読書してみて考えた⑰「つれづれノート㊶優雅さとミステリー」前編

やばい、やばい、気が付けば6月。今年も半分が終わってしまう。今更ですが銀色さんの2021年8月~2022年1月の記録。私の記憶もだいぶ怪しいのだけれど。

1 2021年8月
なんて言ったって東京オリンピック。
6日「印象的だったのは、サッカーの久保の悔し泣き、空手の『形』の気迫、リレーのバトン失敗」
私は女子サッカー準々決勝のチケット4人分を持っていた。女子バスケと野球は抽選に外れ、唯一当選したのが7月末の鹿島スタジアムだった。日本戦じゃなくても納涼+帰省がてら、なでしこを観戦しようと思っていたのだけれど叶わなかった。だから男子サッカーの快進撃は嬉しかった。三苫選手が怪我?であまり出場しなかったのは残念だったが、翌年秋のワールドカップ予選さらに本戦での彼の活躍を考えれば、2021夏彼に注目していたサッカー素人の自分がなんだか誇らしい。点を取ってくれそうな眼光がいい。私の一押しは中山ゴンから三苫に世代交代となった。
9日(月)振替休日、確か閉会式のための臨時の祝日。
私は訳あって(後述)会津若松まで息子のオープンキャンパス。7日(土)東京に移動し秋葉原のメッツホテル。TVは夜遅くまで野球の決勝戦だった。8日(日)東北新幹線で郡山へ。途中さいたまスーパーアリーナが見えて、中、大とバスケ部の私は感慨深かった(その日は女子バスケ決勝戦会場)。レンタカーで会津若松。息子がオープンキャンパスの間は娘と鶴ヶ城~カフェ~さざえ堂と観光。あかべこ、小法師を買って、息子を大学に迎えにいき、磐越道→阿武隈高原SAで遅い昼食(夕方だったけど)→いわきで車を返却して常磐線に乗り込んだ。とその時、動き出したのは隣の線路の列車。ホームを間違えたことに気が付き びっくり、がっかり、そしてどっと疲れが・・・。何とか実家にたどりつき一泊。9日(月)神田明神(息子のリクエスト)に寄り道して帰宅。
銀色さんは11~18日まで連日雨。家の中ではヤモリとの闘い。

鶴ヶ城

2 2021年9月
5日「子どもの頃、『分を知れ』という言葉をよく聞いた。(中略)意味は、自分の身の程を知って、出すぎたまねをしない、自分を過大評価しない、ということ。(中略)分をわきまえると、心が落ち着く。」
私も似たようなことを親に言われていた。「身の丈に合った暮らし」ってやつ。だけど私が長らくそう言ってきたせいで、子供達には苦労をさせてしまったと少し反省している。というのも小学校では夢地図、二分の一成人式など将来の希望を持つよう言われ、中・高は時に出すぎたまねをして内申点を稼ぐべし、といった具合。
25日「人生が川の流れで自分が葉っぱだとして、ある小さな渦に巻き込まれてそこから抜け出せなくなり、クルクルと回り続けることってある。(中略)そうやって今まで、いくつもの環境、いくつもの渦の中で一定期間過ごしてきた。渦の中にいる時は、そこにいるしかない。そこで生きるしかない。」
9月といえば連休だが、旅の記憶がない。そうだ、7月下旬夏の暑さで父が心不全になり入院。8月には母は老老介護はこりごりと退院に難色を示した。私の勤務先に転院してもらおうか(遠方のため非現実的)と真剣に悩んだほど、私はあの頃実家の往復と母からの愚痴(言い訳?)電話に疲れていた。まさに渦の中の葉っぱだったのかもしれない。

