見始めました。
知ってる芸人さんもいれば知らなかった芸人さんもいて、また現役の芸人さんに話を聞く動画も多く上がっており、藤井さんの広すぎる人脈からの圧倒的かつバラエティに富んだ様々な人生に触れ、私は自身の生き方や働き方に関する大きすぎる示唆を受けました。
藤井ペイジちゃんねるについて以前書いた記事です、参考までに。

あと藤井さんの別チャンネルです、こちらも参考までに。

おしみんまるに出会っていなければしずるさんにも藤井ペイジちゃんねるにも出会ってなかったことを思うと、本当に大きい出会いだったと思います。
おしみんまるさんご自身も、そのお人柄には底知れぬ興味深さがあります。
いろんな意味で嘘をつけない、ご自分の心に良くも悪くも正直な、ある意味不器用な生き方は、失礼ながら自分と似ているところもあり、どうしても気になってしまいます。とはいえもちろんネタもセンスも素晴らしいので、今もひっそりと追いかけています。

人生が一区切りついた時再び出会ったお笑いは、私にとってはかつてのような娯楽の一つではなく、これからの人生を示唆する大きな存在になっていました。
そして、そんな中で、それまで出会ったどんなコンビとも違う「しずる」さんを知るに至るのです。

おまけ(注釈)

(※)ハリガネロックはひょろ長い大上さんとロックな松口さんが組んだからつけられたコンビ名だそうですが、松口さん(現ユウキロックさん)は大上さんと組む前は現在のケンドーコバヤシさん(当時は本名小林友治だったと思う)とコンビを組んで、方向性の違いから解散。「ナンバ壱番館」(関西ローカルの深夜番組。今田・東野コンビ司会で、様々なお笑い芸人さんの人生をドラマで再現する、関西お笑い版「知ってるつもり?」)に出演した際、大上さんを相方に選んだ理由が「優しかったから」というロックなイメージからすると意外にナイーブだった記憶。
その番組内ではケンコバさんのモストデンジャラスコンビ時代の相方の村越さんのお話も聞けて、コンビ最後の方は辛すぎて逃げた過ぎて事故って命を絶ちたいと、スクーターに薄目を開けて乗っていたそうです。
完全に閉じるのは怖かったという理由だったような。

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