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「優等生」「真面目」と言われるのが嫌で、どうしたら良いか真剣に友人に相談したこと

あれは確か大学4年生の頃、大学の近くのエクセルシオールカフェで同じサークルの仲の良い友人と2人でお茶をしていた時のこと。

「優等生」とか「真面目」というのが周囲の人(特に付き合いの浅い人)から見える私のイメージとしてのお決まり文句のようになっていて、「なんだかそんな自分って嫌だなーって思うんだよね」「なんでそういう風に見えちゃうのかなー」って、彼女に相談をしていたシーンを良く覚えています。

そんな彼女も私と似たタイプで、「私達のどこがそう見せてるのかなぁ?」とあーでもないこーでもないと話をしていました。「背が高いから?」「顔の作り?」とかって(笑)

私はどう見られたかったのか

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「優等生」「真面目」という言葉自体は、いたってニュートラルなもの。その言葉自体にネガティブな意味はなく、人によっては、そう言われたら嬉しいという人ももちろんいると思います。

でも、若かりし頃の私は、そう言われるのがとても嫌だったんです。そして、兄弟構成の話が出てきた時には、「長女でしょ!」と言われ、さらに、血液型の話が出てきた時には、「A型!」と速攻で当てられて、当てられた事に対して屈辱にも似た残念な気持ちをいつも抱えていました。

言った本人は絶対に悪気などないにも関わらず、です。

「優等生」「真面目」「長女気質」「A型っぽい」、そんな自分なんて、ツマラナイ。って思っていました。頼られるし、相談されるし、良いこともあるけれども、どこかでちょっと距離を置かれている感じがしちゃう。それがなんだか寂しくて。

そして、「怠け者の私」「面倒くさがりやの私」「手抜きの私」を誰よりもよく知っている私自身が、これらの言葉を素直にありがとうと受け取らせなかったんです(家での私を良くみている家族は良くわかるよね、ハイ)。

「いやいや、全然違いますから」

っていつも思っていました。「本当の私を見てもらえていない」「表面上の私だけを見ている」そう感じてしまい、寂しかったんです。

そう、そこにはいつも、【寂しい】私がいました。

いつもみんなにからかわれて、かわいがられる、そんな存在にあこがれていました。ちょっと抜けてて、チャーミングで、「ほんと、面白いね~」と笑ってもらえて、みんなから愛される存在。

だから、10代の頃は、当時流行っていた「丸文字」を書く練習をして、文字もわざとかわいらしく見えるように書いていたこともあります。

そして、メイクやファッションも、「キレイ」よりも「カワイイ」をどこかで意識していた気がします(一時的にギャル風になった時期があったことはここでは割愛します)。

でも、あのエクセルシオールカフェでの悩み相談から20年近くたった今も、「真面目」「優等生」というのは、相も変わらず、私に対して差し出される高頻度ワードとして王者に君臨しています。

「真面目」はすごいことだと気がついた

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でも、「真面目」や「優等生」と言われることがすごく嫌だった私が、この言葉をありがたく受け取れるようになった大きなきっかけが30代後半になって突如やってきました。

前職で大学の職員をしていた時のことです。私は「キャリア支援課」という部署で、大学生の就職やキャリアの相談にのったり、キャリア支援プログラムの企画運営を行っていました。

前職の大学は女子大で、資格取得を目玉にした大学であり、在学生は「この資格を取って将来こういう仕事がしたい」という目標意識が高い子が比較的多く、私が接する学生さんの多くが真面目で素直だったんです。

1年生から関わらせてもらう学生さんも多く、就活を経て4年生になって卒業するまでのプロセスに携われせていただくと、この「真面目さ」というのがいかにすごい事かを実感させられる機会がたくさんありました。

きちんと目標に向かって努力をして資格取得をする、念願の就職先から内定をもらう、アルバイトで自分の学費を稼ぎながら学業も両立する。

すごく目立った派手な成果があるわけではなくとも、着々と努力を積み重ねて成長をしていく姿がそこにありました。私はそんな彼女達からたくさんの感動をもらいました。「人ってすごい」って。

そして、「真面目な子が真面目じゃなくなる」ということも実はすごく難しいのです。一時的に意識的に、手を抜いたり、怠けたりしたとしても、気が付くといつもの真面目なその人にしっかりと戻ってしまうのです。

【真面目さ】

というのは、それほど強固なもので、その人全体にしっかりと染みついているものなんだ、と実感しました。

この大学のHPをリニューアルする際に、学内の教職員からこの大学の校風を表すキャッチコピーの募集がありました。

その時、私が出したコピー案はこれ。

【「真面目」は変わらない】

コピーとしてセンスがあるかどうかは別として(笑)、この大学を象徴する言葉として、全ステークホルダーにポジティブにアピールする言葉として、この「真面目」という言葉を自分自身が選んでいたことに自分でもびっくりしました。

あれだけ、自分は、「真面目」と言われることを嫌だと思っていたのに。

「真面目」という言葉に対する解釈のパラダイムシフトが私の中で起こっていたのです。

今の私はそれをどう捉えているか

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相も変わらず、「真面目だね」「優等生だね」と言われると、「いやいや違いますから」と言いたくなる自分がいます。

でも、最近では、そう言われると、「あ、やっぱそうですよね、良く言われます(笑)」と答える事ができるようになりました。

さらに、これまでと大きく違うのは、そう言っていただけることを「ありがとう」という気持ちで受け取れるようになったこと。私がそう思えるようになったのは、前職で私と関わってくれた真面目な学生さん達のおかげです。

実際の私が本当に真面目かどうか、優等生かどうか、は別として、それらの言葉が何度も私に差し出されてきたということは、私の中に、確かに、「真面目」で「優等生」の要素が少なからず存在しているということなのかもしれません。

私を作る構成要素の全てが「真面目」「優等生」なわけではないのに、昔の私は、この言葉を言われると、自分の構成要素全てがそうなのだ、それ以外の構成要素はないのだと勝手に解釈していたんです。

「そんなわけないじゃん」って昔の自分に突っ込みをいれたいです(笑)

現に、私の事を良く知る仲間からは、「オタク」「面白い」「おかん」「ねえさん」「何しでかすかわからない」「お調子者」「鋭い」「恐い」という言葉も出てくるのだから。

ただ、「真面目」「優等生」という要素が、それ以外の要素よりもたまたま前に出ていて、ちょっと目立っているだけ。先頭にいるだけなんだ。

後ろには、もっともっと彩(いろどり)豊かな、私をつくるたくさんの構成要素たちが列をなしているんだ、と、今ではそう思えるようになりました。

そしてそれはきっと、みんなそう。

あなたも、あの人も。

だから、誰かに会った時に、「この人ってこういう風に見えるな」と感じたとしても、その後ろにたくさんの列をなしているその他の構成要素さん達の存在をぼんやり想像しながら

「この人の中にはどういう個性があるのかしら」

とワクワクしながら

人との関わりを楽しめる自分でありたい。

そう思っています(*^-^*)



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