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自転車

 久しぶりに友達と会った。割と聞き捨てならない言葉を吐かれたので、この場を借りて消化したくてパソコンを開く。
 「あー恋人が欲しい。空から理想な人が降ってこないかなー」と言われて、自分は何と返したのだったろうか。そのことも覚えてないほどにわたしは肩を落としてしてしまった。
 中学の同級生で、同じ部活の同じポジションだったので練習中も談笑し、試験期間中や受験勉強で図書館によく通った。ファミリーレストランもない地方郊外の外れでミニストップのイートインでリプトン紅茶をすすっていたのが、ちょっとお洒落なお茶に変わった関係の友人だ。
 友人は職業柄、異性の出会いがある職場ではない。そして恋人がいたことがない。人見知り。高校生をやめて10年経つけど少女漫画を読んでいる。優柔不断な性格だと思う。こういうバックボーンがある人が、この社会の中央値である気がしてくる。友人を真ん中に置いたところで、自分は奇抜な方に針が触れると思う。恋人でも結婚してもない人らと大人数で暮らしたり、自由奔放した。逆の方にこう、ストレートで、ストレートに学校を出てダイキギョウに務めて30代までに結婚してマイホームやら持つ人が置かれるんだろうな。
 友人がそのストレートの方に身を置くことを望んでいること。しかし条件が整わず、ある日いきなりパートナーがやってきて突然ちゃっかり「幸せ」を買うようなことを望むニュアンスに聞こえてしまったのだった。
 人見知り。セキュリティーがびっちり敷き詰められた社会で人見知りをせず、カルト宗教勧誘やマルチ商法や結婚詐欺に引っかからない洞察力を養うことは難儀だ。自分も仲良くなれそうと思った友人に粘着されて困った経験がある。


 家に帰って私は思いついた。それは「未就学児に、補助なし自転車を買ってくれと言われる親の気持ち」の擬似体験なのかもしれない、と。補助輪はどういう意味合いになるのかは後で考える。「ともだちみんな移動するとき自転車なんだよ。オレも自転車が欲しい!」そんな感じ。この場で「ウチはウチ。ヨソはヨソ。」と言うではないだろうか。成人してからもそういうことを言ってくれる人が周りにいれば、どれだけいいだろう。
ピカピカ新品の自転車を買ったところで、乗りこなせるか定かではない。
結局移動する時手押しになるかもしれない。メンテナンスも急にパンクしたり、骨折り。
調子に乗って自転車を飛ばして事故に遭うかもしれない。
自転車はいらない。歩きのほうが性に合う人も多くいる。

 私は友人にそういう言葉をかけてあげたかったはずだったのだが、その場では閉口してしまったのだった。


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