セーフテーネット

今朝見かけて目が離せなくなった記事。コメント欄の言及をどんどん読み進めてしまった。

・恋愛コンテンツより面白いものはたくさんある

うんうん、昔の人は手持ち無沙汰だから恋してたのかも

・女尊男卑

ねぇ〜?わたしも男女平等とかわかんない

・金

縁の切れ目とも言うしね。うーん。

 とまあいろいろ納得してしまった。わたし観測の「離れ」論を展開しよう。

 まず、令和の若者は出会いがない人が多い。次に人見知りが多い。ファイナリー、表層的付き合いを得意とする。

 出会い。それまでの学校の同級生・部活の仲間という範囲に人づきあいが限定される。ちなみに、私の田舎の高校時代は帰宅部、さらに3年間同じクラスだったため高校時代の交友関係がすっごく狭い。そしてアルバイト、進学した先に行きつく。サークル。就職する。家と職場を往復。そして結果人間関係はいつめんで固められるわけだ。出会いがねぇ。

人見知り。逆に?人見知りしない人の方が気持ち悪い。初めて会ってずけずけ土足で話してくる人は、新興宗教かマルチと疑ってかかる。

表層的付き合い。毎日見るSNS。家と職場の往復でもあの同級生から、憧れてた先輩も、大学デビューした後輩の意識高いアカウントも全網羅。全把握済み。

 恋愛も結婚生活もテレビの中のフィクションに限定されている。様々な点で事足りている。

 恋愛はいつか噛み砕いて日記にしたためるとして、結婚のほうだ。なぜ30代に差しかかると「まだ結婚しないの?」と伴侶を持つ同調圧力をかけられるのだろうか?ずばり家族(夫婦)は社会の最小単位である。そこに汝も属せよという意だ。

 家族はセーフティーネットである。子孫も然り。「お世継ぎを……」は、時代劇のファンタジーでないのだ。「セーフティーネットは配偶者のみならず。多世代にわたり、安全のリスクを分散させよ」

 こういった同調圧力的フレーズを翻訳するのは、胸がすく思いがする。そうして考える。この本質を汲み取ればいい。だからシェアハウス暮らしだっていい。なわばりが恒久的コミュニティならば、23区の公園のホームレスだっていい。事実婚だって、非嫡出子だっていい。昭和の時代は、それら全てのセーフティーネットへ「結婚」という入り口から入っていたのだが。しかし、令和式の形態にトランスフォームしてゆけばよいだけの話だ。

 〆に私の好きな結婚にまつわるキャッチコピーを聞いていってください。「結婚しなくても、」というおそらく「リコンしてもしあわせ」な含蓄がいいわ。(ネガティヴ)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?