3  2021年10月
6日  銀色さんはヤモリに「ラッキー」と名付ける。ちょっと苦手だからこそ、あえて「ラッキー」。
12日、白鳥山登山~霧島ホテルの日帰り入浴。24日、白鳥山での天空ヨガハイキング。羨ましい。
25日「山本文緒さんの訃報を聞いてショックだったという方から質問をいただいた。(中略)森遥子さんの訃報を車の中で聞いたときも、マイケル·ジャクソンの訃報を出先のテレビで知った時もそうだった。ショック!そして『そうか…』。」
山本文緒さんはNHKアサイチのゲストで拝見したことがあり、それから間もなくの訃報で私も驚いた。思い返せば森遥子、氷室冴子、池田晶子、確か皆死因は癌。きっと3人とも そして山本さんも文章の裏に我々凡人には及ばない、緻密かつ繊細な思考(細胞が癌に変わるほどの)があったのだろうと想像してしまう。享年はそれぞれ58歳、52,51,46歳。悔しいほど早すぎる。いずれも告知を受け、身辺整理や葬儀の段取りをしてからの旅立ちだったと読んだことがある。彼女たちの歯切れのよい文章(山本文緒は読んでいないのだが)は、人一倍強い責任感の表れだったのではと今更に思う。
30日(土)私は女医4人で東京駅ランチのあと1人帰省。すでに父は退院し、ややお高めの老人ホームに入所していた。今思えば8~9月私が煮詰まってしまい、ランチを計画してもらったのだった。東京駅からパレスホテルまでの道のりは爽やかで気持ちよく、天井の高い換気良さげなグランドキッチンでのランチだった。が今ひとつ思い出せない。憶えているのは「またいつでも東京に出ておいで」と友に言われ、泣きそうになってしまったことくらい。
その日の夜は実家で兄夫婦と甥(高3双子)と、「医学部の指定校推薦」を取るか相談を受ける。「お礼奉公付きの地域入学枠」に頑として反対した私。結果的に甥は合格したから良かったけど、不合格だったら私は困った頑固な親戚さんになるところだった、危ない。かつて防衛医大に合格した従兄弟に叔父である私の父が反対したように、医学部の「お礼奉公」は期間が長すぎるし、お金を払えば免除、というのもなんだかモヤッとする。ちなみに昨今の「理系女子枠」にも私はモヤモヤ。

4  2021年11月
6日まるき屋さんの「かるかん饅頭」が美味しいと書いてある。ずっしりと重いらしい。私は真空パックのお土産品しか食べたことがないから、アンコ好きには気になる。
9日藤井vs羽生の王将戦。
30日「私の今の暮らしは、家と庭と畑という3種類の空間を行ったり来たり。そうしながら心の中ではさまざまなことを考えている。(中略)目の前のことだけを考えて、手の届くことをひとつひとつやっていこう。」

5  2021年12月
15日歯科治療中、「じっと口を開けて、なすがままの苦しい状態の時、『これからは優雅さが大事だ。歳を取るにつれて立ち振舞いなどが優雅になるように、優雅なたたずまいの人になろう。なりたい。これからは優雅に生きよう…』と急に思った。」
22日冬至、柚子のお風呂(ジャングル温泉)。
28日玄関にて、小さな水鉢の脇に厚さ4ミリほどの割れた氷が落ちていて、どこから来たのか、どういういきさつでそこにあるのか、わからない。と書いてある。15日と併せて「優雅さとミステリー」という題名になったみたい。
2021年の年末の私は、
29日家族4人+息子の友人S君の計5人で東京へ、息子とS君は新橋フレッサインに2泊(未成年なので前もって書類を準備、支払いは私のカード)。二人は30日ゆりかもめでコミケ参戦、31日はコミケのチケットが取れず秋葉原。
私達夫婦と娘の3人は29日大宮のお風呂カフェutatane泊、翌日大宮駅で東武線の上三依塩原温泉口を目指すも、特急満席のためJR宇都宮線グリーンから乗り継ぎ西那須野駅。千本松牧場で昼食のあと路線バスで塩原温泉に。バスターミナルから宿の送迎あり奥塩原高原ホテルに宿泊。お湯はもちろん、料理も美味しくて大満足。翌31日はバスで那須高原駅→新幹線で東京駅。午後にはS君を名古屋行きの新幹線に乗せ、我々家族は帰省の予定だった。ところが、29日夜に新橋駅で復路の新幹線切符を買い忘れた上に、31日は年越し寒波(いつもだよー!例年恒例の!)で関ケ原の雪のため、徐行~ダイヤの乱れで焦った!なんとか指定席1席を確保して、東京ばななを大量購入したS君をホームで見送ったのだった。品川のエキュートで受け取った「おせち」(JREポイントで)を抱えてに実家へ帰省し、2021年は終了。

奥塩原高原ホテル

続きます






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