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辛い、大変と思う人生の地点こそ、「生きる」ことについて考える期間。それは、全ての人に訪れる期間でなく、そこでいかに立ち止まれたか・・・「生きる」ことは、何かと「向き合っていくこと」だとしても、「生きる」・・・時々、この言葉に圧倒されてしまう。

The times in your life when you think it's painful or difficult are the times when you think about "living". Menstruation doesn't happen to everyone, but how can you stop it?



辛い、大変と思う人生の地点こそ、「生きる」ことについて考える期間。それは、全ての人に訪れる期間でなく、そこでいかに立ち止まれたか・・・

ごめんなさい。
誤解を招いているかもしれませんが、
辛い時に立ち止まるというと、
「我慢する」というイメージ・・・
昔の根性論的なことを思い浮かべてしまう人も多いと思います。

「立ち止まる」ことは、
我慢することでなく、
例えば、今苦しんでいることに一点集中でなく、
広い視野で考えていくことも含まれていると思います。

「立ち止まりながらも、動く」ような
ちょっと分かりにくい文章になるかもしれませんが、
ゆるりとしたイメージです。

一点集中すれば、「絶望」かもしれませんが、
案外それは、狭い世界の中のことで、
周りの世界をひとつ覗いた時に、「大したことない。」と
思える瞬間があるかもしれません。

いや、そんな考え方が出来れば、悩まないと言われそうですが・・・
そうなんです。どうしても悩むことでもあるんです。

日々の生活の中で辛さや大変さが訪れるのは、
何かに懸命に取り組んでいるからこそ。
「辛い」時は、必ず過ぎて時が解決してくれることも多いと分かっていても、
「今の辛さ」は絶望にも感じる。
人によって突破の仕方は、違う。
環境を変えてみるのも一つの方法だけど、
今すぐに変えられない・・・という場合も多いと思います。
変えたことで、全てが解決できた様に感じても、同じような状況って、
変えた先でも繰り返されたりします。

ちょっと厳しい言い方になります。
必ず「向き合う」という状況は、やってきます。
いつまでも回避することは出来ない時期がやってくることも厳しいことではありますが事実です。

結論「向き合った」先には、
「成長」「達成感」もついてきます。

でも、根性論のように命削るまで向き合うということではありません。

分かりにくいかもしれませんが、
「距離感を持ちながら」向き合う
「直視しないで」向き合う
でも良いと思います。
ちなみに正直な方、
相手に対して「私は、あなたと距離感を持って向き合っています。」という必要はありませんよ(笑)❢
心の中で「距離感」と唱えれば大丈夫です。

「生きる」ことは、何かと「向き合っていくこと」だとしても、
「生きる」・・・時々、この言葉に圧倒されてしまう。

でも、「向き合い方」を調節するだけで、
今の環境を動かなくても、なんだかちょっと周りが変化してきたように思えてきて、時の経過と共に「あれ❔私は、何を悩んでいた❔」と思える時がくるかもしれません。

実際には、周りを変えることは困難なので、自分が変化していくことで、
周りが変化しているように見えるだけだったりします。

過去の職場でも、
相性の合わない同僚がいた時に、自分の中に「あの人と組むの嫌だな」という回避の感情が湧いてしまう時期がありました。
自分から歩み寄ろうと、相手に友好的に話しかけるようにもしたりしましたが、何かちょっとした行き違いがあった時に、相手が突如キレてしまい・・・それからは、私から相手を避けてしまう時期がありました。
でも、職場が児童さんの施設だったためお子さんに影響があっては、いけないと思い最低限のやりとり(挨拶は交わすなど)は同僚とするようになりました。

この時、私は
「相手と距離感を保ちつつ」も「施設にいるお子さんに影響は出してはいけない」と思い、
「最低限の関わり(挨拶はする。連絡事項は淡々と伝えるなど)」だけはするようにしました。

自分の心身が疲れている時は、「最低限の関わり」さえも「辛い」と感じる時もありました。
でも、そのうち徐々にではありますが「相手との接点」や「攻撃」はなくなりました。

そのうち上司から異動の話(他地域に同法人の事業所を立ち上げるので、新規の事業所の方に勤務して欲しいという話)をもらい、
相性の悪い同僚とは会わなくなりました。




こういう相手は常にターゲットを探しているので、
相手が変わるどころか、こちらが誠意をもって真剣に向き合えば向き合う程に、相手は、こちらの欠点を探していきます。そんな相手に「向き合う」ことが「常に全身全霊」では自分の方がとても持ちません。
こんな相手に対しての「向き合う」ことが業務に支障がない「最低限」「淡々」でも全然大丈夫だと思います。そこに罪悪感を感じることはありません。
(相手だって、多少なりとも、こちらに苦手意識は感じていると思いますし。)

「最低限」「淡々」であっても最初は辛いこともあると思います。
ただ「最低限」「淡々」は自分の方がそうすることに慣れてきます。
実は、無理に感情移入したりするよりも、驚く程に早く慣れます。
そして、「なんだ」と慣れた頃に法則といっても良いくらいに
相手または、自分が異動になったり、相手の方が離職してしまったりします。なんでしょうね。この法則・・・・。
今までの職場でもそうです。100%と言ってもいいくらい。

もしかしたら、私たちの目には見えないところで、世の中で動いているのかもしれないですね。

「戦わない」で、「淡々」「最低限」・・・
そんな関わり方を相手に伝える必要も決してないけど、
「淡々」「最低限」は相手にとっては、つまらない。

「この人に関わっても、つまらない。」と思ってくれたら、
世の中は動くしかないかもしれません。

「生きること」は「淡々」とすること。
「決して無駄に戦わない」ことが大切なのかもしれません。

「淡々」でも、自分の心の中は殺すことなく、
「優しさ」は「優しさ」を作ることを忘れてはいけないと思います。
「優しさ」は、その優しさを受け取ることのできる相手にだけ
向けられていきます。
冷たい言い方かもしれませんが今は、今の世の中は便利になったり、情報も溢れていて、優しさの価値が見失われている分、本当に届く相手に注いでいけば良いと思います。

もし表面上の優しさだけを受け取ることの出来ない相手ならば、
こちらも表面上の優しさを注いでいくしかありません。
でも綺麗事でもなく、それで私は十分だと思います。

心からの愛を受け取ることの出来る人がいるならば、
あなたも心からの愛を相手に対して表現していけば良いと思います。
むしろ、そういう相手にこそ、あなたの力を使って下さいと言いたいです。
そこに愛ある場所や時間が生まれてくるでしょうし、大切にして欲しいと思います。

「どんな人にも優しく」という子どもの心に教わったであろうことを大人になっても自ら、そして心から実践している方はとても優しい。


関わってみると、
表面上の優しさなのか、心からの愛なのかは、言わなくてもその人と一定期間関われば、すぐに分かってしまいます。
ただ、心からの愛を持っている方だからこそ、心を痛めてしまうことは多い。そして、最悪の選択をしてしまう方達を見てきました。
だから、「心からの最低限や淡々」でも大丈夫。
あなたは、十分に懸命に生きています。
その時は、報われるはずであって欲しいです。

今日、今この瞬間は辛いかもしれませんが、
その時は長く続かない。


だから明日も生きていきましょう。









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