見出し画像

脱タイパのススメ

■タイパ至上主義の落とし穴

今の世の中、特にZ世代の間でタイムパフォーマンス、
いわゆる「タイパ」が重視されています。

タイパとは、かけた時間に対する効果や満足度のこと。
これらを最大化することを何より大事にする「タイパ至上主義」という言葉もあるようです。

たしかに身の回りでも、タイパを意識している人が多い気がします。

タイパを意識した行動には以下のようなものがあります。

  • 価値がなさそうな飲み会は時間の無駄なので参加しない

  • 時間がかかる映画は倍速にして視聴する

  • 本を読むのは時間がかかるので、要約動画を見る


また、タイパが重視されるようになった背景としては

  • 世の中にあふれる無数の情報を、効率よく追っていく必要があるため。

  • トレンドの移り変わりが激しく、いち早くそのコンテンツを体験する必要があるため。

などがあります。

インターネット技術の発展によって、情報は常に発信され続けています。
それに伴ってトレンド・価値観も変わっていくので、
ある程度情報を素早く吸収していく必要がありそうです。

でも、私はあえてここで「タイパ至上主義の落とし穴」について考えてみたいと思います。


■真のインプットとは

世の中には、情報がたくさんあります。
テレビ、新聞、Web、本、映像、音楽、SNS・・・

何か知りたい!と思ったとき、
その媒体が本だった場合、その本を読むことになります。
媒体が映画だった場合、その映画を見ることになります。

最近だと、内容が要約された動画や文章を読んで、
その情報をインプットしたことにする人が多いですが、
要約されたものは「その本を読む」「映画を見る」ことの代わりになるわけがありません!

要約やまとめには、必ずその作業をした人の主観が入ります。
情報が本来とは違う情報でインプットされることになります。

映画を倍速で見る、音楽をスキップして聞く、なども、
本来その映画や楽曲が伝えたかったこととは違う解釈になります。

情報を真にインプットするには、愚直に「本を読む」「映画を見る」など、その情報をそのままのかたちで受け取る以外ないのです。

私も要約されたものを全く見ないわけではないですが、それだけでその媒体をインプットしたとは思いませんし、
気になったものは絶対自分で全て目を通すようにしています。



■審美眼を身に着ける

とは言っても、私たちの時間は限られています。

なんでもかんでも手当たり次第に情報を摂取していては、
さすがに時間が足りなくなってしまいます。

なので今後私たちが心がけないといけないのは、
情報の海の中から、本当に時間をかけてインプットしたいものが何かを考え、選び抜くことなのではないでしょうか?



私は学生時代、本当に音楽が大好きでした。

当時はサブスクなんてない時代でしたから、
Webや音楽雑誌などから情報を仕入れ、
ひたすらCDを集めたり、Youtubeで音源を聞いたり・・・
とんでもない時間を好きな音楽の発掘に費やしました。

学生だからこそできたことかもしれませんが、
大量の音楽にひたすら触れることで、
自分にとって好きな音楽を自分で見つけられるという
絶対的な「審美眼」が身につきました。
※眼というより耳ですけど

今はサブスクのサービスとして、プレイリストが用意されたり、
あなたへのおすすめとして、AIによってサジェストされたりしますが、

私はどんなプレイリストよりも、自分で選び抜いた音楽をぶち込んだオリジナルのプレイリストが大好きです。
たぶん自分以外にとってはイマイチなセレクトだと思うのですが、私は自分の音楽の趣味が大好きで、音楽のセンスにおいては自分自身の大ファンです。
音楽に対する審美眼は、これまでの人生の中でも、手に入れてよかったもののひとつです。

玉石混交のなかから価値のあるものを選び出す「審美眼」は
大量の時間をかけて様々な情報に触れることによってしか得られません。

よりよい情報が何かを見極めるためにも、
結局はどこかで、大量のインプットが必要になるのではないでしょうか?


■よいインプットはよいアウトプットを生む

私の知り合いに、とてもいい曲を出し続けているミュージシャンがいます。

その人は学生時代、私よりもずっとずっと音楽に没頭していました。
ほんとに、世界中の音楽を知っているのではないか?というような知識量なんです。

大量の時間をかけてインプットされた知識があるから
そこから新しいアイディアやメロディーが浮かんで
次々と新しい曲を生み出すことができるのではないか?と予想しています。

真摯に向き合ってたくさんインプットしたことに関しては、よりよいアウトプットができます。

逆に、付け焼刃のようなインプットでは
自分の中での解釈ができずに、よいアウトプットにはつながらないと思っています。
私もたぶん、その技術を身につけたとしたとしても、彼のような曲づくりは絶対にできません。

■無駄にこそ価値がある

「要約サイトを見てなんとなくわかっていたつもりだけど
自分で作品を見てみたら、別の部分に心動かされた」

「この作品、全体としてはそんなに響かなかったけど
作中のあるひとつのセリフだけはなんとなくよかった気がする」

こんな経験ないでしょうか?

媒体から得られる情報は膨大ですが、結局自分の心に残り続けるのはほんの一部だと思います。

これは私だけかもしれませんが、映画やアニメなど、色々見ているわりには結構すぐ忘れてしまいます。
本当に好きなの?と突っ込まれそうなくらい…

それでも、この言葉だけは好き、このキャラクターの生き様は忘れられない、という記憶はずっと残っていて、
そんな記憶の寄せ集めが、自分を形作っていると感じています。
私は人生の節々で、色んな人の言葉や選択を思い返して、決断してきました。

こういう、判断のもとになるようなものって、
案外、無駄に見えるような些細なことでした。
私は無駄こそに価値を見出してもいいと思っています!

特に、人間関係に関しては、無駄だと思ったことはほぼありません。
行く気がなかった飲み会で思いがけず意気投合して、今でもサポートし合っているという友人もいます。

人間関係はこちらから切らなくても、時間の流れと共に勝手に切れていくことも多かったです。
だからこそ自分は今ある人間関係は全て大事にする気概でいます。


■コスパタイパに縛られるのはつまらない!

偉そうに語ってきましたが、こういう理由で、私にはコスパ・タイパの考え方があまりフィットしません。
好きなものに没頭する時間が好きなので、そのことを正当化したいだけかもしれません。
あくまで私の個人的な意見・主張ですので、ご了承ください。
きっとダイパ至上主義の方たちはこの文章を読んでいないと思うので大丈夫だと思いますが!

でも、愚直に何かを取り組んでいる人、夢中になっている人に対して「タイパを考えるべきだよ」と言うのは、なんとなく違うと思ってしまいます。

理解を深めたい!と思ったものに関しては、一度「タイパ」を意識せずに没頭してみるのもいいのではないでしょうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?